ICConline - 2015

パリの虐殺 - テロは腐りゆくブルジョア社会の表れだ

カブー、シャルブ、ティグヌー、ウォリンスキ。20人の犠牲者をだした1月7日と9日のパリでの攻撃において、この4人は象徴的な存在だった。これら4人は最重要目標だったのだ。しかし何故?この4人は愚考よりも知性を重んじ、理性を持って狂信に立ち向かい、服従に対して反抗し、勇気をもって臆病を乗り越え1、憎しみを超え共感し、なにより、順応主義やくだらない独善的な正義に対するユーモアと笑いという素晴らしい人間性を持ち合わせていたからだ。私たちは、このうち何人かの政治的ポジションの極めてブルジョア的な部分を否定し対立するだろう。このうちの何人かはまったくブルジョア的だ2。それでもこの4人が最高であることに変わりはない。風刺画家あるいは買い物客が、ユダヤ人であったがためだけに射殺された今回の野蛮な暴力事件はフランスのみならず、世界中で極めて強い感情を引き起こしたことはまったく理解できる。ブルジョア民主主義の公式な代表者たちのこうした感情を利用するやり方によって、多数の人々が憤り、怒り、そして深い悲しみにとらわれ、1月7日に衝動的に路上へと繰り出したことが、人間にとって、この卑劣な野蛮行為に対する極めて基本的かつ健康的な(自然な)反応であったという事実を覆い隠すことは許されない。

資本主義の腐敗の産物そのもの

テロリズムは古くからある3。以前と違うのは、現代のそれが80年代以降のかつてないグローバルな現象がもたらした形をとっていることだ。1985、86年にパリを襲った一連の無差別攻撃は、小さなグループによる単独の犯行ではなく、明らかに政府が関与し、これまでとは比べ物にならない数の犠牲をもたらす新たなテロの利用を開始した兆候があった。

狂信的なイスラム主義者たちによるテロ攻撃は今に始まったものではない。今世紀だけでも今回のパリ以前からさらに大規模なテロが起こっている。

2001年9月11日ニューヨークのWTCビルへの航空機による自爆攻撃によって、新しい時代へと突入した。我々から見れば、アメリカの政府機関が、アメリカの帝国主義的権力を正当化し、アフガニスタンとイラクへ戦争を仕掛けることができるように、攻撃をわざと見逃したか、あるいは積極的に手を貸したことは明白だった。ちょうど1941年12月、日本のパールハーバー攻撃を予見したルーズベルト大統領が、アメリカの第二次世界大戦への参戦根拠として利用したように4。一方で、航空機を乗っ取た(乗っ取った)人間が、大量の人間を自らの犠牲によって殺害することで天国へ行けると考えた、妄想に満ちた狂信者であったことも明白だった。

それから約2年半後の2004年3月11日、マドリッドは虐殺の場となった。アトーチャ駅でのイスラム主義者による爆弾は200人の死亡者と1500人以上の負傷者をもたらした。犠牲者の体は、DNA鑑定でようやく特定できるほど変わり果てた姿となり、列車内でも56人の死者と700人の犠牲者が生じた。ロシアも、2010年3月29日の39人の死者と102人の犠牲者のほか、21世紀に入って、数回のイスラム主義者による攻撃を経験した。そしてもちろん、周辺諸国も例外ではなかった。とりわけ、2003年にアメリカに侵略されたイラク、そして昨年12月にパキスタン・ペシャワールの学校では、132人の子供を含む141人の犠牲者が出た5。

意図的に子供たちを狙ったこの攻撃は、ジハードに従うものたちのエスカレートする野蛮を示している。対するパリでの1月7日の攻撃は、それよりも幾分少ないものの、新たな野蛮の局面への展開を見せている。

以前のケースはどれも、聞くのも嫌になるほどの子供を含めた一般市民の殺害であってもいくらかの「理性」(「合理性」)のあるものだった。報復か政府とその軍事力に対して圧力をかけるためだ。2004年のバルセロナでの虐殺は、アメリカに協力してイラクにかかわったスペインへの「お仕置き」のためだった。2005年のロンドン爆破も同じことだった。ペシャワールでの攻撃は、パキスタンの子供たちを殺害することでパキスタン軍に圧力をかけることが目的だった。だが、1月7日のパリでの攻撃はほんのわずかな幻想的「軍事目標」さえもなかった。風刺画家シャルリー・エブドとその同僚たちは、ムハンマドの風刺が(風刺画)が出版されたことへの「預言者のための復讐」として殺さた。それは戦争によって荒廃、あるいは半啓蒙主義的宗教(宗教的反啓蒙主義)に支配されている国ではなく、フランス、あの「民主的で、世俗的、共和的」フランスで起こったことだ。

