ICConline - 2010s

ICConline - 2011

”怒れる”スペインの人たちとの連帯 - 未来は労働者階級の手にある!

多くの国で、強姦未遂で逮捕されたIMF専務理事であったドミニク・シュトラウス=カーンを巡るスキャンダルに光が当たっていた時、より重大な出来事がヨーロッパを揺るがしていた - 5月15日のマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場の占拠に端を発したスペインでの暴力的な社会的抗議行動だ。この動きは、膨大な数の民衆、特に失業やサパテロ政権の切り詰め政策、政治家の汚職などに憤慨している若い民衆が担っている。この社会運動はFacebookやTwitterなどのソーシャルネットのおかげでバルセロナ、バレンシア、グラナダ、セビリア、マラガ、レオンと国中の大都市に急速に飛び火した。しかし情報がピレネー山脈を越えてフランス方面に行き渡ったとは言いがたい。フランスではソーシャルネットワークとオルタナティブ・メディアのみで5月中旬以降の出来事を写真やビデオで報じられたに過ぎないからだ。ブルジョア的メディア、とりわけフランスのメディアが今回の出来事に関して突如「停電」し、ドミニク・シュトラウス=カーンの事件を巡る犯罪ドラマで埋め尽くそうとするのは、この運動が、資本主義に潜む袋小路に対抗する社会運動と世界の労働者階級の闘いの進展に向けた重要なステップを明示しているからだ。

"怒れる"スペインの人たちによる行動は2010年9月29日の年金改革に反対するゼネスト以来徐々に熟してきた。このストライキは労働組合が政府との合意の席に着き、改革案を受け入れたことによって敗北に終わった(現在40-50歳代の従業員は年金受給開始時の受取金が現行より20%削減されることになる)。この敗北は労働者階級の強い屈辱を呼び起こした。そしてこの年金改革を巡る闘いを積極的に支援した若者、とりわけピケに参加した多くの若い人たちの間には強烈な怒りが溜まることになった。

2011年の初めにこの怒りはいくつかの大学で沸騰した。3月には隣のポルトガルで"若い貧民"グループによってインターネットでデモの告知がなされた。その後約25万人がリスボンでのデモに参加した。この流れは瞬く間にマドリッドを中心としたスペインの大学に広がった。殆どの学生や30歳以下の若者は、ちょっとした仕事によってもたらされる月に600ユーロ以下の収入で糊口を凌いでいる。このような背景に基づき100名ほどの学生からなるグループは"未来のない若者たち"(Jovenes sin futuro)というグループを立ち上げた。これら労働者階級出身の持たざる大学生たちは、「家なし、仕事なし、怖いものなし」というモットーのもと結集した。彼/女たちは4月7日のデモを呼びかけた。5000人が参加したこのデモは、"若い貧民"グループを勇気付け、5月15日のデモを計画することとなった。その間マドリッドで、左翼からも右翼にも属しない非政治的だが失業と市場の独裁に対抗するプラットフォームとなる"今こそ真の民主主義を"(Democracia Real Ya)コレクティブが立ち上げられた。"今こそ真の民主主義を"も同様に5月15日に集会開催をその他の都市で呼びかけた。マドリッドでそれは最も成功し、25万人がデモに参加した。整然とした抗議の列はプエルタ・デル・ソル広場で解散するはずだった。

未来のない若者の怒りは全住民に飛び火する

"今こそ真の民主主義を"が呼びかけた5月15日の集会は成功裏に経過した。集会は住民、とりわけ職業訓練や学業の後の失業に疑問を持つ若者の間に広がる不快感を反映した。すべてはそこで終わるはずだったが、マドリッドとグラナダの集会では最後に"ブラックブロック"による衝突が起こった。警察は暴力的に対応し20人を逮捕した。警察に虐げられた逮捕者たちは結集し、警察の暴力を告発する共同声明を出した。声明は、瞬く間に治安組織の横暴に対する大きな怒りと連帯意識を引き起こした。約30名の無名で組織されていない人たちは、マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場を占拠し、キャンプ場を設置することを決定した。このイニシアティブはすぐさま飛び火し、住民の強い同情を引き起こした。このような例は、同日、バルセロナやグラナダ、バレンシアなどの都市でも起こった。警察による一連の新たな暴力は火に油を注ぐこととなり、以来70を超える都市で雲霞のごとく抗議者たちが集い、その数は増え続けている。

5月15日の運動のオーガナイザーは5月17日に無言による抗議行動および演劇を予定していたが、広場に集まった人たちは、集会の開催を要求した。集会はマドリッドやバレンシア、その他の都市で午後8時に始まった。5月18日水曜日以降、この集会の様相は公共の場での一般にも開かれた集会へと変わった。

弾圧と地域および地方選挙の状況に対して、"今こそ真の民主主義を"コレクティブはスペインにおける「新たな民主主義」の目標に向かってディベートを開いた。PSOE(社会労働党)/国民党の二重政党制度を克服し、フランコ政権後の34年間にわたる「不完全な民主主義」に変わる「真の民主主義」のため、選挙法の改善が要求された。

しかし、この"怒れる人たち"による運動は、"今こそ真の民主主義を"コレクティブによるさらなる民主主義とその改革の要求以上のものとなった。運動は"月収600ユーロの失われた世代"の若者の放棄だけに留まるものではなかった。マドリッド、バルセロナ、バレンシアそしてマラガなどでのデモや占拠された場所では「資本によらない民主主義」、「PSOEとPP(国民党)-どちらもクソ」、「資本主義ではない未来を」、「あなたたちが夢を見る間も与えようとしないなら、われわれはあなたたちを眠らせない」、「集会に決めさせろ」、「問題は民主主義ではない。資本主義だ」、「仕事なし、家なし、怖いものなし ー 労働者よ目覚めよ!」、「月収600ユーロ、これは暴力だ」、「そんなに投票が危険ならとっくに禁止されているはず」といった横断幕やプラカードを見ることができた。バレンシアでは女性たちが「私たちの祖父母たちはだまされた。私たちの子供は混乱に陥れられた。私たちの孫たちまで騙されないようにしなければいけない」と叫んだ。

集会 - 未来のための武器

公約を決して守らず、留まることなく悪化していく経済危機の要請によって予算を削ることしかしない政治家を、4年に一度の選挙選ぶことに限定されているブルジョア民主主義に対して、"怒れる"スペインの人たちによる運動は、自発的に公共的で開かれた集会という労働者階級の闘争のための武器を手に入れた。街中に何十万人ものあらゆる世代のあらゆる搾取している階層以外の人々が集まった。集会では誰もが怒りを表し、ディベートではさまざまな質疑をつき合わし、提案することができる。この公共的な勢いに満ちた空気の中で人々は勇気付けられ、政治的、文化的、経済的とあらゆる社会的な人生について喋りだす。広場では互いを尊重しあう団結心に満ちた環境で議論がなされ、膨大な量のアイデアが集まった。いくつかの都市では、。誰もが自分たちのアイデアを文章で投函できるように"アイデアボックス"が設置された。運動は賢明な形でオーガナイズされている。セキュリティ要員との無用な衝突を避けるため、委員会が設置された。参加者内での暴力は禁止されている。「革命は泥酔とは違う」という名のもと、アルコール禁止が行き渡っている。毎日清掃チームがオーガナイズされている。公共食堂では食事が提供され、ボランティアの人たちによる保育所ができた。図書館と"アイデア銀行"(学術的および文化、政治、経済テーマ、芸術的事柄を扱う)が設置された。"考える日"が計画された。あらゆる人が自身の知識と能力を持ち寄る。

一見このような流れは何一つ現実的な意味をもたらさないように思える。何一つ現実的な提案はなされていないし、何一つ現実的あるいはすぐに実行可能な要求もなされていない。しかし、極度の貧困や予算削減への不安、現状の社会的規範や社会的原子化(ばらばらにされる個人)を打ち破り、再び結合し、議論し共に熟慮するための共同の意思が言葉として表された。多大な混乱や幻想にも関わらず"革命"という言葉は人々の会話や横断幕、プラカードに出てくる。そしてその言葉を人々は最早恐れない。

集会でのディベートは根本的な疑問を提起した。

我々は"民主主義の改善"に限定すべきだろうか?変革することができず乗り越えなければいけないシステム、資本主義自体に根源があるのではないだろうか?

