ICConline - 2012

フクシマ ー 地球規模の災害

2011年3月11日、日本の東海岸は過酷な津波に襲われた。建物の高さにまで達した波は、あらゆるものを洗い流した。2万人(原文ママ)を超える人々が死に追いやられ、なお数千人が行方不明のままとなっている。多くの人々は家を失った。人類の大部分は海岸やその近くに居住している。これらの地域に住む人々は、ごく狭い地域にひしめき合い、加速し続ける海面の上昇に晒されている。津波の引き起こす洪水は、これら高密度の居住地域をあっという間に洗い流してしまうことを示した。

日本政府のあらゆる期待を裏切り福島原発は制御不能に陥った。たった一回の地震と津波は海面上昇の時代に海岸沿いに居を構えることと、支配階級による原子力の扱いの潜在的な危険性を明らかにした。今記事では紙面の都合上、福島原発の炉心溶融のその後に注目を当てているが、それは津波がもたらした破滅的な結果を無視するためではない。

 

チェルノブイリ、福島: どこの支配階級も無反省で救いがたい

 

遅すぎた上に範囲も十分でない住民の避難が福島原発で炉心溶融の後に始まった。津波が原因で避難をさせる方法がなく遅れたという主張で説得することはできない。政府は危険を小さくみせるために大規模な避難をさせたくなかった。電力会社と政府の原発運用の責任者たちが、今回のようなシナリオを想定しておらず、この規模の地震とそれによって引き起こされる津波に無力なことが突如として明らかになった。計画されていた緊急措置と危機回避の方法は全く不適当で、ハイテク国家日本が救いがたいほど無力な巨人であるとの印象を与えた。

震災発生から数日後、政府内で東京とその周辺の3500万人の避難が必要になる可能性が検討されたが、これは、単に実行する方法に欠けるだけでなく、国家の終焉の危機を演出をしかねないため即座に却下された。

福島原発とその周辺では致命的な放射線量が記録された。事故直後、菅元首相は建屋と炉心内の圧力を逃がすために必要な、作業員による決死隊の結成を要求した。貧弱な防護装備の労働者たちは現場に踏み込んだ。「線量計を持たされない時もあった。適切な防護ブーツがないときもあった」。ある労働者は、(適切なブーツがないため)作業員たちはセロハンテープでプラスチック製のバッグをブーツの周りに巻かなければならなかった、と述べた。作業員同士およびコントロールセンターとのコミュニケーションが全くとれないことも頻繁にあった。作業員の多くは敷地内で鉛のブランケットを羽織って寝なければならなかった。緊急時の原発での男性作業員の被曝限度線量は年間100mSvから250mSvに引き上げられた。いくつかのケースでは作業員は何週間、何ヶ月もの後に初めて健康診断を受けることができた。

25年前のチェルノブイリ原発事故の時、崩壊への道を進んでいたスターリニスト政権は事故収束に立ち向かうのに、膨大な数の兵士を投入する以外の方法を見いだせなかった。WHOによると60万から80万人のリクヴィダートル(原発事故収束のための強制労働者)が投入され、その内の多くが放射線被曝かそれによる癌で死亡したか、病気に冒されている。政府はいかなる信頼に足るデータも公表していない。

25年後の現在、ハイテク国家日本は必死で「火事」の消火に努めている。消防ホースだけでなく、ヘリコプターによる散水まで用いて冷却を試みている。計画とは裏腹に、TEPCOは設備冷却の為に大量の海水を使用し、汚染水を海に放流することを余儀なくされている。25年前にスターリニスト政権が何十万のリクヴィダートルを強制徴用したのに対し、日本では経済的困窮が何千人もの労働者たちへ自分たちの人生を危険に晒すことを強制している。TEPCOは大阪、釜ヶ崎のようなとりわけ貧しくホームレスや日雇い派遣労働者が集まる地域で人員募集をし、多くの場合、リスクや働く場所を知らされない。

リクヴィダートルだけでなく、住民も生命の危険に晒された。特に放射能汚染地域の子供たちは高線量に晒された。放出量が過去最高を大きく上回ったため、政府は福島における子供における年間20ミリシーベルトの被曝までを「安全な線量」とすることを決定した。

スターリニスト政権下のロシアでは指導者層は皆、最初の数日間、チェルノブイリでの大事故について沈黙を守ろうとしたが、民主主義日本の政府は同じく、破局の全貌を隠すことに決めた。日本の指導者層はチェルノブイリ事故の際のスターリニスト政権と遜色のないシニシズムと人命軽視を披露した。

今のところ事故の長期的な経過を現実的に評価するのは不可能である。メルトダウンとは、溶けた燃料棒が超高線量の固まりとなって、圧力容器を突き破ったことを意味する。冷却水は極度に汚染され、なお半永久的な冷却を必要とし、次々に新たな莫大な量の汚染水を追加する。水だけでなく、「露出した」炉心が放出する放射性セシウム、ストロンチウム、プルトニウム同位体もだ。これらは「ホット・パーティクル」と呼ばれ、東京はもちろん日本中で検出されている。福島に溜まった核廃棄物処理を可能にする技術的目処は当面のところ立っていない。冷却プロセスは何年あるいは何十年にもおよぶ。チェルノブイリでは石棺を建設する必要があったが、これは近いうちに崩壊する運命にあり、新たなものに置き換えなければならない。これまでのところ福島の事故ではなんの解決も見いだされていない。しかし汚染水は溜まる一方で、当局はそれをどこに捨てればいいのか全くわからないでいる。多くの汚染冷却水は直接海に垂れ流されている。海流は太平洋全体に及び、それが食物連鎖を通じて人類にどのような影響をもたらすのかまだはっきりと知ることはできない。世界的に豊潤な漁場として知られている日本の北部太平洋沿岸は影響を受けているし、ベーリング海峡の鮭も影響を受けるかもしれない。(福島の北東沿岸沖には二つの潮の流れが交わっている。暖かい黒潮と冷たい親潮だ。ここは日本でも最も漁獲に適した地域となっている。日本の魚消費のおよそ半分がここで穫られる。日本の魚供給は危機にさらされるだろう)[1]

「いまだかつて海で、これほどまで高濃度の放射能汚染が検出されたことはない」。[2]

日本の汚染地域における人口密度はウクライナの同地域の15倍にも達するため、住民にどのような影響が現れるのか評価ができない。

今回のメルトダウンは核事故の結果が全く制御不能であることを明らかにした。責任者はせいぜいペストかコレラかを選べるにすぎない。ただ指を加えてメルトダウンが起こるに任せるか、注水による更なる汚染の拡大を受け入れて現場を海水で冷やす努力を続けるかだ。救いがたい政府は、著しく汚染された冷却水による海洋汚染を選んだ。

 

除染: 問題は解決するどころかより酷くなる

 

汚染された周辺の土壌を処理する試みは無責任と無道徳さを露わにした。2011年8月、人口約30万の福島市は市内334箇所の学校の校庭と保育施設を除染した。だが、市は汚染土をどこに処分すればいいのか皆目わからない。福島県郡山市の例では学校の校庭の表土を埋めただけだった。東京を含む17都道府県では汚染スラッジの報告があり、どうやって除去するのか見当がついていない。東京からわずか20kmの地点でも汚染された土壌が記録された。(訳注:柏市周辺のホットスポットを意味している。)何千もの建物に付着した放射性物質を洗浄する必要がある。山林もおそらく、伐採して徹底的に除染する必要があるだろう。日本のメディアは、政府が膨大な量の核廃棄物用の中間貯蔵施設を計画していると報じた。方法が他に見つからないので放射能ゴミが(通常の焼却施設で)燃やされている。これは排煙によって更なる汚染の拡大に繋がる。この絶望的な量のゴミは、除染が不可能なことを明らかにしている。[3]

 

核廃棄物処理 ー 地獄の遺産かそれとも:ノアの大洪水の後

 

原子力による発電の特徴は、核分裂のプロセスが発電所が運転を終えた後も続き、放射線の放出が終わらないことにある。発電所から出る廃棄物をどうすればよいのだろうか? 放射性物質に触れたものはすべて汚染されてしまう。

