新たな朝鮮戦争の脅威に抗する
国際共産主義左派の諸グループによる共同声明ウクライナでの戦争について
発表内容
共産主義左翼の組織は、プロレタリア国際主義の原則の遵守という共通の遺産を、特に世界の労働者階級にとって大きな危険のある時に、団結して守らなければならない。ウクライナ戦争におけるヨーロッパへの帝国主義的殺戮の再来は、そのような時である。だからこそ、私たちは、共産主義左派の伝統に基づく他の署名者(および、この声明を全面的に支持する異なる足跡を持つグループ)とともに、帝国主義戦争に直面した労働者階級の基本的展望に関する共通の声明を以下に発表します。
逼迫する<経済>へどう応答するのか-立ち向かう労働者たち
資本主義は戦争だ!資本主義との闘いを! (国際ビラ)
ヨーロッパが戦争に突入した。1939-45年の第二次世界大戦の虐殺以来、初めてのことではありません。1990年代の初め、戦争は旧ユーゴスラビアを荒廃させ、14万人の死者を出しました。1995年7月のスレブレニツァのように、「民族浄化」の名のもとに、8000人の男性と10代の若者が冷酷に殺害され、民間人が大量に虐殺されたのです。ロシア軍のウクライナへの攻撃で始まった戦争は、今のところそれほど致命的ではないが、最終的にどれだけの犠牲者が出るかはまだ誰にも分からない。今のところ、旧ユーゴスラビアでの戦争よりはるかに規模が大きい。現在、互いに戦っているのは民兵でも小国家でもない。現在の戦争は、人口がそれぞれ1億5千万人と4千5百万人のヨーロッパで最も大きな2つの国家が、巨大な軍隊を投入して行っているのです。ロシアには70万人、ウクライナには25万人以上の軍隊が配備されている。
しかも、旧ユーゴスラビアでの対立に大国がすでに関与していたとしても、それは間接的なものであり、国連の庇護のもとで「介入軍」に参加することで、であった。現在、ロシアが対峙しているのはウクライナだけでなく、NATOに加盟する西側諸国も、戦闘に直接関与していないものの、この国に対して大きな経済制裁を行うと同時に、ウクライナへの武器輸送を開始しているのです。
日本での津波と原子力事故ー資本主義の恐怖
前史
CCI発の「International Review」における僅かの記事、そして現地の週刊誌で述べたように、フランスにおける1968年5月の革命的な出来事は世界中にわたってより広い運動の一部にすぎませんでした。
日本にいる同士よりの記事をここで掲載しており、本記事は日本の特定や困難な歴史にもかかわらず、当時の広い運動は日本にも同様な運動があったというのをはっかり表現しています。
未来のプロレタリア革命は国際主義に基づいた国際的なものでなければ、何も起こりません。現在、世界中国際主義者の最大な義務になるのは、現場の経験を世 界時事の枠に入れること、そしてある地域における労働階級の動きが世界中のより広いコンテキストの一部、またはそのコンテキストの一つの表現に過ぎないこ とを理解し、瀕死の資本主義を打倒させる未来のために過去の出来事をめぐって労働階級中の国際的な議論に貢献することだと思っています。したがって 1968年日本の出来事を歴史的かつグローバルな枠に入れようとするケン同士の努力を称賛します。「こうして日本の「68年」の概略を振り返ることを通し て、全世界の労働者階級との国際主義的団結(それは当時においても現在においても、最も重要なものである)を図ることができれば幸いである。」という彼の 結論を心込めて支持しています。
…フクシマ ー 地球規模の災害
”怒れる”スペインの人たちとの連帯 - 未来は労働者階級の手にある!