運動は選挙後の3月22日で終わらせるべきか、それとも我々の生存条件への攻撃、失業、貧しい生存状況、住居からの追 い出しなどに対する闘いを通じて続けるべきだろうか?

集会を職場に、都市の各地区に、労働局に、ギムナジウムに、学校に、大学に広げるべきだろうか?運動を、今拡がっている一般的な闘争に唯一参加できる状況にある労働者階級のみに限定すべきではないのではないだろうか?

集会でのディベートは2つの傾向へと昇華した。

ひとつの保守的傾向、プロレタリアートに属さない層が持つ「資本主義システムは"ブルジョア(市民)による民主革命"によって変革できるだろう」という幻想が振りまかれている。

その他プロレタリアートが示す傾向。それは資本主義の超克の必要を強調している。5月22日の選挙の投票日に開かれた集会では運動の継続が決定された。多くの演説は「我々は選挙のためにここにいるわけではない。何かが起こる瞬間に立ち会っているのだ」と、強調した。プロレタリアートの勢いは失業、貧困化、社会の解体に対抗する要求によって「労働者階級に向かって運動する」という提案を通じて急速に膨張した。プエルタ・デル・ソル広場では市内の各地区で国民集会を組織することが決定された。職場、大学、労働局への運動の拡大の提案もなされた。マラガ、バルセロナそしてバレンシアの集会では、社会保障の削減にたいするデモの組織が提起され、加えて新たなゼネストー演説者によれば「本当のゼネスト」-が提案された。

とりわけスペインの産業の中心都市であるバルセロナのカタルーニャ広場での中央集会は、"民主的な改革"への幻想に対する明白な拒否を表明した、もっともラディカルで強力なプロレタリアートの勢いが刻み込まれた集会となった。社会保障削減に反対するテレフォニカ(スペインの大手通信業者)の従業員、医療従業員、消防署員、学生たちもこれに反対し、別の意見の声をあげた。5月25日にマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場での集会が運動の「非中央集権」化と、「水平かつ参加型民主主義」を可能にするため、都市の各地区で"国民集会"を召集することを決定する一方、カタルーニャ広場での集会は医療従業員のストライキへの積極的な支援を決定した。バレンシアではバスの運転手たちが教育予算の削減に反対するデモに加わった。サラゴサではバスの運転手たちは熱意を持って集会に参加した。

バルセロナでは"怒れる人たち"がカタルーニャ広場のキャンプ場を6月15日まで維持することを決定した。

未来は若い労働者階級の手にある

今も究極の目標に向かって進展しているスペインでの若者たち(20-25歳の年齢層は45%という異常な高率となっている失業と戦っている)が引き起こした反乱は、労働者階級の闘いの一部であることは明らかだ。彼/女たちの労働者階級の世界的な闘いへの貢献は否定できない。このいたるところに拡大した運動は、すべての非搾取者階層、特にすべての世代の労働者階級を魅了した。

それは、すべての非搾取的な階層とすべての世代の労働者階級を引きつける広範な闘いとなった。たとえ階級が、大衆の怒りの波を一部しか手にしていなくとも、大規模なストライキと特定の経済要求をとおして階級自身を主張しなかったにせよ、この運動は世界を変革することができる唯一の階級の、真の意識の成熟を表している。

ブロレタリアート。この重要な人の群れが、西ヨーロッパの「民主主義」国で起ち上がりつつあり、資本主義がますますはっきりとした破綻の局面にあることを明らかにする。そしてブロレタリアートの闘いは政治化への道を拓いてゆく。

さらに何よりもこの運動は、若者、臨時工や失業者-大衆の多数、に労働者階級が闘いの武器を自分のものにすることができるという可能性を示した。

大規模で、広範に開かれた集会。人々は団結を主張し、政党や労働組合の外で、自分たち自身が運動をコントロールすることを認めた。

この運動の中から飛び出した「すべての権力を集会に」というスローガンは、今のところ少数派に過ぎないが、ロシア革命での「すべての権力を労農評議会(ソヴィエト)に」というスローガンの焼き直しだ。

「共産主義」という言葉が今日でも不安を呼び起こす(東側およびスターリン型政権崩壊後に堰を切った支配者のキャンペーンの影響が大きい)としても、反対に「革命」という言葉は恐れを呼び起こさない。まったく逆だ!

この革命は"今こそ本当の民主主義を"コレクティブが主張するような"スペイン革命"ではありえない。失業、貧困化、高い物価、悪くなる一方の搾取される民衆の生存状況はスペインだけの特別な状況ではない。失業、特に若者の失業の陰惨なしかめっ面はマドリッドとカイロ、さらにはロンドンとパリでも見ることができる。まったくアテナとブエノスアイレスで見ることができるように。私たちすべてが奈落の底へと崩落していく資本主義と共に落ち行く当事者なのだ。この奈落は貧困化と失業だけでなく増大する核による破局、戦争、社会的繋がりの解体ーモラル的野蛮人との繋がり(特に"文明"諸国におけるレイプや女性に対する暴力)によっても出来ている。

"怒れる人たち"による運動は革命ではない。"未来のない若者"と、すべての人類の展望を開いたこの運動は、単に社会闘争と世界の労働者階級による闘争の進展の最初の場として現れたに過ぎない。

運動は、混乱と幻想にも関わらず、ブルジョア社会の中にあるプエルタ・デル・ソル"無依存共和国"は、もうひとつの社会を成熟させることを明白にしている。この「スペインの激震」は、失うものを持たない新しい労働者階級世代が、既に歴史を動かす存在となりうることを示した。彼/女らは究極的には人類の解放への道と繋がる今後の社会的激震の土台を築こうとしている。ソーシャルネット、携帯、その他の新しいコミュニケーション手段によってこうした若い世代は、支配者と支配者に連なるメディアが押し付ける情報の暗闇を打ち破り、国境を越えた団結を築きあげることができるという自身の能力を証明した。

新しい世代の労働者階級は2003年に世界中の社会という舞台に、まずはブッシュ政権によるイラク軍事侵攻へ反対する勢力として(多くの国で若者がブッシュ政権に抗議した)、その後2003年のフランスでの年金改革反対デモに登場した。2006年にはフランスの高校生たちがCPEに強烈に反対して路上に現れた。ギリシャ、イタリア、ポルトガル、イギリスでは職業訓練生の若者たちも同様に、資本主義が提案する、絶対的貧困と失業という唯一の見通しに反対する声を上げた。この"新しい未来のない世代"の怒りの波は少し前にチュニジアとエジプトを襲い、ベン・アリとムバラクを突き落とす社会的反乱を巻き起こした。しかし、強力な"民主主義"諸国の支配者たち(特にバラク・オバマ)は、デモ参加者たちのストライキやゼネストによる脅しが苦い敗北を帰した時に、ベン・アリとムバラクを陥落させざるを得ない状況に追い込まれたという決定的な瞬間を忘れてはならない。以来ターリル広場は多くの国の若い世代の労働者階級を尻目に闘いを鼓舞する象徴となった。この例に続き、スペインの"怒れる人たち"はプエルタ・デル・ソル広場にキャンプ場を設営し、70以上の都市で公共の場を選挙し、あらゆる世代のあらゆる非搾取者層とともに集会を開いた(バルセロナの"怒れる人たち"はカタロニア広場をターリル広場と改名すらした)。

スペインにおける運動は、カイロのタリールスクエアに結実した素晴らしい反乱とは異なる深い意義を持つ。それはイベリア半島(2つの大陸を連絡する橋である)の主要国で起こった。

西欧(そのいくつかは「社会主義」政府!によってリードされてきた)の「民主主義」国家において、この事実はチュニジア「ジャスミン革命」以来、メディアで振りまかれた「民主主義」の神秘化を侵食してゆくことに役立つだろう。

怒れる若者たちが起こした運動の際の避けることのできない幻想と混乱にも関わらず、運動は今日爆発的広がりを見せている社会闘争における、ある非常に重要な繋がりを示している。経済危機が深刻さを増すにつれて、労働者階級の階級闘争を伴う社会闘争も常に増していく。

"未来のない"若者世代の勇気、覚悟、そして深く根付いた団結心は、もうひとつの世界は可能だということをしめしている。共産主義とは世界的な共同体の連合を意味する。しかしこの人類の「古くからの夢」を実現させるためには、まずこの世界の富の殆どを生産する労働者階級が自らの階級意識を再び発見しなければならない。それによって搾取とあらゆる資本主義による攻撃に対し、世界中での彼/女らの猛烈な闘いが繰り広げられることになる。