世界原子力協会によると毎年1万2千トンほどの高レベル放射性廃棄物が蓄積され、2010年末で世界中で30万トンも溜まっている。いくつかの国で既に運営または計画されている、旧採鉱施設を利用するなどした貯蔵施設は目下の対処でしかなく、その危険性は特別に隠されてきた。ドイツのアッセには、いずれ周辺の岩塩に浸食されることになる12万5千個の放射性廃棄物入りの容器が貯蔵されている。容器からは現時点で既に放射性溶液が染み出してきている。専門家たちはゴアレーベンにある中間貯蔵施設の地盤が崩落する危険があることを突き止めた。同様の危険は世界中のほぼすべての処理場にもある。言い換えれば、原発の運転時と同様の大きな危険が、核廃棄物処理でも全く未解決の問題として残っている。現在の責任者たち処理場ないし中間貯蔵施設あるゴミを何十世代にもわたる未来に押し付けている。

そして通常運転時の原発も、原子力業界が主張するようにきれいなわけではない。事実として発電時の燃料棒冷却に莫大な水を必要とする。このため原発は主に海岸や河岸に建設される。14カ月ごとに炉心内1の燃料棒のうち1/4が取り換えられる。取り換えられた燃料棒は引き続き高温を示すため、交換後2-3年は、いわゆる冷却プールに貯蔵しなければならない。川および海に流し込まれる冷却水は周辺の海(川)の温暖化を引き起こす。海(川)草が発生し、魚は死ぬ。さらに原発からはナトリウム、ホウ酸、アンモニアといった化学物質も海(川)に流れ込む。

 

事故後約1年ー責任者たちはいずこへ?

 

権力者は問題の根源を明らかにすることに関心を抱いているだろうか?明らかに抱いていない!実のところ、福島原発の建設計画全体が地震と津波の危険に対応していない。事業者である東京電力はこれまでに多くの事故をウヤムヤにし、安全対策の不備への批判を受け付けてこなかった。そもそもこの発電所は運転開始後40年をもって閉鎖されなければならなかった。日本政府は極度に産業界に干渉し、日本経済は、日本の資本の競争力を強化するため、経済産業省の干渉を受けていることで知られている。そして原子力についてはほとんどフリーパスを与えている。当然、監査報告のごまかしや、事故の過小評価が明らかになった際、なんの責任も取らなかった。他方、競争圧力と経済危機の重みによって、メンテナンスや運営への投資と資格を持った要員の投入は少なくなる一方だ。資本の危機は訓練された人員の不足させ、安全基準が下がっているため、原子炉をますます不安定なものにしている。

世界中で運転中の442の原発の多くが、地震の危険のある場所に建てられていることによって危険はさらに増す。日本だけでも50を越える原発が地震危険地帯に建てられている。アメリカ合州国では少なくとも1ダース以上の原発が同様の危険地帯にある。ロシアでは多くの原発が地震の際の自動停止装置なしで運転中だ。トルコではアックユの原子炉がEcemis活断層のそばに建てられた。インドと中国は世界中の新規建設計画の多くを占めている。地震活動が活発な中国では27ヶ所の原発の新規建設を進められている。危険リストはさらに続く。資本主義は、自然の脅威を顧みるかわりに、至るところに時限爆弾を仕掛けている。先進国ですら不十分な安全基準しか設定していないのだから、原発をこれからつくろうとする国々の安全基準と事故対応の経験は推して知るべしである。この地帯で事故の際に何が起こるのか想像しがたい。

その上古い原発の運転寿命は伸ばされる。アメリカ合州国では60年まで伸ばされた。ロシアでは45年。世界中で、各国の原子力産業の管理の不備を補うための国際監視機関の介入に基づく安全基準の強化への根強い抵抗がある。各国は自分たちの好きに安全対策を取っている。

まとめ:福島での事故にも関わらず、人類は、至る所でいつ地震や、人為的ミス、テロ、とりわけ新たな災害で発動しかねない原子力の時限爆弾の上で生活し続ける。

 

原子力発電ー安価でクリーンで代替不可能 自然と社会の犠牲の上に成り立つ利益

 

相変わらず原子力産業の支持者たちは、原子力は安価で、クリーンで、そもそも代替方法がないという議論を展開している。事実は、原発の建設は莫大な金額を飲み込み、電力料金によって都合しなければならない。が、結局のところ補助金という名の税金によって補填される。核廃棄物処理によって運営会社は甘い汁を啜り、かかるコストは社会に押し付けられる。廃棄物の処理についてまったくなんの見通しもないことから、原子力ロビーによるコスト計算に廃棄物処理が含まれていない。もちろん、原発が約50年を過ぎてその運転を終えた後、この含まれていない莫大なコストが生じる。

原発の故障や暴走事故でも同じことが言える。これらのコストも社会に転嫁される。福島では今後のコストがどの程度になるのか、現実的な計算ができない。これまでの時点で2-3兆円と見積もられている。このコストを東京電力が負担することはできない。日本政府は、東電社員を犠牲にすることを条件に「救援」することを既に約束した。年金と給料は減額され、何千もの社員が解雇される。更に国家予算の特別枠も設けられるだろう。

環境経済的観点から見ても、運営コストと解決の目処も経っていない廃棄物処理問題は確実に底なしだ。あらゆる視点から見て、原子力は常軌を逸したプロジェクトだ。原子力業界は発電のために膨大な資金を得る一方、「追加コスト」を社会に押し付ける。原子力発電は、利益と人類と自然の長期的な保護の間の克服不可能な対立を体現している。

 

危機と自然の乱獲

原子力だけが自然環境にとって危険なのではない。資本主義は自然の乱獲をその商いとしている。資源の持続性などお構いなしに収奪し、自然環境をごみ捨て場同然に見なしている。今日、全体が居住不可能となった地域が次々に増えている。海はごみだらけだ。進化する採掘技術の助けによって資源は収奪しつくされ、破滅の潜在的危険は大きく増大した。2010年の4月にメキシコ湾で石油採掘プラットフォーム、ディープウォーターホラインズンが爆発した後、調査委員会は、安全規定に致命的な不備があることを見つけた。強力な競争圧力は建設と施設管理そして運営に莫大な投資をしなければならない、巨大企業ですら安全に関するコストを節約に向かわせる。もっとも新しい例として、ブラジルの石油による汚染がある。こうした怠慢の全ては、技術的に遅れを取っている国々に限った話ではなくて、驚くほど発達した国々でもありうる話だ。

全人類の生存が脅かされている

 

スリーマイルやチェルノブイリと比較して福島は、歴史上始めて3500万人もの居住者がいる東京のような大都会が直接脅威に晒された。

原子力は第二次世界大戦中に軍事目的で開発された。二つの都市への原爆投下は、衰退しゆく資本主義システムの時代に、より悲惨な破壊をもたらした。大戦後、冷戦時代の軍拡競争と核兵器のシステマティックな開発は、たった一度の戦争で人類を滅亡させることができるほどの軍事力をもたらした。冷戦終結から20年以上経った今日でもなお、人類を何度も滅亡させるに足る、2万発以上の核弾頭が存在している。

スリーマイルとチェルノブイリ、そして福島によって人類は原子力の軍事利用によってだけでなく、発電のための「平和的」利用によってもの生存を脅かされていることが明らかになった。 日本政府は福島原発事故で広島での原爆投下時の168倍のセシウム137が放出されたと推定した。セシウム137の総放出量は1万5千テラベクレル、広島のリトルボーイで放出された量はわずか89テラベクレルだった。

災害発生後のすべての成り行きは、天井知らずの災害対策のコストを前に責任者たちが事後の責任を取らず、右往左往していることを示している。まったくおかしい。原発に限らず、環境保護全般で支配者たちは常に身勝手を示してきた(ダーバンサミットを見よ)。環境破壊は規模を増し、支配者たちは方向転換をし適切な対策を取ることができないでいる。この惑星と人類は利益の祭壇の前の生贄となっている。

資本主義が地球の生命を滅ぼしてしまうのが先か、労働者階級をはじめとする搾取、抑圧されている人たちがそのシステムを克服するのが先か、時間との争いが始まった。資本主義は人類を様々な領域(恐慌、戦争、環境問題)で脅かしているため、反原発だけというように、資本主義の本質の一面だけを指向することにあまり意味はない。重要なのは、資本主義がもたらす恐ろしいシナリオと資本主義システムの根本との間にある関係を認識することだ。闘いを、とりわけ80ー90年代に(反原発運動、スクォッター、反NATO軍拡運動といった)枝葉の運動が闘いを率いたような、いわゆる「シングルイシュー運動」に任せてしまうのは致命的だろう。今、システムが破産したことを世界に示すことが何よりも重要だ。危機と戦争、そして環境破壊の関連性を見逃せば、間違いなく漸進主義の薄氷の上にたどり着き、システムに吸収される危機に晒される。。