多くの国で、強姦未遂で逮捕されたIMF専務理事であったドミニク・シュトラウス=カーンを巡るスキャンダルに光が当たっていた時、より重大な出来事がヨーロッパを揺るがしていた - 5月15日のマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場の占拠に端を発したスペインでの暴力的な社会的抗議行動だ。この動きは、膨大な数の民衆、特に失業やサパテロ政権の切り詰め政策、政治家の汚職などに憤慨している若い民衆が担っている。この社会運動はFacebookやTwitterなどのソーシャルネットのおかげでバルセロナ、バレンシア、グラナダ、セビリア、マラガ、レオンと国中の大都市に急速に飛び火した。しかし情報がピレネー山脈を越えてフランス方面に行き渡ったとは言いがたい。フランスではソーシャルネットワークとオルタナティブ・メディアのみで5月中旬以降の出来事を写真やビデオで報じられたに過ぎないからだ。ブルジョア的メディア、とりわけフランスのメディアが今回の出来事に関して突如「停電」し、ドミニク・シュトラウス=カーンの事件を巡る犯罪ドラマで埋め尽くそうとするのは、この運動が、資本主義に潜む袋小路に対抗する社会運動と世界の労働者階級の闘いの進展に向けた重要なステップを明示しているからだ。
日本帝国主義の攻撃態勢への省察
私達はつい最近、日本の読者から、嬉しいことにメッセージを受け取りました。
ジアおける新たな帝国主義的超大国としての中国の興隆と、悪化を繰り返す韓国および北朝鮮と日本の間の緊張に直面してきました。日本の帝国主義はアメリカの軍事力に強く依存している一方、独自の野望も持っている。長年に渡り日本は自身の領海権外への干渉を少しづつ強めてきた。最初はペルシア湾でのアメリカ軍への非武装補給支援という形で、次にアデン海峡に軍事部隊を派遣した。同時に、海上自衛隊は南東アジアでの軍事行動への関与を強めてきた。自衛隊は常に近代化され続け、防衛費を増大させている。最近中東で殺害された二人の日本人民間人は日本の帝国主義にとってその軍事的野望を強化する格好の材料となった。こうした近年の日本の軍事主義化に対して平和主義的視野を持つ人たちが増えているとはいえ、革命家たちは、軍事主義という癌に対して平和主義的解決法はなく、システムそのものをひっくり返す他ないということを強調しなければなりません。
私達は読者の分析を送ってくださることを歓迎します。
「イスラム国」は、拘束していた日本人、湯川遥菜さん、後藤健二さんを殺害した(1月24日、31日 ネットで公開)。
パリの虐殺 - テロは腐りゆくブルジョア社会の表れだ
カブー、シャルブ、ティグヌー、ウォリンスキ。20人の犠牲者をだした1月7日と9日のパリでの攻撃において、この4人は象徴的な存在だった。これら4人は最重要目標だったのだ。しかし何故?この4人は愚考よりも知性を重んじ、理性を持って狂信に立ち向かい、服従に対して反抗し、勇気をもって臆病を乗り越え1、憎しみを超え共感し、なにより、順応主義やくだらない独善的な正義に対するユーモアと笑いという素晴らしい人間性を持ち合わせていたからだ。私たちは、このうち何人かの政治的ポジションの極めてブルジョア的な部分を否定し対立するだろう。このうちの何人かはまったくブルジョア的だ2。それでもこの4人が最高であることに変わりはない。風刺画家あるいは買い物客が、ユダヤ人であったがためだけに射殺された今回の野蛮な暴力事件はフランスのみならず、世界中で極めて強い感情を引き起こしたことはまったく理解できる。ブルジョア民主主義の公式な代表者たちのこうした感情を利用するやり方によって、多数の人々が憤り、怒り、そして深い悲しみにとらわれ、1月7日に衝動的に路上へと繰り出したことが、人間にとって、この卑劣な野蛮行為に対する極めて基本的かつ健康的な(自然な)反応であったという事実を覆い隠すことは許されない。
戦争の脅威に対する、韓国からの国際主義者宣言
北朝鮮における核実験に関する報道に続き、我々、ソウル市とウルサン市で結集した共産主義国際主義者は、以下の項目を宣言する:
1)さらなる別の資本主義国の手による、新たな核兵器能力の開発を糾弾する。