"怒れる人たち"による、革命を問う運動は始まった。世界中の労働者階級は資本主義を克服するという来るべき闘いにおいてこの問いを解くという宿題を与えられている。商品の生産と利益に立脚した搾取システムの残骸の上にのみ、新しい世代は人類は自身の尊厳を取り戻し、真の普遍的な"民主主義"からなるこれまでとは異なる社会を創出することができる。

ソフィアン 2011年5月27日

1. "グローバルな革命"と国境を越えた運動への"拡大"を呼びかけているスローガンを聞くことができる。すべての集会で国際評議会が開催されている。"怒れる人たち"による運動は、ヨーロッパ、アメリカ大陸大都市へと拡散している(のみならず東京、プノンペン、ハノイでは外国に住む若いスペイン人が"今こそ真の民主主義を"コレクティブの旗を掲げた)。


International Review誌Web版より訳出

共産主義左派とマルクス主義の継続

Article published in Proletarian Tribune (Russia)

プロレタリア・トリビューン(ロシア)に掲載された記事


) 1920年代中盤の革命の波の敗北以来、共産主義とマルクス主義ほど誤用や曲解された用語はない。スターリン政権下の旧東側諸国や今日の中国、キューバ、北朝鮮が共産主義およびマルクス主義の表れだとする説はまさに20世紀最大級の嘘である。この嘘は極左から極右まで、あらゆる支配階級の派閥によって用いられている。1839-45年の第二次「帝国主義」世界大戦の間、「社会主義祖国の防衛」という神話は、「反ファシズム」や「民主主義の防衛」といった用語と一緒に、ロシアの内外の労働者たちを人類史上最悪の殺戮へと動員するため用いられた。

この嘘はアメリカやロシア指導の最大帝国主義圏による双方の競争に支配される1945~89年の中、いかにも広い範囲で使用されていた。東方では、ロシア資本の帝国主義的な要望を裏付けるため、そして西方で帝国主義間の衝突を政治思想的に隠す手段(「ソヴィエトの全体主義から民主主義を守ろう」)として、労働者階級の考え方をねじ曲げる手法の一つとしても使用されて、ロシアの強制労働収容所に指しながら、「それは社会主義だとしたら、資本主義には不備があっても、まだましだろう?」と徹底する。とりわけ、東欧圏の崩壊が始まったら、「共産主義の死亡」、「マルクス主義の破産」や労働階級の終章まで意味するといって、このテーマは著しくうるさくなってきた。そして、この傾向に加えて、特にトロツキ派左翼など資本主義の極左翼が、「官僚的なゆがみ」を批判しながらもスターリン国家の遺跡に労働者階級の基盤があったと想像して、ブルジョワの要点を裏付けてしまった。

1945年から89年はアメリカとロシアが主導した両帝国主義陣営の拮抗によって特徴づけられた。この間、この欺瞞は極度の広がりを見せた。東側では、この嘘はロシア資本の野望の正当化のため、西側では帝国主義間の衝突をごまかすためのイデオロギー(「ソ連型全体主義から民主主義を守る」)そして、ロシアの強制収容所を例に、「これが社会主義そのものなら、欠陥だらけの資本主義がまだマシだろう」というメッセージを叩き込み、労働者階級の自覚を毒殺するための手段という二つの目的のために利用された。このテーマは、東側陣営の崩壊を「共産主義の死」、「マルクス主義の破産」そしてついには偽りの「労働者階級の終焉」という記号で象徴するものとして耳をつんざくほど喧伝された。さらなるブルジョアの飯の種は、ソ連-東欧圏の官僚的変質については批判しつつも、「スターリン国家には労働者階級の基盤が存在していた」と夢想し、ブルジョワジーの論点に与したトロツキストのような資本主義極左によってもたらされた。

2) このイデオロギー歪曲の積み重ねは、20世紀のマルクス主義の真の継続性を不明瞭にしてしまうことに貢献した。マルクス主義を偽造した擁護者、つまりスターリン主義者、トロツキニ主義者、その他あらゆる種類の学術的「マルクス専門家」、修正主義者そして哲学者たちは注目を独占し、真の擁護者たちが脇に退場させられ、無意味なセクトへと後退し、直接的な弾圧や抑圧はなかったものの、失われた世界の化石として退けられてきた。。故に今世紀本物のマルクス主義の継続性を再構築するためにはマルクス主義とは何かという定義から始める必要がある。1848年の共産主義宣言の最初の発表以来、マルクス主義は、孤立した天才的な「理論家」だけによるものではなく、現実のプロレタリアートによる運動を理論的に表したものでもある。

そしてそれは労働者階級にとっての唯一の戦闘的理論であり、労働者階級の直接かつ歴史的利益を断固擁護する理論である。マルクス主義は搾取される階級の大義に忠実であることにより、それ自身の理想を鮮明にする。

この利益の擁護は、プロレタリア国際主義という基本的で普遍的な原則に依拠することなしには実現できない。同時に、労働者階級自身の経験をとおした直接的な生き生きした関係において蓄積されてゆく理論が必要である。さらに、共同体的な労働と闘争を具現化する階級の産物として、マルクス主義自身も組織的な共同体、つまり革命的な党派によってのみ発展することができる。ゆえに共産主義宣言は、共産主義連盟という歴史上最初のマルクス主義組織の綱領として登場した。

3) 資本主義がまだ拡大と成長を続けるシステムであった19世紀、ブルジョワは自身の支配の搾取的本質を隠し、黒を白だといいくるめ、彼らの資本主義は実は社会主義であると説明する必要がほとんどなかった。この手のイデオロギーの狂態は歴史的な資本主義の衰退の際に典型的なものである。マルクス主義を隠蔽工作のための道具として誤用するためのブルジョアの努力をあからさまに表している。しかし資本主義の上昇期でさえ、支配的なイデオロギーのたゆまぬ圧力は、たびたび間違った形の社会主義を労働者運動に忍び込ませた。そのため共産主義マニフェストは自身のそれを「封建的」、「ブルジョア的」、「小市民的」社会主義と区別することを余儀なくされた。第一インターナショナルのマルクス主義党派は、バクーニン主義とラッサールの「国家社会主義」という二つの異なる前線で闘いを繰り広げなければならなかった。

4) 第二インターナショナルの諸政党はマルクス主義に基づいて結成され、労働者運動内の様々な勢力による連合だった第一インターナショナル後の飛躍的な一歩を具現化すると見られていた。しかし、彼らの活動は改善のための闘いに労働者階級のエネルギーが集中していた資本主義の急速な拡大期にあったため、社会民主主義政党は資本主義システムへの統合圧力に対して特に脆弱だった。この圧力は、資本主義は必然的に没落するというマルクスの予想は修正されなければならず、社会主義に向けたいかなる革命的介入も必要としない平和的な進化は可能だという議論をはじめた改良主義派の発展によってこれらの政党内にのしかかった。

この間、とりわけ1890年代後半から1900年代初頭にかけて、マルクス主義の正当性は最も非妥協的にマルクス主義原理を守ろうとし、最も早く、資本主義が成長時代の終焉に達したのに合わせて成長したプロレタリアートの闘争のための新しい条件を見出した「左派」の潮流によって維持された。ロシアのレーニン、ドイツのルクセンブルク、オランダのパンネクーク、イタリアのボルディガは社会民主主義左翼を代表する名前としてよく知られている。しかし、忘れてはならないのは、これらの誰もが孤立して働いたわけではない。腐った御都合主義の蔓延がインターナショナル内に拡大するにつれ、彼/女らは、ロシアのボルシェビキ、オランダのデ・トリブーネなど、各々の党で国際的に、組織された分派として活動した。

5) 1914年の帝国主義戦争および1917年のロシア革命は、資本主義は必然的に「社会革命の時代」に突入するというマルクス主義の洞察を裏付け、労働者運動の根本的な分断を誘発した。歴史上初めてマルクスとエンゲルス両者に言及したいくつかの組織は、互いにまったく反対側にバリケードを築いた。

公式な社会民主主義政党、かつての「漸進主義者」の陣門に降った多数派は、帝国主義戦争を初期のマルクスの文章を援用し、10月革命をロシアはまずブルジョア期の発展段階を経なければならないと糾弾した。