[1]福島の北東沖は暖かい黒潮と冷たい親潮が合流し、世界でも最も豊漁な地域となっている。日本の魚消費の半分をこの一帯が担う。そのため漁業は危機に陥ることになる。

[2]         https://www.ippnw.de/commonFiles/pdfs/Atomenergie/Zu_den_Auswirkungen_der_Reaktorkatastrophe_von_Fukushima_auf_den_Pazifik_und_die_Nahrungsketten.pdf

[3]日本の環境団体の発表によれば、日本政府は福島一帯の汚染された瓦礫 を全国各地で焼却しようとしている。環境省は、3月の災害による、岩手、宮城、福島の建造物瓦礫の量をおよそ2380万トンと見積もっている。毎日新聞によると、11月初旬に、岩手から東京に向けおよそ1000トンほど初の瓦礫輸送が行われた。岩手県は瓦礫には133bqkgの放射能が含まれると見積もっている。3月以前には(焼却、輸送が)違法だった量だが、日本政府は7月に廃棄物の安全基準を100bqkgから8000bqkgに引き上げ、さらに10月には10000bqkgに引き上げた。東京都は50万トンの瓦礫を受け入れると発表した。

 

日中帝国主義の衝突

日中帝国主義の衝突



 2012年に始まった、尖閣諸島を巡る争いは、極東最大の大国同士の敵対的な野望と緊張をもたらした。世界で最も多くの人口を抱え、世界第二位の経済力をもつ中国と、同じく第三位の日本両国は、互いにこの諸島を巡る緊張をエスカレートさせ、自らの力を示すため、兵力を動員してきた。これは日中およびアジアのみならず、世界全体にとって、間違いなく深刻な問題だ。

 この両巨頭のみならず台湾も同諸島の領有権を主張している。尖閣諸島は岩だらけで居住不可能な地にも関わらず、その戦略的価値や、潜在的な油田や天然ガス源(訳者注:レアメタルも)と豊かな漁場の存在は、同諸島の領有権の主張を決定的にエスカレートさせている。



中国:新興帝国



 中国にとって、尖閣諸島の領有権を主張し、日本と衝突しているのは、近隣諸国との対立を代表する熱い一例でしかない。近年の経済成長以来、中国はますます資源に依存せざるをえないという脆弱性を抱えるようになった。同国の船舶輸送の八割は尖閣諸島周辺を通過する。アジアにおけるいかなる海峡封鎖も中国を大いに動揺させることになる。さらに中国は、本土を超えて海のむこうまで、とりわけ南シナ海において自身の影響力を強めようとしている。[1] 主要なライバルであるインドと直面する中国は、戦略的に重要な地点にそれぞれ前哨基地を設置しようとしている。中国はアメリカや他の国の攻撃を覚悟してまで、イランとシリアを支援してきた。中国の指導者達は平和的な経済発展を望む一方、支配派閥は軍事力の増強に投資を続けてきた。唯一の超大国であるアメリカは、既に中国がアジアで最大のライバルだと理解しており、軍事的重点を東アジアに移すことを決定した。アメリカは2020年までに海軍力の60%を東アジア地域に配置する予定だ。

 その上、増大する資源需要、とりわけエネルギー資源需要は、中国の南シナ海での資源探査および採取権に関する主張を過激なものにしている。中国のこれまでの南シナ海での対立と今回の日本との尖閣諸島を巡る対立は、この国が喉から手が出るほど資源を欲しがっているのみならず、帝国主義ヒエラルキーの再編成へと名乗り出たことを示している。この国はもはやアメリカとその同盟諸国の支配的な役割を終わらせ、自国の領土を超えて利益を守ることのできる勢力となろうとしている。それゆえ、この日中の対立は極東における増大する帝国主義国間の緊張の氷山の一角に過ぎないのだ。



日本:自らの野心に執着する衰えゆく帝国



 日本はこれまで尖閣諸島の領有権を主張し、自身のプライドを、かつての帝国主義的歴史の中に新しく見出そうとしている。既に19世期末には、日本の資本は台湾、東シナ海の島々そして韓国侵略の野望へと向かっていた。今日の日本政府は、尖閣諸島の1894年の占領の歴史的正当化を推し進めている。日本のアメリカ帝国主義に対する敗北によって、この諸島はアメリカの管理下に置かれたが、1972年に日本に返還された。もちろん日本はこの地に眠るエネルギー資源を中国に譲り渡す気はないし、帝国主義の序列を変える気もない。この国は過去の呪縛から抜け出したがっている。第二次世界大戦での敗北後、日本はアメリカの傘の下に入った。激しい爆撃(広島、長崎への原爆投下と東京他各地への空襲)の後、アメリカの管理下に置かれた。日本は国外での衝突に軍事力をもって干渉することは許されないとする憲法を制定することを強制され

た。しかし、1950年代初めの冷戦の文脈において起こった朝鮮戦争によってアメリカは、ロシアや中国との対決の際に支援を得るため、日本の再軍備を余儀なくされた。北朝鮮による日本やアメリカ、韓国に対する武力行使をちらつかせた恒常的な脅迫と、中国の力の増大によって、日本は自らを矛盾する立場に置かれていると見なすようになった。アメリカへの依存から抜け出したい一方、北朝鮮と中国の軍事的脅威に対して、自国をアメリカの軍事力の下においておきたいわけだ。1989年以来この国は自国の影響力を拡大するため、若干の歩みを進めた。自衛隊は、ペルシャ湾およびインド洋で最初の「海外派兵」を経験し、アフガニスタンとイラクでのアメリカ主導の戦争で兵站面の一部を担った。日本は、インドやベトナムと共に、マラッカ海峡と南シナ海での軍事行動に参加した。先ほど、日本は、ジブチで最初の軍事基地を設立した。その自衛隊は最新の兵器を備えている。中国軍の近代化と拡大は日本に更なる軍事力への投資を促している。しかし、日本にとって中国と尖閣諸島は唯一の争い事ではない。日本は、韓国とも日本が1905年に韓国から獲得した竹島を巡って争っている。日本は北朝鮮の軍事的挑発を恐れていて、将来起こりうる南北朝鮮の統一を更なる脅威と感じている。とはいえ、日本は、中国の帝国主義の興隆こそが最大の脅威だと感じている。歴史的に日本と中国は、この地域に置ける二大帝国として対立してきた。長年に渡って中国の大部分を占領し、幾多の国民の虐殺を伴った凄惨な戦争を遂行した日本に対して、中国の支配階級は常に、日本に対する復讐の愛国主義的感情を利用している。対する日本の安倍内閣は、中国に対して、より攻撃的なスタンスを取ると表明した。

 日中間のいかなる緊張のエスカレーションは、アメリカと中国の緊張に油を注ぎ、両国およびその同盟国が対立している他の地域での緊張をさらに発展させることになる。アジア二大大国の競争は全世界に飛び火することになる!


単なる牽制に留まらない日中の衝突



 いくつかの場合、とりわけ2012年秋、いくつかの中国の都市で、尖閣諸島における日本の軍事力に対して、日系商店を燃やしたり、日系企業の工場を攻撃するなどの抗議があった。中国政府は明らかにこうした抗議を歓迎し、おそらくは直接組織すらした。

 他の政権と同じく、中国政府も、拡大する経済問題、汚染、支配派閥の汚職に対する怒りなどの深刻な社会問題から人々の目を逸らすことに熱心だ。当局が認めざるを得なかったほど「暴動」の件数は過去数年に上昇し続けている。

 中国政府は、こうした抗議を国粋・愛国主義の枠に引き戻したがっている。日本との衝突は、人々を国家に再結集させるための材料として用いられる。中国は長年にわたって、洗練された愛国プロパガンダを若い世代の頭に叩き込んできた。。長年不況に苦しみ、フクシマと津波の惨劇に直面する日本政府も同じように、人々を国家主義に引き込み、国家の元に団結させたがっている。確かに支配派閥はこうした抗議を見事に裏で操っているが、この対立を単なる経済・社会・環境問題から目を逸らすための国家主義の欺瞞だと見なしてしまうのは危険である。アジア太平洋地域最大の両国が尖閣諸島を巡って衝突し、アメリカとアジア諸国がこの争いの敵味方を見定める過程に入れば、帝国主義国同士の緊張がアジア太平洋地域全体に広がるだろう。