核爆弾は帝国主義国家間戦争における最終の武器であり、その唯一の機能は一般に民間人の大量殺戮であり、それはとりわけ労働者階級の殺戮を意味する。
2)北朝鮮の資本主義国家によって踏み出された戦争への新たな一歩を、断固として糾弾する。北朝鮮は、このようにして、自らが労働者階級や共産主義と全くかけ離れたものであることを再度新たに示し(それが必要であったとして)、実際は、軍国主義の野蛮へ向かう衰退的資本主義の一般的傾向の、単なる極端でグロテスクなバージョンであることを実証した。
3)米国およびその同盟国による偽善的キャンペーンを断固として糾弾する。
それらの目的は、 解放の単なるイデオロギー的な準備以外の何物でもなく、今日のイラクにおける状況と同じく、その可能性があれさえすれば、労働者がそのまま主要な犠牲者に となる、自分達の先制攻撃を仕掛けることにある。私たちは、米国が、広島と長崎の民間人を絶滅させた時、…
日中帝国主義の衝突
2012年に始まった、尖閣諸島を巡る争いは、極東最大の大国同士の敵対的な野望と緊張をもたらした。世界で最も多くの人口を抱え、世界第二位の経済力をもつ中国と、同じく第三位の日本両国は、互いにこの諸島を巡る緊張をエスカレートさせ、自らの力を示すため、兵力を動員してきた。これは日中およびアジアのみならず、世界全体にとって、間違いなく深刻な問題だ。
この両巨頭のみならず台湾も同諸島の領有権を主張している。尖閣諸島は岩だらけで居住不可能な地にも関わらず、その戦略的価値や、潜在的な油田や天然ガス源(訳者注:レアメタルも)と豊かな漁場の存在は、同諸島の領有権の主張を決定的にエスカレートさせている。
2011年のもっとも重要な出来事は資本主義の危機の激化とチュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、イスラエル、チリ、USA、イギリスなどでの社会運動の深化だった。
何百万もの人々が、「安定した普通の」生活と「子供たちの将来」が失われるのではないかと強く心配している。この不安は、受動性を打ち破り、広場と路上を占拠し、この5年で急激に悪化した危機の原因を解明するためのディスカッションへと駆り立てる強い怒りー衝動を引き起こした。
経済危機 ー EUか資本主義か、どちらにも未来はない
民主化された資本主義は可能か?
聖パウロ教会でのオキュパイのテント大学の「民主的な資本主義」というスローガンを巡って激しい議論が沸き起っている。
これは聖パウロ教会やUBS銀行などでのオキュパイが、現行の社会システムに不満を持ち、それに変わるものを求めているすべての人たちのための実りある議論の場を提供していることを表している。「民主的な資本主義」は現実的な選択肢ではないものの、確かにオキュパイに参加している多くの人々の見解と結合点を反映している。金持ちにもっと税金を課し、銀行屋の持っているボーナスを帳消しにし、証券取引市場をしっかりコントロールし、経済に対する政府の権限を拡大すれば資本主義はより人間的になりうるというアイデアは繰り返し提唱されている。
共産主義左派とマルクス主義の継続
共産主義の左派とマルクス主義の継続
一つの階級、一つの闘争
かつてないほど、世界の国々は労働者の闘争に揺れている。国際的な規模で、労働者階級の力と戦闘性の証拠になる。支配階級の側になる報道が行う管制に対して、我々は2008年の初めからわずかの例を取り上げる。場所、地域、会社の名称をロマー字や漢字のままに記載されている。
かつてないほど、そして同時に、世界の国々は労働者の闘争によって揺れている。これは国際的規模で高まる労働者階級の攻勢と戦闘性の証左であ る。ブルジョワ的メディアによる報道管制に対して、われわれは2008年初頭より世界中で闘われてきたいくつかの例を紹介する。(場所、地域、資本・企業 名などの固有名詞については英語発音のカタカナ表記・ローマ字読みを付した。)
日本における労働者運動に関するノート:第三部
日本における労働者運動に関するノート:第二部