しかしそうすることで、彼/女らは必然的にブルジョア陣営に加わり、1914年の戦争では体制のための軍曹となり、1917年の反革命では体制の警察犬へと成り果てた。

このためマルクス主義の固守は、偽善的な宣言や党によるレッテルによって正当化されるのではなく、生きた実践によってなされると決定的に結論づけられた。帝国主義による大虐殺の中、ロシアのプロレタリア革命の防衛のために集結し、戦争の開始と共に打ち砕かれてきた数多くのストライキと蜂起を起こした左翼共産主義潮流はただひとりプロレタリア国際主義の横断幕を掲げつづけた。1919年の新しい共産主義インターナショナル設立の核となったのも同じ潮流だった。

6) 1919年は戦後の革命の波が最高潮に達し、共産主義インターナショナルの創設大会の見解がプロレタリア運動の中で、最も先進的な見解として出された。

  • 社会愛国主義者の完全な粉砕
  • 新たな資本主義の衰退期に望まれる民衆行動の方法
  • 資本主義国家と労働者ソビエトの国際的独裁制の破壊
この方針の明瞭さは革命の波の強烈な推進力を反映したが、旧来の政党内における左派の政治、理論的貢献によって事前に準備されたものでもある。ゆえに、カウツキーの合法的漸進主義の展望に対して、ルクセンブルクとパンネクークは革命の土壌としての民衆ストライキの構想を進展させた。カウツキーの議会主義への系統という衰弱にたいしてパンネクーク、ブハーリン、レーニンはブルジョア国家の破壊とコミューン(共同体)の創成が必要だというマルクスの主張を復活させ修正した。このような理論的発展はついに革命の鐘が鳴った時、実際的な政治課題となっていった。

7) 革命の波の衰退とロシア革命の孤立は、共産主義インターナショナルとロシアのソビエトの権力両者の衰退プロセスの始まりとなった。ボルシェビキ党はソビエト、工場委員会に赤色防衛隊といったプロレタリア自身の権力組織と関わりとは正反対の関係にある官僚制国家機関とますます結びついた。インターナショナル内部では大衆の行動の衰退期において大衆の支持を得る試みは、議会と労働組合内での活動と協調の拡大、「東の人々」に対する帝国主義への蜂起の要請、そしてなによりも社会愛国主義者の資本主義的本質という下心があからさまだった統一戦線の方針、という日和見主義的「解決」を生み出した。

とはいえ、第二インターナショナル内の日和見主義の拡大は左派潮流においてプロレタリア的反応を引き起こした。第三インターナショナルの多くは共産主義左派の潮流の抵抗に会い、パンネクークやボルディガおような自身のスポークスマンの多くが、過去のインターナショナルにおけるマルクス主義のもっとも優れた擁護者であることを既に証明した。共産主義左派はもとより国際的潮流で、ブルガリアから英本土まで、アメリカから南アフリカまで多くの国に存在した。しかし最も代表的な国々はマルクス主義の伝統が最も強固であったドイツ、イタリア、ロシアであった。

8) ドイツではプロレタリア民衆の現実の行動による非常に強力な推進力と結びついていたマルクス主義の深い伝統は、革命の波のように、いくつかの、とりわけ議会と労働組合の問題において、最も先進的な政治的位置を生み出した。このように左翼共産主義はそもそもドイツ共産党とインターナショナルの日和見主義への反応として現れ、KAPD(ドイツ共産主義労働者党。左翼反対派が恥知らずな策略によってKPDから追放された時、1920年に結成された。)によって領導されていた。

共産主義インターのリーダシップによる「幼稚」で「アナルコサンディカリスト」という非難にも関わらず、KAPDによる古い議会制と労働組合戦術の否定は、資本主義の衰退という労働組合戦術を時代遅れにし、工場委員会に労働者評議会という新しい形の階級組織を要求する深遠なマルクス主義的分析に基づいていた。明確にプログラム化された中心を持つ党観念(ボルシェヴィズムより直接受け継がれた)の趣きがある、時代遅れの「大衆党」という社会民主主義的アイデアの明解な拒否についても同じことが言える。古い社会民主主義戦術への回帰に対するKAPDの非妥協的な姿勢の獲得は多数の国、特にパンネクークとホルターの働きによって革命運動が密接にドイツと繋がっているオランダに広がっていた国際的潮流の核を作り出した。

これは20世紀前半のドイツの左翼共産主義が致命的な弱点に悩んでいなかったということではない。彼/女らは、自分たちが見えにくい形で革命の波が徐々に退いていく経過で危険な自主主義に陥っているのではなく、むしろ、死に向かって最後の「雄叫び」を上げながら衰退していく資本主義の姿を捉える傾向があった。共産主義インターナショナルの早すぎる崩壊と、1922年の新しいインターナショナル設立の不運な努力につながった組織の問題における弱点の数々がこれに関連している。これらの蟻の一穴は1920年に始まった反革命の大波に抵抗することを妨げ、破滅的な分断プロセスとなり、多くの場合において、独特な政治的組織の必要性を否定した「議会主義」イデオロギーによる理論化という結果に終わった。

9) 一方イタリアでは、イタリア共産党内で多数派を占めていた共産主義左派が、組織問題を特に明解にしたため、変質しつつあるインターナショナル内の楽観主義に対する勇敢な戦いを繰り広げることを可能にした。それだけでなく、反革命の闇が覆っていた時期に革命の難破を乗り越えることができる新たなフラクションが生み出され、マルクス主義理論を発展させた。1920年代初頭のブルジョア議会に対する棄権主義への賛意、「大衆への影響」という錯覚を生じさせる共産主義前衛と大規模な中央政党との併合・統一戦線や「労働者政府」のスローガンにも反対する議論は、マルクス主義の深い理解に基づいたものだった。

同様なことがファシズムの新しい事象の分析とその結果としての、あらゆる「民主的」ブルジョア政党を伴う反ファシズム戦線の必然的拒否にも当てはまる。ボルディーガの名前はイタリアの共産主義左翼の歴史と決定的に関連するが、彼の戦闘的貢献の極めて大きな重要性にも関わらず、イタリアの左翼はボルシェヴィズムとレーニンほどボルディーガに還元されるものではない。両者ともプロレタリア政治運動による、相互に結合しあう所産であった。

10) 我々が述べたとおり、ロシア革命の孤立は労働者階級と肥大化する官僚的国家装置との間の分離の深化という結果をもたらした。最も悲劇的な分離は、ますます国家に取り込まれていったプロレタリアート自らのボルシェヴィキ党によるクロンシュタットの労働者と船員の蜂起への弾圧だった。

厳密には、真にプロレタリアート政党であったからこそ、ボルシェヴィズムは自身の堕落に対して、内部からの抵抗を生み出した。1919年には、党の左派に最も引用されたスポークスマンであったレーニン自身も、とりわけ晩年にかけて、党の官僚制への傾倒に対して極めて的を得た批判をしている。同じころ、トロツキーも党内でプロレタリア民主主義の規範を復活させようと試み、スターリニストの悪名高い反革命との闘い、とりわけ「一国社会主義」理論に対しての闘い、に乗りだした左翼反対派の著名な代表者となった。

しかしかなりの部分は、ボルシェヴィズムがプロレタリア前衛としての自らの役割を国家と癒着することで損なってしまったため、党内の最も重要な左派潮流は、国家装置ではなく階級に留まった無名の存在によって率いられた傾向があった。

1919年には既にオシンスキー、スミルノフ、そしてサプラノフに率いられた民主中央集権主義グループはソヴィエトの「衰退」とパリ・コミューンの基本からの著しい逸脱に対して警告を始めた。同様の批判は1921年にコロンタイとシュリアプニコフに率いられた労働者反対派勢力によってなされた。もっとも後者は1923年のイタリア左翼と似たアプローチを発展させ20世紀を通して重要な役割を担いつづけている「Decist」勢力より綿密さと永続性を欠くことを証明するに終わった。ミャスニコフに率いられた労働者グループは自身のマニフェストを発行し、1919年の労働者ストライキにおいて重要な介入を行った。このグループのポジションと分析はKAPDのそれに近いものだった。

これらすべてのグループはボルシェヴィキ党から誕生しただけではない。彼/女らは党内部で当初の革命原理を取り戻すために闘った。しかしブルジョア的反革命勢力が党内で橋頭堡を築くなか、反革命の本質を見極め、組織的発現への感傷的な忠誠を打破することは、反対勢力の多くにとって重要な課題となった。