 両国とも互いの輸出に極度に依存しあっていて、先の衝突が原因で貿易が深刻な落ち込みを見せたのに、なぜ、支配者たちは「理性的」に国家主義の傾向を抑えようとしないのだろうか。そもそも支配者たちは「理性的」なのだろうか? 実のところ軍国主義は、資本主義の不治の病なのだ。資本主義は一国の力よりはるかに強力なのだ。資本主義は平和的に経済競争をすることを許さない。過去一世紀にわたってシステムは人類をますます野蛮になってゆく戦争へと引き込んだ。第一次世界大戦の主要な戦場はヨーロッパだった。アジアはこの時点ではまだ戦場から幾分遠くにいた。しかし第二次世界大戦では、アジアの広大な地域が主要な戦域となり、何千万の命が失われた。ベトナム戦争に先立つ朝鮮戦争は、1950年代の最も凄惨な対立の一つだ。ソ連の崩壊とアメリカ帝国主義の衰退に続く形で、中国帝国主義が力をつけ、アジアの帝国主義レースに挑戦することが可能になった。アジアにおける中国のライバルたち(日本、韓国、ベトナム、フィリピン、インドなど)は、中国の更なる勢力拡大を防ぐため、アメリカの軍事支援を望んでいる。日中の先日の衝突は、この地域全体で増大する一連の緊張のひとつに過ぎない。



私たちのとるべき態度は?



 私たちは政府の国家主義的政策に従い、大量虐殺に備えるべきだろうか?いや、そうすべきではない。国家主義、国粋主義、愛国主義はプロレタリアの墓場だ。克服不能な経済危機、終わりのない戦争への道、排外主義、労働者階級の貧民化、地球環境破壊といった人類が直面している問題を国家主義では解決しえない。国家主義の罠に嵌れば、人類は淘汰されるだろう。20世紀だけでも、2億人が終わることなき一連の戦争によって殺害された。現在の生産様式から抜け出すことによってのみ私たちは、この社会が追い立てるこの袋小路の野蛮から抜け出すことができる。

 これこそが労働者階級、とりわけ若い世代の労働者階級がそれぞれの国の社会運動に送らなければならないメッセージだ。日本では福島の惨事に対して幾多の抗議が行われ、経済危機の惨状に対する怒りも増している。[2] 中国では、信じがたい搾取とおぞましい環境汚染に対する多数の労働者ストが起こっている。[3] 

 アラブの春、スペイン、アメリカ、ギリシャ、バングラデッシュなど、高い失業率、貧民化と職場での増大する重圧に苦しむ労働者階級の人々がいる多くの国々では、国家の下に団結する国家主義ではなく、階級対立が解決策となる。私たちはこの危機と野蛮を、「国外の競争相手」の所有する商店や工場を燃やしたり、国外のライバルたちの商品のボイコットを呼びかけたり、あるいは制限したりすることで乗り越えることはできない。労働者階級の名の元、国家に対する国家ではなく、階級に対する階級として一つにならなければならない。私たちのスローガンはいつでも「労働者に祖国はない」だ!

 第一次大戦という大殺戮を労働者階級が終わらせることができたのはこの見地があったからこそだった。世界中の労働者の一致を呼びかけたレーニンを取り巻いた革命家たち、リープクネヒト、ルクセンブルク、その他国際主義の立場を守った人たちだ。工場や戦場の労働者たちを鼓舞し、ついには革命的叛乱によって第一次世界大戦を終結に導いたのは、この強固な国際主義の立場だった。1937年の日中戦争時、小さな左翼共産主義グループ「Bilan」の国際主義者たちはこの立場を守った。

『 この戦場の両側に、労働者を虐殺することこそが目的の強欲で支配欲にかられたブルジョアがいる。この戦場の両側に、大虐殺へと仕向けられた労働者たちがいる。間違っている。

 労働者が革命への闘いに勝利するため、まずは帝国主義日本を倒すという考えのもと、中国の労働者と共にほんのひとときでも共に「闘う」ブルジョアがいると信じることは絶対に間違っている。帝国主義はあらゆる場所で拡大し、中国は他の帝国主義の傀儡に過ぎない。革命的闘争のためには、中国と日本の労働者たちは階級の団結をもたらす階級闘争に戻らなくてはならない。同者の結束は、搾取者たちへの同時攻撃を確固たるものにするだろう(中略・・・)。国際共産左翼の勢力だけが、大勢の裏切り者や日和見主義者に対抗することができ、革命への闘いの旗をは高く掲げることができる。この勢力だけが、アジア中に阿鼻叫喚をもたらす帝国主義戦争から搾取者にたいする労働者による民衆戦争 - 中国と日本の労働者の結束、「国家戦争」の戦線破壊、国民党に対する戦い、日本帝国主義に対する戦い、労働者を帝国主義戦争へと動員するあらゆる勢力に対する戦い - へと転換することができる。』 (193710月のイタリアの左翼「Bilan」の雑誌第441315頁より )

 私たちはこの国際主義者の伝統を担い、国家主義の牢獄から抜け出さなければならない。今日、労働者が互いに連絡を取り合い、国際主義者たちの間で繋がりを持ち、世界中どこでも国際主義者たちの共通の立場を守るために必要な条件は整えられている。支配者たちが検閲、インターネット検閲、弾圧、国境閉鎖などのどのような手段を用いようとも、私たちは労働者の結合にむかって歩みつづける。

 日中の支配者たちがとりわけ若い世代を国家主義の誘惑に取り込もうとするなか、私たちは、階級闘争という私たちの道を進まなければならない。そうした態度は、支配者同士が脅迫し、同じ戦争プロパガンダで煽り立てる北朝鮮と韓国にとって重要なメッセージとなるだろう。



国際共産主義潮流(2013年2月)



私たちのパンフレット「19世紀から現代の極東における帝国主義」https://en.internationalism.org/booktree/3448を見よ

[1] https://en.internationalism.org/internasyonalismo/201204/4852/spratly-conflict-workers-philippines-and-china-unite

[2]

https://en.internationalism.org/icconline/201208/5087/demonstrations-japan-indignation-spreading

[3]

例えば2013年の1-2月に、北京における大気汚染が記録的な水準になり都市の何百万の命を脅かし、スモッグは後日、日本に流れていき、そこでも記録的な汚染が観測された時、両国政府は自国の人々の健康を守ることそっちのけで、尖閣諸島を巡る軍事的冒険に打って出た。

民主化された資本主義は可能か?

 聖パウロ教会でのオキュパイのテント大学の「民主的な資本主義」というスローガンを巡って激しい議論が沸き起っている。

 これはパウロ教会UBS銀行などでのオキュパイが、現行の社会システムに不満を持ち、それに変わるものを求めているすべての人たちのための実りある議論の場を提供していることを表している。「民主的な資本主義」は現実的な選択肢ではないものの、確かにオキュパイに参加している多くの人々の見解と結合点を反映している。金持ちにもっと税金を課し、銀行屋の持っているボーナス帳消しにし、証券取引市場をしっかりコントロールし、経済に対する政府の権限を拡大すれば資本主義はより人間的になりうるというアイデアは繰り返し提唱されている。

 政界の頂点に立つ者たちでさえこの流れに乗ろうとしている。イギリスのキャメロン首相は資本主義にモラルを望み、クレッグ副首相は全世界がオックスフォードストリートのジョン・ルイスのように中流になれるだけの分け前を与えよと訴え、労働党党首のミリバンドは「ハイエナ」資本主義に反対し、政府による規制強化を求めている。

 これらはすべて、資本の手下である政治家たちによる、我々を資本主義の現実から目を逸させるための中身のない煙幕にすぎない。

 資本主義個人による富の所有に留まるものではない。それは単に、銀行屋や富裕なエリートたちの、ごく僅かな努力によって得られた巨額の報酬に表されるようなものではない

 資本主義は人類文明の歴史の内にある。それは少数による多数の搾取を基本とした諸社会の最終段階だ。生産のすべてが、市場における利益を生み出す必要に動機付けられた最初の社会のことだ。それはまず第一に、搾取される者たちすべてが搾取する者たちに、自らの「労働力」を売らなければならない階級社会なのだ。封建制の時代には農奴は強制的に自身の労働力と収穫物を領主に差し出さざるをえなかった。資本主義の下、我々の労働時間は、賃金を通じてもっと分かりにくい形で奪われている。