1905年のロシアにおける革命的事件の数々は、あらゆる労働者運動を大きく揺るがす大地震を引き起こした。労働者評議会が形成され、労働者たちが 大衆ストライキを始めるや否や、社会民主党の左派(ローザ・ルクセンブルクは『大衆ストライキ』及び『党と組合』、トロツキーは『1905年』に関する著 作、パネクークは諸処の文書、特に議会に関する文書を発表)はこれらの闘争から教訓を引き出すことを始めた。評議会における労働者階級の自主組織化につい ての力説、ローザ・ルクセンブルク及びパネクークにより特に主張された議会制度の批判は、アナーキスト的な気まぐれの結果などではなく、資本主義的生産方 法の衰退の始まりにおいて新しい状況がもたらした教訓を理解し、闘争の新しい形を解釈しようとする為の最初の試みであった。
日本の革命家は国際的に比較的孤立していたにも関わらず、闘争の条件と手段とに関する討論は彼らの間でも繰り広げられ、世界規模の労働者階級および その革命家の少数派にまでこの興奮が反映されていたことを示している。それまでよりも更に明確な形で二つの傾向が対立していくことになる。幸徳を中心とし た第一のグループはその全主張が「直接行動」、即ちゼネストと革命的サンディカリズム(労働組合主義)をめぐって行われた為に、アナーキストへの強い傾化 を見せ始める。幸徳は1905-1906年間に渡米し、…日本における労働者運動:1882-1905間
日本における革命的運動の歴史に関する以下のノートは、労働者階級と前衛的革命家の発達過程の本質そのものを具体的な諸要素と共に明示するものであり、それは
世界資本主義転覆を目的とした全世界的な戦いとその利益との根本的な一致によって特徴付けられている。
世界的なレヴェルにおいて立証されているこの経過は、それぞれの国ごとに異なる方法やリズムによって表現されている。それは不均衡な形ではありなが ら、各国が相互に影響を与え合いつつ表明されている。様々な歴史的理由から、西ヨーロッパは世界的共産主義革命の重心を成している。日本における革命的運動の歴史は、それが西欧世界にて生じた進歩の最後尾に繋がり生じたことを数度にわたり明確に示している。
しかし、この事実はいわゆる「ヨーロッパ中心主義」による道徳的判断や、プロレタリアが最も進んだ国に高得点を与えんとする意思を表現しているわけ ではない。その逆に、日本における革命的運動の様々な要素は、西ヨーロッパにおける革命的運動と世界のその他の国々との間に存在する密接な繋がりを浮き彫 りにしている。これ程の分析枠は、将来の世界的革命の力学を理解することを可能にする唯一の枠組みであり、その中において日本の労働者階級のような世界の…
ICC: 国際共産主義潮流・綱領
共産主義革命か人類の破壊か
過去の全歴史上、今日ほど人類に賭けられたものが悲劇的且決定的であったことはなかった。一社会階級が、今日プロレタリアが担っている責任に比較しうるような責任に直面したことは、未だかつてない。
2006年春のフランス学生運動についてのテーゼ
以下の諸テーゼは、学生運動の続行中に国際共産主義潮流(CCI)により採用されたものである。4月4日のデモは、3月28日のデモより小規模になるであろうという政府の希望を見事に破った。特に今回のデモにおいて、民間の労働者の数は以前より増加した。3月31日のテレビ演説で、シラク大統領は「機会均等」法の採用を発表すると同時に、学生たち怒りの主な対象である「初期雇用計画(CPE)」を設立する当法の第8条が実行されないよう頼むという愚かな操りを試みた。この情けない軽業的な行為は、運動を弱めるどころかむしろ拍車を掛けることになった。それは1968年と同様、経済の生産的分野における自発的なストライキの可能性を増長させた。政府は自らの嘆かわしい操作が運動の破壊に失敗したという事実を受け入れざるを得なくなり、その結果、最終的な操作があっても、遂に4月10日にCPEを撤回した。実際には、以下のテーゼは政府が妥協しないことを予想していた。政府がこれほどまでの後退をみせたこの危機のエピローグは、これらのテーゼの中心的主張、即ちこの2006年春の日々における労働者階級の若い世代らの動員の深遠さと重要さとの主張を、確認・補強してくれるものになったことを示している。
今日の困難はプロレタリアを打倒してはいない