これらすべてのグループはボルシェヴィキ政党から誕生しただけではない。彼/女らは政党内部で当初の革命原理を取り戻すために闘った。しかしブルジョアの反革命勢力が政党内で勢力を増す中、反革命の本質を見極め組織の見解への感傷的な忠誠を打ち破ることが、反対勢力の多くで重要な課題となった。

これはトロツキーとロシアの共産主義左翼の根本的な相違を証明するためだった。トロツキーは自身の存命中ずっとソ連邦の防衛と、トロツキーの支持者の多くを困惑させた、「左翼」への回帰を含む左翼共産主義者たちが階級の敵の勝利を意味すると、新たな革命の必要性を示唆するスターリニズムの勝利と看做した、スターリニスト政党に置ける労働者階級性を主張していた。

もっとも、トロツキスト反対勢力の最も優れた集団、いわゆる「妥協不可能」な集団は20年代後半から30年代前半にかけての共産主義左派の重要ポジションのいたるところにいた。スターリニストによるテロは30年代の終わりまでにほぼ完全にこれらのグループを消し去った。

11) 1930年代はヴィクトール・セルジュの言葉によれば「真夜中の時期」であった。1926年の英本土でのゼネスト、1927年の上海での蜂起という革命の波の最後の残り火は既に消え去っていた。共産主義は国防のための政党になった。ファシストとスターリニストによるテロは、革命的運動が最も盛り上がったこれらの国で最も残忍なものとなり、資本主義世界はどこも新たな帝国主義ホロコーストの支度を始めた。   

このような状況下で生き残った革命的少数派は、亡命、弾圧、そして増大する孤立に直面した。士気を失い、ブルジョアの戦争イデオロギーに屈服したプロレタリアート階級は、即座の階級闘争に向けた広範な影響をもたらすことができない絶望の中にあった。

この問題のトロツキーの間違った理解は彼の左派対抗派において、社会民主主義政党「フランス的転換」への回帰、反ファシズムへの降伏など、絶望的な「大衆の克服」という極めて楽観主義的方向へと導くためだった。トロツキーというよりはトロツキズムにとっての最終的な結果はいうまでもなく、1940年代のブルジョア戦争装置への統合であった。社会民主主義やスターリリズムのように、これ以降のトロツキズムは資本主義政治機関の一部分であり、この疑わしい主張故にマルキシズムの継続性と完全に関係を持たない。

12) この軌跡とは対照的に、ビランを総括したイタリアの左派は、この時期の任務を正しく定義した。

  1. 戦争へのマーチに直面する国際主義の基礎的原理に忠実であるため
  2. 革命の波、とりわけロシア革命の失敗の「バランスシート」を作成し、適切な教訓を得、将来     の階級闘争の再興の際に登場するであろう新たな党のための理論的基礎に役立てるため

当時の革命勢力にとってスペインでの戦争はとりわけ厳しい試金石となった。多くは反ファシズムの平和の呼び声に屈し、この戦争が両帝国主義間の来るべき世界戦争への演習であったことを見抜けなかった。しかしビランは毅然として立ち、まさしくレーニンが第一次大戦で両陣営を非難したように、両ファシストとブルジョア共和主義派に対する抵抗を呼びかけた。

同時期、この潮流(後にベルギー、フランス、メキシコの分派を含む)は非常に大きく、置き換えることのできない理論的貢献を果たした。その1917年のロシア革命の退廃の分析はプロレタリアの性質に疑問を投げかけることはなかった。将来の転換期の問題、経済危機と資本主義退廃の根拠を研究し、共産主義インターナショナルの国家解放闘争の支援の拒否、党と分派理論の発展、止まることなく、しかし兄弟愛に基づいた他のプロレタリア政治潮流との議論、これらの、そしてその他の多くの領域でイタリアの左翼分派は疑うまでもなく、未来のプロレタリア組織のプログラム的基礎を敷くという自らの任務を果たした。

13) ドイツの共産主義左翼の分断はナチスのテロによって成功したにも関わらず、いくつかの革命的な地下活動はヒトラー政権下で遂行された。1930年代、ドイツ左翼の革命派による防衛の大部分はオランダで、とりわけ国際共産主義グループの活動によるものだったが、ポール・マティックに率いられたアメリカでもされた。ビランのようなオランダ左翼は、全世界的な殺戮へと道を開いたこの地域におけるあらゆる帝国主義戦争で真に国際主義に留まり、「民主主義の防衛」の誘惑に抵抗し続けた。

労働組合への疑問、資本主義の退廃期の新しい形の労働者組織、資本主義の危機の唯物的原因、国家資本主義への傾向に対する理解は深まりつづけた。階級闘争、特に失業者の運動に対する重大な干渉も続いた。しかしロシア革命の敗北によってトラウマを抱えたオランダ左翼は次第に政治組織としてのレーテの役割の否定へと陥って行った。続いてブルジョア勢力によって最初から骨抜きにされたボルシェビズムとロシア革命の完全な否定であった。こうした理論化は未来の崩壊の種だった。オランダの左翼共産主義はナチ占領下ですら命脈を保ったにも関わらず、重要な分派が戦後に誕生したー当初KAPD内で親政党制の位置に立ち戻ったスパルタクス団である。オランダ左翼の組織に関する問答でのアナキズムへの譲歩は後年、どのような形にせよ組織的継続を維持することを劇的に困難にした。今日では我々は、潮流がほとんど完全に絶滅した状態に直面している。

14) イタリア左翼はある種の組織的継続性を保った半面、反革命のダメージは大きかった。戦争の直前にイタリアの分派は、世界戦争の切迫を否定する「戦争経済の理論」によって混乱に陥れられたが、とりわけ帝国主義的衝突の直中にいたフランスの分派の存在によって活動を継続した。終戦に向かうに連れ、イタリアの大規模なプロレタリアート闘争の爆発は、20年代後半には政治的に不活発であったボルディガと共に、帝国主義戦争に反対するものの、革命的な闘いの開始であると見なされ、間違った時代分析のため明確なプログラムに基づいて形成されなかったイタリア国際主義共産党を形成するためイタリアに戻った多数派と共に更なる混乱を分派内の至る所にもたらした。

この政治的方向性は、今が反革命が勝利した時期であり、結果分派の役割はまだ終わっていないといち早く見抜いたフランス分派の多数派に反対された。フランスの左翼共産主義はビランの意志を受け継ぎ、差し迫った階級闘争への介入の責任を疎かにすることなく、エネルギーを政治、理論的先鋭化に注ぎ、とりわけ国家資本主義、転換期、労働組合と政党の問題に関して多くの重要な進展を遂げた。厳格なマルクス主義的手段を維持することがイタリアの左派では典型的だった半面、ドイツ・オランダ左派は組織の統合に素晴らしい貢献をした。

15) 1952年までは第三次世界大戦の切迫が誤って信じられていたが、GCFは解散した。同じ年、イタリアのICPは「ボルディジスト」勢力とファシストの時代に政治的にアクティブでありつづけた活動家オナラート・ダーメンに率いられる派に分裂した。「ボルディジスト」勢力はこの反動的な時代についてより明確な見解を示したが、マルクス主義の堅持への努力においてはドグマティズムに戻った。(新しい!)「マルクス主義の普遍性」理論は、フラクションによって30年代に達成された進歩を著しく無視し、多くの問題を「正統」な共産主義インターナショナルの時代に引き戻すこととなった。今日の多くのボルディガ主義グループ(少なくとも3グループが自らを「世界共産党」と名乗っている)はこの傾向の直接の後継者である。

このダーメンの傾向は政党、労働組合、民族解放、国家資本主義の役割のような基本的な政治的問題においてより鮮明だったが、ICP形成におけるそもそもの錯誤の根源へは行き着かなかった。1950年代から1960年代、ブルジョアジーがマルクス主義のあらゆる組織的表現の排除に迫り来るなか、これらのグループは政治的に停滞し、とりわけボルディジスト潮流は、労働者運動の偉大な伝統へと繋がる今日の革命的組織の生きた糸を断ち切り、セクト主義の壁の向こうに「引きこもって」しまった。