 ゆえに搾取者が私的企業の上司の体裁を取るにせよ、中国や北朝鮮のような「共産党」関係者の体裁を取るにせよ何の違いもない。賃金労働者である限り資本主義から逃れられないのだ。マルクスが記した通り、「資本は賃金労働を前提と」し、「賃金労働は資本を前提とす」る。(『賃労働と資本』)

 資本は本質的に賃金労働者階級(失業はこの階級の一形態なので失業者も含まれる)と搾取階級の間の社会関係なのだ。資本とは、労働者(搾取者によって生み出された勢力であるが、彼らと和解不能な敵として対立している)によって生産され、労働者から疎外された富そのものなのだ

資本主義という危機

 資本家はこの仕組みから利益をあげてはいるが、コントロールはできていない。資本は非人間的な力のことで、最終的には資本家の手から逃れ、彼/女らは逆に支配される。これが資本主義の歴史が経済危機の歴史でもある理由だ。そして資本主義が20世紀初め頃にグローバルなシステムになったことで、世界大戦と言う形を取るにせよ世界恐慌という形を取るにせよ、危機は恒久的なものとなった。

 指導階級の経済政策がいかなるもので彼らの政府がどのように試みようとも、ケインズ主義かスターリン主義か、あるいは政府の支持する「ネオリベラリズム」かに関わらず、この危機はより深まり、解決が難しくなる一方だ。経済の行き詰まりをどうにかしようと必死にもがく、支配階級の組織する様々な派閥や国家は、容赦ない競争にさらされ、軍事衝突や生態学的荒廃の螺旋に陥ってゆく。利益をあげ、戦略的優位を獲得するために、彼/女らはますます「モラル」を失い、ますます「獰猛」にならざるを得なくなっている。

資本家階級は沈みゆく資本主義を先導している。

 しかし人間を究極的に疎外するこのシステムは、新しい真に人間的な社会の可能性も築き上げた。科学と技術が生み出され、これらはあらゆる人の利益のために利用されるように変換することができるかもしれない。ゆえに生産が貨幣や市場の仲介なしに、直接消費に向かうようにすることも可能だ。システムは地球を一つにした。少なくとも統一のための前提を作り出した。ゆえに国民国家の全システムとそれが引き起こす絶え間ない戦争の廃絶は実現可能だ。つまりこのシステムは、全世界の人類共同のコミュニティという古くからの夢の必要性と可能性を生み出した。我々はその社会を共産主義と呼ぶ。

 被支配階級ー賃金労働者の階級は、目下のシステムに幻想を抱いたところで得になることはない。このシステムはこの社会の墓穴を堀りかねない半面、新しいシステムを作る可能性もある。その可能性を実現するためには、何と闘っているのか、何のために闘っているのかが明確でなければならない。改革や資本の「民主化」といったアイデアは明確さからは程遠く曖昧としている

資本主義と民主主義

 今日では多くの人々が民主主義に賛意を表し、「人間的な資本主義」のような、より民主主義的な社会の実現を望んでいるであるが故に、我々は全員が賛成できる、抽象的なアイデアとしての民主主義の真の価値を受け入れられないでいる。資本主義と同じように民主主義にも歴史がある。古代アテネの民主主義システムは奴隷制と女性の排除と切り離せなかった。資本主義の下での議会制民主主義は、経済的利益だけでなく、人々の思考・判断(そして投票も)に影響を与えるイデオロギーの道具を手中にした、少数による権力の独占と切り離せない

 資本主義民主制は、資本主義社会を反映しているそしてそれは我々を孤独した経済単位の駒として市場競争に駆り立てる。理屈上、我々は平等な条件の元で競争しているはずだが、現実には富は極少数の手に集中される。我々は孤立しており、個々独立した市民として投票する時も、現実のどのような権力からもかけ離れている。

 チュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、アメリカの占拠と民衆集会運動において、両翼の間断続的な論争が続いている。既存の体制をより民主的にするより、ムバラクのような暴虐な体制を阻止しひっくり返し、議会制度を導入するか、路上の要求にもっと関心を向けるように既存の政治政党に圧力をかけたい人たち。そしてもう一方は、今のところ少数派だが、「自分たちで直接集会を組織できるのに議会なんて必要ない。議会選挙では何も変わらない。公的な場ではなく、そのへんの広場や、工場、仕事場で集会のような形で自分たち自身の生をコントロールできるじゃないか」といい始めた人たちだ。

 こうした議論は古くからある。人々は第一次世界大戦終結時、ロシア革命やドイツ革命の時代に繰り広げられていた議論を繰り返す。何百万もの人が戦場で犠牲になったことで、既に資本主義制度が人類にとって有益ではなくなったことが明かになり、何百万もの人が反資本主義へと動いた。革命は「ブルジョア民主主義」体制を制定すれば十分だと主張する人がいる一方で、議会は支配階級のためのものに過ぎない。我々は自分たちのための議会、工場評議会、ソヴィエト(選挙と取り消し可能な委任制代表および総会を基礎とした)を組織した。これらの組織が権力を握り、しかしそれは我々自身の手にある。これは上から下へとなっている社会を再構成する最初の一歩だ、と主張する人々がいた(当時はかなりの数がいた)。革命が孤立と市民戦争、内部の退廃によって壊滅する前のわずかの間、ソヴィエト(労働者階級の組織)がロシアで権力を握った。

 それは人間性に対する前例のない希望の時だった。敗北の事実に我々は挫ける必要はない。敗北と過去の失敗から学ぶ必要があるのだ。我々は資本主義を民主化することなどできない。資本主義は、我々が滅ぼさない限り、世界を崩壊へと導く驚異的で破壊的な力であり続ける。そして我々はこの怪物を資本主義そのものの制度利用して葬り去ることはできない。我々自身コントロールによって革命的変化を導くことができる、我々の真の希望となる新しい組織が必要だ。

アモス Amos 2012年125

経済危機 ー EUか資本主義か、どちらにも未来はない

総裁のオリバー・ブランチャードによると、ユーロ圏(と世界経済)はとても危険だそうだ。4月にブランチャードは、ギリシャがユーロを離脱すれば、「ユーロ圏内の他の地域も深刻な圧力を受け、金融市場が大パニックに陥る。しかし依然としてユーロ圏の解体の可能性は残っていて、リーマンショック以上の重大な政治的ショックを引き起こしかねない」。そのようなショックはもちろん「1930年代を思わせるような不景気を引き起こしかねない」と警告した。[1]

 

 多くの専門家たちの界隈で指摘されてきたことだが、だからこそEUは新たな救済対策と共同体の更なる中央集権化を進めることを認めざるを得ない。「EUの指導者達は、政府の負債を増やすことなく苦しんでいる銀行を直接支援するために、予定されていた救済基金の仕様に同意した」。

13時間にも渡る会談の末、指導者達はユーロ圏の共同銀行監視期間の設立にも同意した」。

「スペインとイタリアはドイツに対して、救済基金で政府の負債を市場から買い取る(借入れコストを含ませる手段)ことに容認するよう、圧力を掛けた。」

 ドイツはイタリアやスペインのような苦闘している国々へ譲歩政策を採らざるを得ないとはいえ、より中央集権化されたEUへの道の最前線にいることに変わりがない。それゆえメルケルはドイツ議会にもし(他の)国々が中央銀行によって発行されたユーロ国債に保証された国債を望むなら、より集中的なコントロールが必要になるだろうと述べたのだー十分なコントロールがなされている場合に限って共同的な責任は生じえる。この中央集権化への道は既にニューディールの一環として、共同銀行監視期間の設立の決定の内容に組み込まれているが、より野心的な計画が計画されている。

 ヨーロッパの当局は、国家予算に対して超越的権限を持つヨーロッパ財務省の設立といった提案を明かにした。10年計画はユーロ圏を強化し将来の危機を防止するよう設計されているが、現行の負債問題には触れていないと批判されている。

 メルケルはEU議会大統領は将来的に全EU投票によって選ぶことも提案した。つまり、もしドイツがユーロ圏の最後の貸し手として振る舞えば、圏内の国々は地位を上げつつあるドイツの帝国主義を受け入れざるを得ないだろう。

 

EUにも資本にも未来はない。

 

 ユーロとEUのプロジェクトそのものの脆弱性を見てみよう。経済危機に直面すると、各国とも自らの利益に執着し始め、共同体の崩壊を自ら早める。ドイツはまず危機の直接的な影響のコントロールを試みたが、より強力な主導権の要求により域内のライバルたちが辛辣になり、やはり共同体の安定を脅かしている。過去100年のヨーロッパの歴史を見るにつけ、他の強国、とりわけフランスとブリテンはドイツ主導のヨーロッパを受け入れないだろう。