憎しみとニヒリズムは人々を、とりわけあえて、自らの命の犠牲の上に可能な限り多くの人を殺害しようとするテロ活動に駆り立てる鍵だ。この憎しみは、人をして、無関係な人々もお構いなく巻き添えにする冷酷な殺人マシーン-国家(の歯車)-に変えてしまう。1月7日のパリでは、純粋な半啓蒙主義的(反啓蒙主義的)憎悪と復習(復讐)への狂信的渇望をはなかった(はなかった)。その標的は、自分と同じような考えを持たない他者に、考えることをやめた人間に、いわば人類に正しい教えを施す実践 だった。

だから1月7日の惨劇はこれほどの衝撃を与えたのだ。ある意味、我々は、文明的な国の人間の頭(「文明的」国家において教育を受けた人間の精神)が、あたかも狂信的なナチスの人間が、本を燃やし、ユダヤ人を絶滅に着手したような野蛮で支離滅裂な計画をすることができるのだろうか、とういような(というような)信じがたい考えに直面しているのだ。

しかもそれだけにとどまらない。最悪なのは、今回のクアシ兄弟、アメディ・クリバリーと共犯者たちによる極端な行動が、貧しい人たちの間で起こっている運動、つまり数多の若者たちの間で、「シャルリー・エブドは預言者を侮辱するために描」き、そのような風刺画家たちを殺してしまうのは「あたりまえ」と考える運動の一角に過ぎないことだ。

これも野蛮の進行、我々の「文明的」な社会の破綻の兆候だ。こうした若者(移民に限らず)たちの憎しみと反啓蒙的宗教への傾倒は、資本主義社会の腐敗における症状のひとつだが、とりわけ現状の危機をとりわけ(←トル 重複しているので。)しめすものだ。

今日、世界中の(ヨーロッパ、とりわけフランスも)多くの未来もなく、混乱と混沌に生き、代々続く間違い(代々続いて成功を得られず)、文化的、社会的貧困によって侮辱されている、社会に適合できない若者たちが、「ジハード」のためのヒットマンや鉄砲玉を求めている恥知らずのリクルーター(それはしばしばISISのような国や政治機構とつながった組織であったりする)たちの餌食となっている。現在の資本主義の危機(経済的のみならず社会的、モラル、そして文化的危機でもある)に対する展望をもたない彼(女)らが、腐り行き、あらゆるところから膿が噴出する社会では若者たちの多くの人生は無意味で無価値なもののようだ。彼(女)らの絶望はしばしば宗教的盲目や狂信的服従、自殺的ニヒリズムによってあらゆる非合理的で極端な行動を引き起こす。衰え行く資本主義社会は恐ろしいことに、膨大な少年兵を育てている(たとえば1990年代以降のウガンダ、コンゴ、チャド)。そしてそれはヨーロッパのど真ん中で若いサイコパス、心に鈍感で最悪の行為を報償を期待することなく行うことができる、冷酷でプロフェッショナルな殺人者たちを育てている。簡潔に言えば、この病的で野蛮なダイナミズムに任せるままの、腐り行く資本主義社会は人類全体を血にまみれた混沌-残忍な狂気と死に追いやるのみだ。テロリズムの増大からわかるように、こうした社会は自暴自棄に陥った殺人的個人を次から次に生み出す。短く言えば、この社会では鋳型でテロリストたちを生み出しているようなものだ。このような「モンスター」たちが存在するのは、資本主義社会が「モンスター」となったからに他ならない。 すべての判啓蒙主義(反啓蒙主義)とニヒルな流行に感化された若者たちがただちにジハードに参加するわけではないとしても、彼(女)らの多くが、「英雄」あるいは「正義」の使者として飛び込む人たちを尊敬し、絶望と野蛮の増す侵略社会の証人を構成していることは事実だ。