旧「社会主義」ブロックの崩壊やUSSR自身におけるスターリン体制の崩壊、及び75年前にプロレタリア革命を経験したUSSR自身の分裂等といった、ここ2年間における数々の事件の周囲に組織された巨大なキャンペーンが、労働者階級を衰弱させたことは真実である。スターリニズムは、ブルジョワジーの反革命の尖鋭部隊であった:その死と共にスターリニズムは、労働者階級が資本主義の全体的分解により労働者階級のふところにおいて引き起こされた数々の困難に既に直面していた時に、更に自らの死臭を彼らに嗅がせることによって、ブルジョワジーの最後の役に立った。今日、多くの労働者はこれらのブルジョワジーのキャンペーンの犠牲者であり、いつの日か世界を変える可能性を有し、資本主義的搾取を廃止するという全ての希望を捨ててしまった。旧東側ブロックの、プロレタリアが反革命の最も過激な形態を耐え忍んできた国々において、プロレタリアはブルジョワジーの幻想の爆発に対し、その最も古風な幻想に対してさえ、反対する力を持っていない。:スターリニズムが自らの帝国主義的政策を覆い隠しすのに用いた「プロレタリアのインターナショナリズム」とわざと正反対のことをする為、彼らはナショナリズムのヒステリーによって飲み込まれてしまった:スターリン主義者達によって説き勧められた無神論に対する反動から、彼らは教会の腕の中へと突進した。しかしながら、…
第二次大戦後、「民主主義」はその犯罪を永続させる
戦後、勝利者達は、徳と自由、国民の権利と人権の旗を四方八方で翻し、ナチスの野蛮さ反対を叫んでいたにも関らず、その非難の対象であったナチスと同じ方法を敢えて使用することについては、一瞬たりとも躊躇しなかった。例えば、民間人に対する大規模の国家間報復は、ニュルンベルグの被告人の独占ではなく、「自由な世界」の灯台・アメリカ合衆国や、「人権の祖国」・フランスといった異なる様々の「民主主義」諸国によって導かれた、植民地戦争及び新植民地戦争のごく日常なのである。このようにして、ヒットラーの率いるドイツが降伏する1945年5月8日、「キリスト教民主党」、「社会党」、「共産党」が占めるフランス政府は、市民の一部がこの政府の「国家解放」の演説を文字通りに受け取っていた、アルジェリアの都市・セティフとコンスタンチンにおいて、爆弾投下による2万人以上もの死者を出す。そして更に2年後、同政府はその搾取をマダガスカールにて一新、今度は8万人の死者を出すに至るのである。
労働者階級の敗北と資本主義の反革命
しかしながら、世界のブルジョワジーは、地球を揺るがしていた労働者階級のこの巨大な動きを抑制することに成功した。自らの消失の展望を抱かせる恐怖を乗り越えながら、ブルジョワジーは、持ちうる全力を闘いへ傾け、いかなる罪の前にもひるがないことによって、傷を負った野獣のように振舞った。
唯一プロレタリアのみが、資本主義に終止符を打つことができる
そして、これほどの大変動を実現することができるのは、唯一労働者階級しかいない。社会において、資本主義の基盤を、中でも第一にこの制度の危機の中心にある商品生産を、根本的に攻撃することに実際的利益を持っているのは、労働者階級のみである。何故なら、資本主義生産における商品の支配である市場が、まさに彼らの搾取の根源だからである。農業主や職人等その他の部門の生産者とは逆に、労働者階級に固有な性質とは、生産手段を有せず、それら生産手段の保有者に、生きる為に自らの労働力を売ることを余儀なくされていることにある:その保有者とは即ち、私的資本家、或いは国家である。それは、資本主義制度において、労働力自体が一つの商品となり、それのみかあらゆる商品の中でも最も重要な本質的商品になったからであり、まさにその為にプロレタリアが搾取されているのである。資本主義的搾取に対するプロレタリアの闘いが、賃金労働の廃止と、それに従いあらゆる形態の商品の廃止とを必然的にもたらすのはこの為である。その上、この階級は今日社会の富の大部分を生み出す。それは集合的枠組の中で、資本主義自身によって発達させられた共同的労働のお陰で成される。しかし資本主義制度は、個人的小生産を害してとりかかった、生産の共同化を最後まで遂行し遂げることはできなかった。