 そもそもこの経済的水準では、ブルジョア達の採っている方法も崩壊を遅らせることしかできない。過去の記事で議論したように[3]、グローバルな生産過剰という危機は、支配階級を解決不能なジレンマに陥れた。経済成長すると負債が増える。今回はそれはインフレと破産圧力にしかならない。容赦ない緊縮政策(加えて、あるいは保護主義)は、購買力を低下させ、危機を悪化させるため、市場の縮小はさらに進む。

 ブルジョアジーは事態を理解し始めた。W型不況の心配はもはやない。堂々と1930年代型の不況について語っている。「イタリアかスペインが破綻したらヨーロッパを前例のない経済恐慌が遅う」といった文も出回っている。政治指導者達による経済介入が、「ヨーロッパ経済の崩壊のわずか1分前」に至るまで遅れ、おぞましい経済の奈落の底に陥ることを彼(女)らは恐れている。[4]

 実際のところ、不況は既に始まっているし、状況は既に1930年代より悪い。30年代には、国家資本主義の採用という、不況から抜け出す道があった。それがファシズムあるいはスターリニズム、あるいはニューディールという形をとるにせよ、経済を管理することができた。今日の危機は国家資本主義そのものである。あらゆる支配階級による国家(とりわけ負債頼みの政策)を使ったシステムの操作という試みが自壊しているのだ。

 その上30年代は労働者階級は1917年以降の革命的試みが挫け、敗北の途にあり、そのため世界大戦への道が敷かれていた。戦争への邁進は失業者を戦争経済に吸い上げることを可能にした。そして戦争そのものは世界経済の再編成を可能にし、70年代に至までの経済ブームを引き起こした。

 今日、その選択肢はない。ブロック経済の崩壊の後、帝国主義的世界秩序は著しく多極化した。アメリカの指導力は弱くなる一方だ。ドイツによるヨーロッパのコントロールへの強い反対は、ヨーロッパがもはや二度と一つの軍事的ブロックにまとまらないことの証明だ。中国やロシアのような興隆あるいは復活しつつある勢力もやはり安定した周辺との国際的同盟を形成する力に欠ける。まとめると、世界大戦を戦うのに必要な同盟とはなりえない。もし十分な同盟が結成できたならば、第三時世界大戦の強烈な破壊によって新たな「戦後の急成長」が可能だろう。

 なによりも、主な資本主義諸国の労働者階級は、1930年の敗北時とは違った立場にある。なによりもその弱点と躊躇いのために、富裕層の論点を拒否する意志は増している。そして力強く「すべての人のために」彼(女)らの生活基準を犠牲にするよう告げる。過去数年に渡って我々はバングラデッシュとエジプトの大衆ストライキ、中東、ヨーロッパ、アメリカで起こった社会暴動、フランスとイギリスでの年金削減提案への抗議、ブリテン、イタリア、カナダでの教育コストの増大に対する反乱などを見てきた。

 しかし、こうした抵抗は未だ搾取階級と対決する目標にはるか達していない。ギリシャでは労働者の生活水準がいかに暴力的なやり方で落ち込んでいっているかを目の当たりにしている。大規模な解雇、減給、年金削減、その他の支給も直接削られている。かつてはそれなりの生活水準を見込むことのできた、数え切れないほど多くの家族が、食料支給に頼っている。路上に追い出されなければ、だが。ギリシャでは、多くの人に1930年代を概括させる、食料と給付金のために並ぶ行列は辛い現実となっている。それはスペイン、ポルトガル、そして世界中の資本主義の砂上の楼閣の倒壊の直撃を真っ先に受ける人たちに飛び火している。

 労働者達はこのような攻撃に直面すると、しばしば狼狽し、怖気づく。イデオロギーの集中攻撃にも遭う。左翼に投票し、銀行を国有化しよう。右翼に投票し、移民を徹底的に非難しよう。ギリシャ、スペイン、ポルトガルで続発する一日ゼネストとイギリスでの公務員の終わりなき「アクションの日」に見られるように、アクティブに不毛なレスポンスを続ける組合がいる。

 こうしたイデオロギーのすべては現在のシステムに内在する希望を保ちつづけるためのものだ。すべての構造を揺るがすシステムの危機は説得力を持ってそれが無理なことを語っている。

 

WR 30/6/12

 

 






 

逼迫する<経済>へどう応答するのか-立ち向かう労働者たち


スペインの労働者階級はとりわけ過酷な政策に直面している。勢いを増す経済危機は、社会的状況を緊迫させている。昨年の闘いは、しばしばそれに呼応して他の人たちに刺激を与えた。とりわけアラブの春に続く、憤るものたちによる15M運動は、ギリシャとアメリカなどでの闘いに影響された。15Mの記念日と一連の出来事は、アストゥリアを初め、EUの鉱山業への補助金取りやめに反対する8000人の鉱山労働者のストライキで始まった。この産業の根幹を揺るがすことになる補助金取りやめは、既に24%もの失業率、25歳以下の半数が職に就けない国で、40000人の職を脅かすことになる。この記事はM15と鉱山労働者のストライキから何を学ぶことができるのかというディスカッションに貢献することを目的としている。

 

リストラ計画に立ち向かう闘いの難しさ

 

 アストゥリアの鉱山労働者たちは労働者階級の1934年の蜂起に代表される誇らしい伝統を受け継いでいる。

 5月31日のストライキとともに始まった、彼(女)らの決心は当然だった。タイヤや材木で路上にいくつものバリケードを築き、高速道路N360号線上のバリケードを撤去しようとやってきた警察を撃退するために、あり合わせのもので作った武器を手に取り、マドリッドでは暴力、逮捕、そしてゴム弾に立ち向かった彼(女)らの勇気は否定のしようがない。これらの洞察はlibcomとICT(国際共産主義潮流)の記事から得ることができる。(https://libcom.org/article/coal-mines-ignite-asturias-updates?page=1https%3A//libcom.org/news/coal-mines-ignite-asturias-10062012%3Fpage%3D1)

(https://www.leftcom.org/en/articles/2012-06-19/the-struggle-of-the-asturian-miners).

 

 このことは、深い尊敬に値する、すべての労働者階級のさまざまな希望を一手に引き受ける戦闘的な部門が痛烈で勇猛なストライキと前代未聞の弾圧を受け、警察との数多くの衝突を展開した1984-85年のイギリスでの鉱山労働者のストライキを強く思い起こさせる。スペインの鉱山労働者と同じように、彼(女)らは高い失業率を記録する中、多くの鉱山の閉鎖計画に直面していた。闘いはイギリスの労働者階級にその後20年に渡り重荷を残す敗北に終わった。

 libcomでのディスカッションでフィンガーズ・マローンは、「ストライキだけではどうにもならないと」、と鉱山をその攻撃性ゆえに実質閉鎖に追い込んでいるスペインの鉱山労働者たちの抱える困難を指摘した。彼は道路にバリケードを築くのみならず地中深くの坑道を占拠するという絶望的な方法を採るという状況は、不健全なだけでなく、好ましくないものと見做した。彼(は効果的な闘いを続けることができるだろうか?私たちの見解では問題はスト自体が不十分なことのみならず、彼(女)の孤独な闘いが、労働者階級の他の部門から孤立していることによって、政府の力に対して弱い立場を強いられ、敗北に終わりがちなことにある。組合(CCOOCGT)と左派政党(PCEPSOE)によって組織された6月18日のゼネストは彼(の孤立を破ることができず、補助金が削減された地域と産業に限定されたことは確かだ。そして彼(女)らのNUMの「失業保険ではなく石炭を」を思い起こさせる「石炭のための計画」は明らかにストの孤立化を加速させた。

 この意味で、「我々は激怒ではなくめっちゃ怒っている」というスローガンは、鉱山労働者の警察を撃退するだけの力への幻想とともに闘いの限界を要約している。ある意味、鉱山労働者たちは自身を、スペインにとどまらず、世界にとって昨年の重要な闘いの一つである激怒する人たちよりも、ずっとラディカルな態度を見せたと見ている。しかし、あらゆる意味での階級の独自性にとって、アストゥリアの鉱山労働者の孤立は、闘争全体を有意に後退させた重要な弱点だ。

 

15Mから一年。何が残ったのか。

 