16) しかし1960年代の終わりにはプロレタリアートは、68年5月のフランスでのゼネストを機に再び歴史の舞台に登場し、その後、世界中で労働者の闘いが勃発した。この復活は明確な共産主義者の立脚点を求める政治化された新しい世代を生み出し、既存の革命的グループに新しい息吹きを吹き込み、そして左翼共産主義の遺産を一新しようと試みる新しい組織を生み出した当初、このボルシェヴィズムの「権威主義的」イメージへの対抗という新しい政治環境は、評議会主義的イデオロギーによって深く浸透した。そしてその政治環境は成熟するにつれ、反組織的偏見を過去のこととし、マルクス主義的伝統をそのまま継承した。

今日、既存の革命的環境におけるほとんどの集団が、組織の問題と革命的伝統の保護の必要性を強く主張しているイタリア左翼を源としており、それは偶然によるものではない。国際共産主義潮流の大部分がフランス共産党の後を引き継いでおり、ボルディジスト集団と革命党のための国際事務局両者はイタリアの国際主義共産党の後継者に他ならない。

17) 60年代のプロレタリアの再興はその後苦痛の道を歩み、運動は進退を繰り返し、多くの障害に遭遇したが、共産主義の死を訴え、部分的にあはナチスのガス室の存在を否定する一大「否定主義」潮流だという誤った罵りによって共産主義左翼への直接的攻撃に関わったブルジョアの巨大なキャンペーンに及ぶものはなかった。

この一連のプロセスの困難は同様に、進展を遅らせたり、統一を妨げたりと革命的環境の道筋に多くの困難をもたらした。この様な弱点にも関わらず、今日の「左翼共産主義」運動は、未来の世界共産主義政党の形成への唯一の「架け橋」として正統マルクス主義の生きた継続性を保っている。

ゆえに、いかなることがあろうとも共産主義左翼のグループによって展開される新たなそれぞれの活動をこの時代に世界中で進展させ、彼/女とディベートを繰り広げ、最終的には彼/女の戦列に加わることが決定的に重要となる。そうすることいよって、彼/女ら自身の手によって革命の成功を約束する革命的な党を建設するだろう。

1998年9月 世界共産主義潮流

International Communist Current, September 1998

日本での津波と原子力事故ー資本主義の恐怖

「最悪の事態を危惧しなければならない」。メディアだけでなく世界の政治指導者の政治指導者らの見出しにもこの文字が躍っている。しかし最悪の事態は既に始まっている!最初に地震、そして津波、極めつけに原子力事故。日本の住民は悲惨な状態に置かれている。現時点で既に数百万の人たちが福島原発の原子炉からやってきた放射能汚染というダモクレスの剣に打ちひしがれている。今回はハイチやインドネシアのような貧しい国ではなく、最先端の技術力を誇る国での出来事だ。その国は世界で最初の、核エネルギーによる破壊的影響の実験場となり、1945年に広島と長崎への原爆投下で、特に核の危険を知っている。

資本主義は人類を自然災害に対して脆弱にする

 資本主義の錯乱と支配階級の無責任な態度が改めて明らかになった。1億2700万人が狭隘な海岸沿いに、少なからずが崖っぷちの木造家屋に住み、常に地震とすべてを飲み込む波のモンスターの危険にさらされている事は世界中が知っている。高い人口密度は災害の際、犠牲者の数を増加させる。
 それだけの犠牲では飽き足らないかのように、文字通りの時限爆弾としての原発が、地震と津波の危険地帯に建設された。殆どの日本の原発は40年ほど前に、人口密度が高いだけでなく、津波の危険が特に高い海岸沿いに建設された。17箇所ある原発の55の原子炉も同じようなものだ。原発だけでなく、海岸沿いの石油化学施設も炎に包まれ、今回の人災と環境破壊を悪化させた。
 支配階級は、予想もしない強さと時期に起こった地震と津波による自然災害だと信じ込ませようとしている。そのとおりだ。しかし奇妙なことに資本主義は、このような破滅を防ぐために有用なはずの科学とテクノロジーを過去200年に渡って、今までにないほど推進してきたにも関わらず、未だ人類を今回のようなおぞましい危険から救えないでいる。今日の資本主義世界は暴力的なテクノロジーを持つ一方、支配階級の目には人の犠牲の上に成り立つ資本のための利益しか映らないため、ほんの少しでも人道のために使用する資質に欠けている。
 1995年の阪神・淡路大震災以来日本政府は、都市部のオフィスなど最初の地震でも使用可能なレベルで耐えられる耐震建築を推進してきた。公式の発表で、東京を含む福島から250km圏内の住民は既に平均にして通常の40倍の放射線[1]に曝されたにも関わらず、政府はこれを「危険ではない」量と定めた。

支配者たちの稚拙な嘘

 今日では過去の原子力事故、とりわけ1979年のスリーマイル炉心溶融事故との比較が用いられる。公式にはこの事故は死亡者を出していない。政治的に責任のある地位にある人たちは、福島は「今のところ」チェルノブイリの爆発事故ほど深刻な事故ではないと説明する。このような驚くほど楽観的な発言に安心するべきだろうか?日本、アジア、ロシア、アメリカ合州国、世界への本当の危険はどの程度のものと見積もられているのだろうか?答えは簡単だー「極めて甚大」。現時点で既に日本の広大な地域が放射能に汚染されている。東京電力(TEPCO)は常にごまかしを続けている。何百人もの従業員や消防員の命が冷酷にも高濃度の放射線によって危険に晒されている。この殺戮にもっとも責任を負っているはずの日本政府がこの特攻隊員たちを「英雄」扱いしているのはおぞましいばかりだ。そのような救いがたい無責任は大きく、破壊された原子炉を冷却するための一週間にわたる絶望的な試みの後(彼らは、爆発の危険性を高めかねない溶融する炉心からの電力を得るために電源ケーブルを接続するなど非現実的な提案を熟慮していた。)、唯一の解決法として熟慮されていたのは、福島原発をチェルノブイリのように砂とコンクリートで覆ってしまうことだった。現状やこれから起こるであろう惨劇には、いつものように、私たちを搾取する人間の嘘にまみれた議論が含まれる。
 1979年にワシントンは炉心溶融の結果起こった放射能漏れについて、14万人を避難させたにも関わらず嘘をついた。アメリカ政府は、直接的な死者こそ出なかったものの、後年発ガン率は数百倍にも上ったことも隠した。
 構造上の、そして管理上の深刻な弱点が確認されていたチェルノブイリでは、ソ連政府は一週間にわたって深刻な事態を隠し続けた。炉心の爆発と破滅的な放射性雲が何キロもの高空に放出され、数千キロ彼方まで広がった後、世界は事態の深刻さを知った。この種の対応はスターリニズムに限られるものではない。西側の指導者たちはまったく同じ事をした。放射性雲はフランス国境の外側に留まっている、という嘘を広めたフランスの例がかつては強調された。もうひとつの有益な事実は、IAEA(国際原子力機関)と連動しているWHO(世界保健機関)は、チェルノブイリ事故では50人が死亡し、9人(!)の子供が癌で亡くなり、4000人が癌死の可能性にさらされているという嘲笑に値する結論を採用している。ニューヨークの研究機関によると、現実には98万5千人がチェルノブイリの爆発によって死亡した[3]。そして今日、同じ研究機関から、福島での影響とリスクの情報が発表されている。問題は、こうした研究機関がどの程度信用できるかだけだ。
 チェルノブイリでは現場に駆り出された83万人のリクビダートル(ロシア語で「後始末する人」「「清掃人」)のうち約11万2千から12万5千人が死亡したことから考えると、これからフクシマの「リクビダートル」に何が起こるのだろうか?[4]。今日支配者たちは、チェルノブイリの原発は極めて危険で、コンクリートで炉心を覆わなければいけないといい、(自分たちの当初言ってきた)事をうやむやにしようと試みる。福島において過去10年で200件も事故があった事実を隠し続けてきたように。
 あらゆる国家が原発の本当の危険を否定している!フランス政府は断続的かつ大胆不敵にも、58あるフランスの原発はまったく安全だと説明する。その殆どが地震と津波の危険性のある海岸沿いに置かれているにも関わらずだ。1999年に暴風雨がヨーロッパを遅い88人の死者を残した際、ボルドー近くのブライにある原発は浸水によって炉心溶融寸前となった。このことを知る人はほとんどいない。フェッセンハイムにある古い原発は数年前から停止させるべきだった。しかし交換用部品と(うまく組み合わなかった)とおそらくは保守要員に対する高い放射線被害のおかげで今も稼働中だ。そしてちゃっかりとこう反論するー「すべてうまくいっているし、情報もすべて公開している」。
 3月11日の日本での地震の直後、メディアはためらうことなく日本の原発は世界でももっとも安全な部類に入ると主張した。二日後、今度はまったく逆のことを言い出し、東京電力は過去に事故を隠してきたことを思い出した。フランスの原発でもまたこの十年間で小規模事故の件数は二倍に増加した[5]。安全な原発があるのだろうか?どこにもない!WNA(世界原子力協会)によると、稼働中の440の民間商用原発の約20%が主要な地震活動地域にある。新規に建設中の62の原発のうちのいくつかは地震の危険がある場所にある。500に上る新興工業国での建設計画でも同じような状況だ。福島で破壊された4つの原子炉を含む多くの原発は、太平洋に4万キロにわたるリング状の地殻プレートのすぐ近くに建っている[6]。
 真っ当な情報はますます放射性物質が広がっていることを警告している。例えば1945年以前には自然界にはプルトニウムは存在しなかった。今日ではイギリスの子供たちの乳歯から見つかっている[7]。イギリスは既に商用の原子力プログラムを中止したにも関わらず。