醜悪な「民主主義」の回復

しかし資本主義世界の野蛮はテロ行為とそれに同情を見せる若者だけに見られるわけではない。ブルジョアがこの物語を回復しようとしているという醜悪な形でも見られる。

この原稿を書いている時点で、「民主的な」指導者たちによって率いられている資本主義世界は限りなく下劣な行動を取ろうとしている。1月11日日曜日、パリでは巨大な路上デモが計画され、オランド大統領を、アンジェラ・メルケル、デイヴィッド・キャメロン、スペイン、イタリア、ヨーロッパ諸国といった各国の政治指導者たちのみならず、ヨルダン国王、パレスチナ自治政府大統領のマフムード・アッバース、イスラエル首相のベンジャミン・ナタニイェフも参加した6。

何百万もの人々が自発的に繰り出した1月7日の夜、フランソワ・オランドを皮切りとした政治家たちとメディアは「報道の自由と民主主義が脅かされている」、「我々は一丸となって共和国の価値を守らなければならない」とキャンペーンを開始した。さらに、こうした一連の1月7日の出来事に続き、我々は、「汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」の歌詞とともに「国家統一」、「民主主義の防衛」を唱えながらフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の歌声を聞いた。これらは支配階級が我々の頭に叩き込みたがっているメッセージだ。言い換えれば、20世紀の2度の世界大戦時のに起こった数多の労働者への威圧と虐殺の(強制と虐殺を)正当化したスローガンのことだ。ホランドはまた、その最初のスピーチで、アフリカ、特にマリに軍を派遣したことで、フランスは既にテロとの戦いを開始したと述べた(まさにブッシュが2003年のイラク介入時に同じ目的を説明したときのように)。フランスブルジョワジーの帝国的関心は明らかに介入ではない!

哀れなカブー、シャルブ、ティグノー、ウォリンスキ!最初に狂信的なイスラム主義者たちは彼らを殺害した。彼らは政治的代表者やブルジョア「資本主義」の「ファン」たちによって二度殺されなければならなかった。人間社会を侵す野蛮の現況となっている腐敗する世界システムのすべての国家元首たち。資本主義。そしてこれらの政治指導者たちは、システムの利益、支配階級とブルジョアジーを守るためならテロの利用、暗殺、市民のに対する(市民に対する)実力行使をためらわない。

2015年1月にパリで起こった野蛮は野蛮を生み出している経済システムの支援者と保証人によって終わることはない。野蛮は世界のプロレタリアがこのシステムをひっくり返すによってしか終わらない。いわば、社会の富の大部分と関連している階級によって、利益、競争、そして人間の人間による搾取に基づかない、人類先史(人類前史)からの伝統を廃した、真にユニバーサルな人間の共同体に代替されることによってだ。社会は「各人の自由な発達できる連合は、すべての人の自由な発達の条件7」、共産主義社会となる。

S

レヴォルシオン・インテルナシオナール(2015年1月15日)


1968年にウォリンスキは、労働者たちは革命を求めるのに対し、労働組合の人間は「正気なのかい、政府と上司が許すはずがないだろう!」と答える風刺画を描いた。

1 何年もの間、この風刺画家は定期的に殺害の脅迫を受けていた

2 「5月革命家」ウォリンスキの風刺画は数年にわたり、共産党機関紙「L'Humanité」に掲載されていたではないか? 彼自身「私たちのようにならないために1968年5月を起こした」と描いたではないか?

3 19世紀、国家に対して反乱を起こしたロシアの大衆主義者やフランスやスペインのアナキストのような少数派たちは、テロ行動に訴えていた。これら不毛な暴力行動は、常にブルジョアたちの反労働運動の正当化と弾圧の合法化に利用されてきた。

4 我々のウェブサイトを見よ。「パールハーバー1941 - 《ツイン・タワー》2001・アメリカブルジョワジーのマキャヴェリズム」 https://en.internationalism.org/ir/108_machiavel.htm

5  しかもパリ攻撃のわずか数日前に、ナイジェリアのイスラム教ボコ・ハラム派は

最大2000人に及ぶバガ住人を無差別に殺害するという最悪の虐殺に走った。これをメディアは最低限しか報道していない。

6 「国家団結」の掛け声は労働組合と政党の一致しているが(NF国民戦線だけが参加していない)、メディアもそれに迎合している。スポーツ誌であるL'Équipeですらデモを呼びかけている!