、直後にさらに27億ユーロの支給カットが発表された炭鉱労働者の孤立や労働組合によって組織された3月29日のゼネスト(WR353(日本語未翻訳)を見よ)で示されたように、 ブルジョアジーたちが抱える経済運営の無能ぶりに関わらず、労働者階級に直面する彼(女)らの経験を過小評価すべきではない。

 15Mの「祝祭」は、私たちが省察し、議論し、内心でこの経験の教訓を消化しなければならないのに、彼(女)らが元のイベントの記憶を消去あるいは少なくとも完全に歪曲してしまうよう仕組むもうひとつの例だ。今年のイベントはもはや久しく存在しない集会によってではなく、左派と労働組合カルテルによって呼びかけられ、労働者階級に対置する、「市民」の民主的で漸進主義的な視点を強調した。これは右翼政党であるPP政府や、左派の美言による間違った代替案である。前者は攻撃的で驚異的な弾圧であり、激怒する人たちを、PSOEsubmarineだと非難した。

 一方、昨年の15Mではプチブルとして間違った象徴となってしまったPSOEは今や、素晴らしい未来と社会の重鎮として凱旋することになった。ブルジョアジーはいつも本物の運動を中傷するが、それが無害になるや否や過去を賞賛したがる。

 1周年デモは大規模だったものの、昨年6、7、10月の運動ほどではなかった。集会がマドリッド、バルセロナ、セビリア、バレンシア、アリカンテなど多数の地域で復活した。最初の土曜日こそ集会は関心と好奇心を持って始まったが、その後、回を重ねるごとに閑散になり、運動内部の左派組織による統制への抵抗もなかった。人々はむしろ去っていったのだ。にもかかわらず、労働者階級が生きている兆候があった。大規模な若者の参加、健全で嬉々とした雰囲気、そして議論へのよい貢献だ。マドリッドでは実り深い議論があった。ー昨年ほど自信に満ちたものではないにせよ、我々が運動のプロレタリア(左)翼と呼んだ人たちへの支援の声が上がった。しかし運動全体としては、ブルジョワジーの課す束縛を破ることはできなかったし、ちょっとした週末の息抜きで、それが過ぎれば日常に戻っていく15Mのパロディにすぎなかった。

 

労働者階級のためのパースペクティヴ

 

 2011年の社会運動は、世界中での路上の使用、運動の中心で生きた議論が交わされた集会(World Revoltion Nr.353の‘From indignation to hope(日本語未翻訳)’を見よ)を伴う、労働者階級にとって強烈な経験だった。スペインではマドリッドとバルセロナの教育部門、バルセロナの医療部門とバレンシアの若者たちの大規模な動員があった。3月29日と鉱山労働者によるストライキもまた詳察のための重要な経験だ。(World Revoltion Nr.355 ‘General strike in Spain: radical minorities call for independent workers’ action(日本語未翻訳)’を見よ)

 スペインの私たちの同志たちはこれらの経験を経た後、運動の弱点や十分な闘いを発展させる難しさをチェックする必要を感じていることに気がついた。この疑問を提示する過程は、より広範な運動とより深淵な資本主義への懐疑に追いやる基盤を準備する、労働者階級内の理解を進めるための生きた貢献として絶対に必要である。

 資本主義の危機から5年経った今も、支配階級は答えを出せず、未来がなく、破綻した、別の何かに置き換えなければならないシステムであるという認識が広がっている。バレンシアでのとある集会がその一例だ。ある女性は、15M運動には革命的な派と漸進主義的な派があるが、私たちは前者を指示すべきだという、ICC(国際共産主義潮流)の持論を支持する発言をした。一方で早急な答えとアクションの模索する、私たち全員が、国有化されたバンキアから預金をすべて引き出せば「資本主義に一撃」を食らわすことができるに違いない、という不毛で馬鹿げた提案もある。

 資本主義に変わるものが必要とされてきている一方で、それをどのように実現するのか、その方法を見つけること、そしてシステムの破綻はおそらく不可避であるという希望を見ることの困難さがある。まさに左派と左派過激派は資本主義を改革するため、富裕層への課税、腐敗の排除、国有化のような、あらゆる「解決」法を提案している。実際のところ中道と右派すらもこうした腐敗や脱税排除の「ラディカル」なキャンペーンに参加しうる。

 漸進主義者たちによる代替案の罠を避けることが重要だ。また政治家すべてへの嫌悪、とりわけ左派の嘘によって、私たちが外部すべてを疑うような、狭く孤立したグループに閉じこもってしまわないことも同じく重要だ。この罠を避けることによってのみ、私たちは資本主義の危機、打倒の必要、そして労働者階級がどのようにこの闘いを前進させることができるのかを省察するプロセスを推し進めることができる。それらすべては将来の闘いへの準備に必須のものだ。

 

Alex 30/6/12


2011年のもっとも重要な出来事は資本主義の危機の激化とチュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、イスラエル、チリ、USA、イギリスなどでの社会運動の深化だった。

2011年のもっとも重要な出来事は資本主義の危機の激化とチュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、イスラエル、チリ、USA、イギリスなどでの社会運動の深化だった。

 

 

怒りは国際的な次元に達した

 

 資本主義の危機は世界人口の多数派に容赦なく降りかかる。生活基盤は悪化し、失業は急激にその数を増やし、その期間は長くなる一方だ。最低限の安定した生活をも不可能にするプレカリアート化は深刻になる一方だ。極限の貧困と飢餓はエスカレートしている。

 何百万もの人々が、「安定した普通の」生活と「子供たちの将来」が失われるのではないかと強く心配している。この不安は、受動性を打ち破り、広場と路上を占拠し、この5年で急激に悪化した危機の原因を解明するためのディスカッションへと駆り立てる強い怒りー衝動を引き起こした。

 怒りは、銀行家、政治家、その他資本家階級の代表者たちの傲慢と貪欲、そして大多数の人々の苦しみへの冷淡さのため、さらにその勢いを増した。また、政治家たちが、難しい社会問題において役立たずであり、彼(女)らの政策は貧困と失業をまったく解決しないばかりか、ますます酷くなっていることによっても怒りは増した。

 社民政府による過酷な緊縮プログラムを推し進めるスペイン。債務危機のシンボルであるギリシャ。グローバル資本主義の総本山、アメリカ中東でもっとも酷くそして長期に渡る衝突を繰り返しているエジプトとイスラエル。怒れる人たちによる運動は世界に広がった。

 グローバルな運動の自覚は、ナショナリズムの重圧、デモでギリシャやエジプト、アメリカの国旗を振る人々の存在にも関わらず広がっている。スペインでは人々が「アテナの人々よ、持ちこたえよ。マドリッドは立ち上がる」というスローガンによってギリシャの労働者たちと連帯した。オークランドのデモ参加者達(アメリカ・2011年11月)は、「世界中のオキュパイ運動との連帯」を唱えた。エジプトではアメリカでの運動を支援する連帯生命が可決された。イスラエルでは「ネタニヤフ、ムバラク、エル・アサドーみな同じ」と呼びかけ、パレスティナの活動家と接触した。

 今ではこれらの闘いは分水嶺を越えた。新たな闘いの兆候(スペイン、ギリシャ、メキシコ)が見えている。にもかかわらず多くの人々は、「この怒りと抵抗の波にどのような意味があるのだろうか?」あるいは「私たちは何かを勝ち得たのだろうか?」と疑問を抱えている。

 こうした運動のポジティブな側面と、弱点および限界の線を引く必要がある。

 

「占拠しよう」ー運動に共通のスローガン

 

 自身の関心に踏み込み、私たちを思いとどまらせる幻想と困惑から抜け出すための、路上と広場の占拠のような幅の広い運動は過去30年以上なかった。

 労働者という搾取される人たち、人生に失敗した、した、政治に無関心な人々として表され、運動を把握し、共に行動する能力に欠ける人たちは、この運動の中で一つになり、共に運動を把握し、システムによる日常を弾劾し、うんざりするような受動性に別れを告げる機会をえた。

 これは私たちのモラルに、自分たちの能力への信頼という浮力を与え、私たちは民衆による共同の行動を可能にする力発見しはじめた。社会の空気は変わりつつある。政治家、専門家といった「重要なリーダー」たちによる公共的テーマの独占に、多くの名もなき人たちは疑問を持ち始め、声をあげようとしている。