資本主義は人類により多くの災害をもたらす

 日本で人々が闘っているのは核災害だけではない。もうひとつの、災害がもたらした人的災厄が彼らを苦しめている。世界第三位の経済大国は甚大な破壊と数百万の死者、加えて広島と長崎の原爆投下後の放射線被曝をもたらした第二次世界大戦以来、戦争を体験することはなかった。
 数百万人の東北地方の人たちは、たとえ放射能汚染がなかったとしても、電力、水道の供給がなく、ますます不足する食料の中生きている。津波が太平洋沿岸のすべての都市を洗い流したため避難した60万人は今や放射線被曝の危険にさらされ、寒さと雪の中を防ぐこともままならず生きている。日本政府の危険は無害化され、犠牲者の数は控えめに見積もられた宣伝とは反対に、既に全体で何万人もの死者が出ていると見積もらなければならない。海は絶え間なく海岸沿いの死体を洗う。破壊された住居、建物、病院、学校などの数は増える一方だ。
 村ごと、建物ごと、列車ごとー東北の各都市は津波によって引き裂かれた。狭隘な谷間にあった都市、例えば南三陸市は1万7千人の住民のうち半数が亡くなるか行方不明となった。役所が津波到達の30分前に住民に警告した後、道路はすぐに大渋滞となり、逃げ遅れた人たちは津波の犠牲者となった。
 住民の模範的勇気と規律を西洋のメディアは褒め称えた。総理大臣は「また一から復興させよう」と呼びかけた。はっきり言えば「日本の労働者階級はこれまで以上の搾取と苦しみに耐えなければならない」ということだ。もう何十年と知られている日本の画、例えば日本の労働者たちが従順に雇用者と朝のラジオ体操に勤しんでいるあの画、黙々となすがままに酷使される画、屋根が頭上に落ちてこようとしているときに、ストイックに振る舞いただ命令を待っている画だ。まったくもって日本の人たちは驚くほど勇敢だが、メディアによって描かれる「ストイシズム」はまったく違って見える。避難所で生活している何十万という人たちの間では正当にも怒りが増大している。さらに、首都圏の3千800万人の一部を含む、何十万という人たちが避難の列に並んでいる。そして危険と運命に逆らうための避難をせず耐え忍んでいる人たちは他に選択の余地を持たない。彼/女らには資金がなくだけでなく、避難する当てもない。誰が泊めてくれるのだろうか?災害難民となることは支配者たちの目にはみっともないこととして映る。毎年約5千万人が災害難民となるが、彼/女のためにいかなる条約も存在しない。もちろん原発事故のような災害の場合でもだ。別の場所に避難しようとする貧しく持たざる日本人に何の「難民となる権利」を保証されていない。
 このような正気であるとは思えない搾取のシステムは破滅的で、日ごとに非人道性を増している。人類は膨大な科学的知見と強大な技術的手法を集積させてきたにも関わらず、支配者たちは人類を今回のような自然災害から守ることに失敗している。逆に世界中でおぞましい破壊的作用をもたらしている。われわれのフランス語圏のフォーラムのメンバーはこう述べた「私たちにはこの資本主義的地獄に対して、社会主義か野蛮かの選択肢しかない。既存の制度と対決するかくたばるか」だ[8]。 ムラン 2011年3月19日

[1] 経験はこの公式の数字が一般的に、とりわけ原子力の領域でどの程度信頼に置けるかを示している。黄金の法則によれば、支配者たちは嘘をつき、(数字を)操作し、危険を過小評価する!
[3] « Troublante discrétion de l'Organisation mondiale de la santé », Le Monde du 19 mars.
[4] https://www.monde-diplomatique.fr/2010/12/KATZ/19944
[5] https://www.europe1.fr/France/En-France-les-incidents-nucleaires-en-haus...
[6] https://www.lemonde.fr/depeches/2011/03/15/fukushima-eclaire-le-risque-d...
[7] https://blog.mondediplo.net/2011-03-12-Au-Japon-le-seisme-declenche-l-al...
[8] https://fr.internationalism.org/forum/312/tibo/4593/seisme-au-japon

ICConline - 2012

フクシマ ー 地球規模の災害

2011年3月11日、日本の東海岸は過酷な津波に襲われた。建物の高さにまで達した波は、あらゆるものを洗い流した。2万人(原文ママ)を超える人々が死に追いやられ、なお数千人が行方不明のままとなっている。多くの人々は家を失った。人類の大部分は海岸やその近くに居住している。これらの地域に住む人々は、ごく狭い地域にひしめき合い、加速し続ける海面の上昇に晒されている。津波の引き起こす洪水は、これら高密度の居住地域をあっという間に洗い流してしまうことを示した。

日本政府のあらゆる期待を裏切り福島原発は制御不能に陥った。たった一回の地震と津波は海面上昇の時代に海岸沿いに居を構えることと、支配階級による原子力の扱いの潜在的な危険性を明らかにした。今記事では紙面の都合上、福島原発の炉心溶融のその後に注目を当てているが、それは津波がもたらした破滅的な結果を無視するためではない。

 

チェルノブイリ、福島: どこの支配階級も無反省で救いがたい

 

遅すぎた上に範囲も十分でない住民の避難が福島原発で炉心溶融の後に始まった。津波が原因で避難をさせる方法がなく遅れたという主張で説得することはできない。政府は危険を小さくみせるために大規模な避難をさせたくなかった。電力会社と政府の原発運用の責任者たちが、今回のようなシナリオを想定しておらず、この規模の地震とそれによって引き起こされる津波に無力なことが突如として明らかになった。計画されていた緊急措置と危機回避の方法は全く不適当で、ハイテク国家日本が救いがたいほど無力な巨人であるとの印象を与えた。

震災発生から数日後、政府内で東京とその周辺の3500万人の避難が必要になる可能性が検討されたが、これは、単に実行する方法に欠けるだけでなく、国家の終焉の危機を演出をしかねないため即座に却下された。

福島原発とその周辺では致命的な放射線量が記録された。事故直後、菅元首相は建屋と炉心内の圧力を逃がすために必要な、作業員による決死隊の結成を要求した。貧弱な防護装備の労働者たちは現場に踏み込んだ。「線量計を持たされない時もあった。適切な防護ブーツがないときもあった」。ある労働者は、(適切なブーツがないため)作業員たちはセロハンテープでプラスチック製のバッグをブーツの周りに巻かなければならなかった、と述べた。作業員同士およびコントロールセンターとのコミュニケーションが全くとれないことも頻繁にあった。作業員の多くは敷地内で鉛のブランケットを羽織って寝なければならなかった。緊急時の原発での男性作業員の被曝限度線量は年間100mSvから250mSvに引き上げられた。いくつかのケースでは作業員は何週間、何ヶ月もの後に初めて健康診断を受けることができた。

25年前のチェルノブイリ原発事故の時、崩壊への道を進んでいたスターリニスト政権は事故収束に立ち向かうのに、膨大な数の兵士を投入する以外の方法を見いだせなかった。WHOによると60万から80万人のリクヴィダートル(原発事故収束のための強制労働者)が投入され、その内の多くが放射線被曝かそれによる癌で死亡したか、病気に冒されている。政府はいかなる信頼に足るデータも公表していない。