7 マルクスー共産党宣言, 1948

日本帝国主義の攻撃態勢への省察

私達はつい最近、日本の読者から、嬉しいことにメッセージを受け取りました。

ジアおける新たな帝国主義的超大国としての中国の興隆と、悪化を繰り返す韓国および北朝鮮と日本の間の緊張に直面してきました。日本の帝国主義はアメリカの軍事力に強く依存している一方、独自の野望も持っている。長年に渡り日本は自身の領海権外への干渉を少しづつ強めてきた。最初はペルシア湾でのアメリカ軍への非武装補給支援という形で、次にアデン海峡に軍事部隊を派遣した。同時に、海上自衛隊は南東アジアでの軍事行動への関与を強めてきた。自衛隊は常に近代化され続け、防衛費を増大させている。最近中東で殺害された二人の日本人民間人は日本の帝国主義にとってその軍事的野望を強化する格好の材料となった。こうした近年の日本の軍事主義化に対して平和主義的視野を持つ人たちが増えているとはいえ、革命家たちは、軍事主義という癌に対して平和主義的解決法はなく、システムそのものをひっくり返す他ないということを強調しなければなりません。

 

 私達は読者の分析を送ってくださることを歓迎します。

 

「イスラム国」は、拘束していた日本人、湯川遥菜さん、後藤健二さんを殺害した(1月24日、31日 ネットで公開)。

 

 二人の即時解放を願い連日のように行われていた集会・デモは、全国規模での追悼行動となった。

 

 遅くとも昨年末、衆院選以前に日本政府は二人の拘束の事実を掴んでいた。

 

 そうした中で安倍晋三首相は1月17日、訪問先のカイロでの中東政策演説で、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため」「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」すると「約束」した。また「中東全体を視野に入れ」、「非軍事分野に25億ドル相当の支援を、新たに実施」すると強調した(日本国・外務省ホームページ)。

 

 1月20日の「イスラム国」による「72時間以内に2億ドル払わなければ二人を殺害」するとの脅しは、この安倍スピーチと日本政府の姿勢への応答である。

 

 安倍首相は6日間の中東歴訪で、日本の首相として9年ぶりにイスラエルを訪問し、政府高官と日本企業幹部約100人が同行したといわれる(1月19日 AFP)。

 

 「ブッシュの戦争」ーアフガニスタン(2001年)・イラク戦争(03年)を起点に、昨年のイラク・シリア空爆と、現在も中東において殺戮と侵略の道をひた走る「米国との同盟を進展させ」(2015年12月17日 「国家安全保障戦略」)ながら、日本は英、仏ほか60カ国と共に「有志連合」に加わっている。

 2月12日の施政方針演説においても安倍首相は「テロと戦う国際社会において、日本としての責任を、毅然として果たしてゆく」ことをあらためて強調した。

 

 一方、ソマリア沖・アデン湾海域の「海賊対策」を名目として設置された自衛隊のジブチ拠点(東アフリカ)の事実上の基地化が目論まれており(1月19日 朝日新聞)、日本は中東・アフリカを睨んだ独自の軍事的足がかりを固めつつある。

 

 安倍政権が唱える「積極的平和主義」「地球儀を俯瞰する外交」が意味する好戦的侵略的内実は明らかだ。

 米国主導の「有志連合」による「イスラム国」ーイラク・シリアへの空爆再開ー地上戦開始を許さず、「テロと戦う」ことを口実とした集団的自衛権行使容認や安全保障関連法案の成立、日米ガイドライン再改定、自衛隊派兵を阻まねばならない。

 

 「イスラム国」による限りない蛮行はまず糾弾されるべきである。

 しかしながら「イスラム国」の台頭が、この「文明的」世界のシステムー現代資本主義に因ることを忘れてはならない(米ソ冷戦体制終了後、中東地域に牙を剝いた支配階級・ブルジョアジーの暴力、虐殺と破壊を。欧米におけるムスリム系の人々への差別・収奪と貧困の強制を)。

 さらに世紀を遡っての、ヨーロッパ対中東、支配/被支配の政治的経済的検証を、資本主義批判として明らかにする必要がある。

 

 1月7日パリの惨劇以降より鮮明となった「反テロ」大連合ーブルジョア「民主主義」(「パリの虐殺ーテロは腐りゆくブルジョア社会の表れだ」 https://en.internationalism.org/icconline/201501/11878/massacre-paris-te...)の腐敗と、これに追従する「左翼」諸勢力の混乱を批判し、国際主義とプロレタリアートの前進によって、中東地域における<野蛮>と<野蛮>の衝突を終わらせなけばならない。