 これが未だ不安定なスタート地点に過ぎないことは確かだ。幻想、困惑、(慣れ親しんだ認識からくる)避けることのできない動揺、弾圧。弾圧機関と資本主義国家による誘惑の危険(左翼政党と労働組合がその矛先だ)は間違いなく運動の後退と苦い敗北をもたらす。私たちは、数限りない障害と勝利の保証のない、長く困難な道に立っている。しかし、私たちが運動を始めたという事実は既に最初の勝利だ。

集会ー運動の中心

 

 集会は単に不満を述べる受動的な様態に限らず、集会においての自己組織という能動性を発展させた。多くの集会は、「労働者階級の解放は労働者自身の手によってなされなければならない」、という1864年の第一インターナショナル(国際労働者協会)の綱領を具現している。こうして労働者運動の伝統は、パリコミューンに繰り出され、1905年と17年にロシアで、18年にドイツで、19年と56年にハンガリーで、そして1980年にポーランドで頂点に達した運動へと続いた。

 総会と労働者評議会は、労働者闘争における真の組織の形であり、社会の新しい組織の形の核である。

 私たちを賃金奴隷にしている鎖を打ち砕き、、それぞれの分野でのゲットーへの孤立あるいは社会的レッテルを克服し、「自分自身のため」という孤立した考えを止揚し団結するための総会。

 共に考え、対話し、決定するための総会。決定事項に対し、集産的責任を引き受け、決定と実行に、携わった参加者すべてが関わるための総会。

 互いの信頼し、感情を共有し連帯するための総会。これらは闘いを推し進めるために欠かせないだけでなく、将来の階級と搾取のない社会の柱となる。

 2011年は支配者たちが説く偽善的で利己的な「団結」ではない真の団結が相次いだ年だ。マドリッドのデモは収監者の解放あるいは警察による難民の逮捕を妨害するためのものだった。スペイン、ギリシャそしてアメリカでは住居の強制退去を防ぐため大勢の人々が結集した。カリフォルニアのオークランドでは「スト集会」ではキャンプ外の職場へのピケの派遣と11月2日のゼネストに参加した従業員や学生を処分する職場や学校の占拠が決議された。「短期間かつ散発的ではあるが、皆が不安と絶望が蔓延るこの社会での「普通」に立ち向かう同士として、共に助け合い、護られている感覚を共有する一時」があった。

 

議論の文化は未来を照らす光

 

 何百万の労働者たちが世界を覆すのは、輝かしい指導者に耳を傾け、その指示にしたがう意識ではなく、民衆による闘いを振り返る、未来を見据えた議論によって導かれる経験だ。スペインのスローガン「未来は革命と共にある」がこのことをよく表している。

 互いに敬意を持って注意深く耳を傾ける、開かれた対話による議論の文化は総会だけでなく、その周辺でも芽を開いている。人々は移動図書館や寄り合い、集会を組織しはじめた。路上や広場では、ろくに設備もない中、柔軟な才能をもって数多くの精神的活動が始まっている。これらは集会と同じようにかつての労働者運動の経験を結びつける場所となっている。長く抑圧された知への切迫は、革命への熱意へと駆り立てる。スモル ニー研究所(サンクト・ペテルブルク)だけに限っても、わずか最初の6ヶ月で何トンもの本がロシアに送り出された。ロシアは、砂漠の砂が水を吸い込むかのように、貪欲に知識を吸収した。それは歪曲された、偽の歴史、オブラートに包ん宗教やモラルのない安っぽい小説のような寓話ではなく、社会と経済の理論であり、哲学の書であり、トルストイや、ゴゴル、ゴルキの作品であった。(「世界を揺るがした10日間」第一章、ジョン・リード)

 この社会の偽りの「成功モデル」を強制する文化に対する闘い。支配的イデオロギーとメディアが仕掛ける人々を引き裂くステレオタイプと歪曲に対抗し、批判的で独立した基準で民衆の文化を育てる闘いを多くの人たちが始めた。危機とその根源、銀行の役割などが日常のテーマとなる。混乱した論調だったものの、革命についてすら話し合われた。民主主義と独裁について語った。 「彼(女)らは民主主義と呼ぶが、まったく違う」、「実際のところ独裁だが、そうだとは考えない」。といった言葉が生まれた。

 謀略、嘘、ごまかしといった、支配階級による政治を特徴づける権謀のない、多数派による真の政治への道筋へ賽は投げられた。こうしたやり方は、科学や政治にとどまらず、環境破壊、倫理、文化、教育、保健とあらゆる領域に及ぶ。

 

未来は労働者階級の手にかかっている

 

 今年の運動に希望をつないだ、2011年の経過の未だ大きな弱点と限界を認識するために、私たちは冷静かつ的確で批判的に運動を見なければならない。

 世界中でますます多くの人々が、資本主義は既に疲弊したシステムで、「これを克服することなしに、人類の生存はない」という認識を持つ一方、相変わらず資本主義は、根本的に変革する必要のある社会の諸関係の複雑なネットワークなのに、「(冷酷なハイエナ金融、残酷な独裁者達のような)悪い」一面だけを取り上げようとする人も多い。私たちは社会の多様な姿(金融、思惑、政治経済の指導者達の汚職)に混乱して自己を見失ってはいけない。

 私たちは資本主義から湧き出てくる暴力(弾圧、テロ、モラルにもとる蛮行)を覆さなければならないものの、「市民」による平和的圧力によってこのシステムを放棄できると信じることはできない。少数派である支配階級が自らの意志にぞって権力を放棄することはない。彼(女)らは国家と4、5年ごとの合法的な選挙による民主主義ごっこの背後に隠れている。決して守られることのない物事を約束し、告知されていないことを推し進めるために政党に頼る。支配階級のさらなる支えは労働組合である。組合は人々を動員し、または動員せず、支配階級の用意した書類すべてにサインする。大規模で強烈で忍耐強い闘いだけが搾取される者たちに、国家を生きながらえさせている抑圧者たちを打ち破るのに十分な力を与えることができる。その時こそスペインで繰り返し叫ばれている「みんなが集会を形作る」というスローガンを実行することができる。

 アメリカでのオキュパイ運動で有名になった「(少数派の1%に対して)私たちは99%」のスローガンで、私たちは深い階級分断と共に生活しているという認識は浸透は広がっている。とはいえ、抗議運動の参加者の多数派は、むしろ自身を、社会の中で「自由で、平等な市民」の生活を勝ち得るために努力している「下層の市民」とみなしている。

 しかし、この社会は、一方は生産手段を所有しながらなにも生産しない資本家階級、もう一方は、なにもかも生産しながら貧しくなる一方の、搾取される労働者階級に分かれている。社会の発展の推進力は、「多数派市民による決定」という民主主義ごっこ(この茶番は、支配階級独裁をごまかし正当化するための仮面として存在している)ではなく、階級闘争にある。

 この社会運動は、搾取される階級(労働者階級)を主軸とした闘いとして繰り広げられなければならない。社会の主要な富は、この階級が皆で生み出し、工場、病院、学校、幼稚園、大学、オフィス、港湾、建築、輸送、郵便といった社会の生活基盤を確かなものにしているからだ。2011年の運動のいくつかはその強さを予感させるものだった。エジプトの闘いの波とムバラクに退陣を強いたこと。オークランド(カリフォルニア)では占拠者たちがゼネストを呼びかけ、港湾機能が麻痺した。港湾従業員とトラック運転手たちへの積極的な支援を呼びかけた。ロンドンではスト中の電気工事者がやってきて、聖ポール教会の占拠者たちと共にアクションを起こした。スペインの集会では闘争の領域で一致への尽力が見られた。

 現代のプロレタリアの階級闘争と社会の中で、資本主義的圧力に苦しむ層の深い欲求の間にはなんの矛盾もない。プロレタリアによる闘いは決して自分勝手な運動ではなく、「大多数による大多数の関心による自律的な運動(共産党宣言, 第四巻472項)」である。

 過去200年の労働者運動の経験を批判的に編纂することで、現在の運動を過去の運動と解放の試みから学ぶことができる。道は長く、障害ばかりだ。だからスペインでは「私たちはゆっくり運動しない。私たちははるか彼方に向かう(No es que vamos despacio, es que vamos muy lejos.)」というスローガンが繰り替えされる。私たちは、確固たる目的を持った新しい運動を準備するため、不安や留保なしに、できる限り幅広く、深く議論しなければならない。そうすることでのみ、資本主義でない別の社会への基盤を得ることができる。

 

 国際共産主義潮流 12.3.2012