25年後の現在、ハイテク国家日本は必死で「火事」の消火に努めている。消防ホースだけでなく、ヘリコプターによる散水まで用いて冷却を試みている。計画とは裏腹に、TEPCOは設備冷却の為に大量の海水を使用し、汚染水を海に放流することを余儀なくされている。25年前にスターリニスト政権が何十万のリクヴィダートルを強制徴用したのに対し、日本では経済的困窮が何千人もの労働者たちへ自分たちの人生を危険に晒すことを強制している。TEPCOは大阪、釜ヶ崎のようなとりわけ貧しくホームレスや日雇い派遣労働者が集まる地域で人員募集をし、多くの場合、リスクや働く場所を知らされない。

リクヴィダートルだけでなく、住民も生命の危険に晒された。特に放射能汚染地域の子供たちは高線量に晒された。放出量が過去最高を大きく上回ったため、政府は福島における子供における年間20ミリシーベルトの被曝までを「安全な線量」とすることを決定した。

スターリニスト政権下のロシアでは指導者層は皆、最初の数日間、チェルノブイリでの大事故について沈黙を守ろうとしたが、民主主義日本の政府は同じく、破局の全貌を隠すことに決めた。日本の指導者層はチェルノブイリ事故の際のスターリニスト政権と遜色のないシニシズムと人命軽視を披露した。

今のところ事故の長期的な経過を現実的に評価するのは不可能である。メルトダウンとは、溶けた燃料棒が超高線量の固まりとなって、圧力容器を突き破ったことを意味する。冷却水は極度に汚染され、なお半永久的な冷却を必要とし、次々に新たな莫大な量の汚染水を追加する。水だけでなく、「露出した」炉心が放出する放射性セシウム、ストロンチウム、プルトニウム同位体もだ。これらは「ホット・パーティクル」と呼ばれ、東京はもちろん日本中で検出されている。福島に溜まった核廃棄物処理を可能にする技術的目処は当面のところ立っていない。冷却プロセスは何年あるいは何十年にもおよぶ。チェルノブイリでは石棺を建設する必要があったが、これは近いうちに崩壊する運命にあり、新たなものに置き換えなければならない。これまでのところ福島の事故ではなんの解決も見いだされていない。しかし汚染水は溜まる一方で、当局はそれをどこに捨てればいいのか全くわからないでいる。多くの汚染冷却水は直接海に垂れ流されている。海流は太平洋全体に及び、それが食物連鎖を通じて人類にどのような影響をもたらすのかまだはっきりと知ることはできない。世界的に豊潤な漁場として知られている日本の北部太平洋沿岸は影響を受けているし、ベーリング海峡の鮭も影響を受けるかもしれない。(福島の北東沿岸沖には二つの潮の流れが交わっている。暖かい黒潮と冷たい親潮だ。ここは日本でも最も漁獲に適した地域となっている。日本の魚消費のおよそ半分がここで穫られる。日本の魚供給は危機にさらされるだろう)[1]

「いまだかつて海で、これほどまで高濃度の放射能汚染が検出されたことはない」。[2]

日本の汚染地域における人口密度はウクライナの同地域の15倍にも達するため、住民にどのような影響が現れるのか評価ができない。

今回のメルトダウンは核事故の結果が全く制御不能であることを明らかにした。責任者はせいぜいペストかコレラかを選べるにすぎない。ただ指を加えてメルトダウンが起こるに任せるか、注水による更なる汚染の拡大を受け入れて現場を海水で冷やす努力を続けるかだ。救いがたい政府は、著しく汚染された冷却水による海洋汚染を選んだ。

 

除染: 問題は解決するどころかより酷くなる

 

汚染された周辺の土壌を処理する試みは無責任と無道徳さを露わにした。2011年8月、人口約30万の福島市は市内334箇所の学校の校庭と保育施設を除染した。だが、市は汚染土をどこに処分すればいいのか皆目わからない。福島県郡山市の例では学校の校庭の表土を埋めただけだった。東京を含む17都道府県では汚染スラッジの報告があり、どうやって除去するのか見当がついていない。東京からわずか20kmの地点でも汚染された土壌が記録された。(訳注:柏市周辺のホットスポットを意味している。)何千もの建物に付着した放射性物質を洗浄する必要がある。山林もおそらく、伐採して徹底的に除染する必要があるだろう。日本のメディアは、政府が膨大な量の核廃棄物用の中間貯蔵施設を計画していると報じた。方法が他に見つからないので放射能ゴミが(通常の焼却施設で)燃やされている。これは排煙によって更なる汚染の拡大に繋がる。この絶望的な量のゴミは、除染が不可能なことを明らかにしている。[3]

 

核廃棄物処理 ー 地獄の遺産かそれとも:ノアの大洪水の後

 

原子力による発電の特徴は、核分裂のプロセスが発電所が運転を終えた後も続き、放射線の放出が終わらないことにある。発電所から出る廃棄物をどうすればよいのだろうか? 放射性物質に触れたものはすべて汚染されてしまう。

世界原子力協会によると毎年1万2千トンほどの高レベル放射性廃棄物が蓄積され、2010年末で世界中で30万トンも溜まっている。いくつかの国で既に運営または計画されている、旧採鉱施設を利用するなどした貯蔵施設は目下の対処でしかなく、その危険性は特別に隠されてきた。ドイツのアッセには、いずれ周辺の岩塩に浸食されることになる12万5千個の放射性廃棄物入りの容器が貯蔵されている。容器からは現時点で既に放射性溶液が染み出してきている。専門家たちはゴアレーベンにある中間貯蔵施設の地盤が崩落する危険があることを突き止めた。同様の危険は世界中のほぼすべての処理場にもある。言い換えれば、原発の運転時と同様の大きな危険が、核廃棄物処理でも全く未解決の問題として残っている。現在の責任者たち処理場ないし中間貯蔵施設あるゴミを何十世代にもわたる未来に押し付けている。

そして通常運転時の原発も、原子力業界が主張するようにきれいなわけではない。事実として発電時の燃料棒冷却に莫大な水を必要とする。このため原発は主に海岸や河岸に建設される。14カ月ごとに炉心内1の燃料棒のうち1/4が取り換えられる。取り換えられた燃料棒は引き続き高温を示すため、交換後2-3年は、いわゆる冷却プールに貯蔵しなければならない。川および海に流し込まれる冷却水は周辺の海(川)の温暖化を引き起こす。海(川)草が発生し、魚は死ぬ。さらに原発からはナトリウム、ホウ酸、アンモニアといった化学物質も海(川)に流れ込む。

 

事故後約1年ー責任者たちはいずこへ?

 

権力者は問題の根源を明らかにすることに関心を抱いているだろうか?明らかに抱いていない!実のところ、福島原発の建設計画全体が地震と津波の危険に対応していない。事業者である東京電力はこれまでに多くの事故をウヤムヤにし、安全対策の不備への批判を受け付けてこなかった。そもそもこの発電所は運転開始後40年をもって閉鎖されなければならなかった。日本政府は極度に産業界に干渉し、日本経済は、日本の資本の競争力を強化するため、経済産業省の干渉を受けていることで知られている。そして原子力についてはほとんどフリーパスを与えている。当然、監査報告のごまかしや、事故の過小評価が明らかになった際、なんの責任も取らなかった。他方、競争圧力と経済危機の重みによって、メンテナンスや運営への投資と資格を持った要員の投入は少なくなる一方だ。資本の危機は訓練された人員の不足させ、安全基準が下がっているため、原子炉をますます不安定なものにしている。

世界中で運転中の442の原発の多くが、地震の危険のある場所に建てられていることによって危険はさらに増す。日本だけでも50を越える原発が地震危険地帯に建てられている。アメリカ合州国では少なくとも1ダース以上の原発が同様の危険地帯にある。ロシアでは多くの原発が地震の際の自動停止装置なしで運転中だ。トルコではアックユの原子炉がEcemis活断層のそばに建てられた。インドと中国は世界中の新規建設計画の多くを占めている。地震活動が活発な中国では27ヶ所の原発の新規建設を進められている。危険リストはさらに続く。資本主義は、自然の脅威を顧みるかわりに、至るところに時限爆弾を仕掛けている。先進国ですら不十分な安全基準しか設定していないのだから、原発をこれからつくろうとする国々の安全基準と事故対応の経験は推して知るべしである。この地帯で事故の際に何が起こるのか想像しがたい。

その上古い原発の運転寿命は伸ばされる。アメリカ合州国では60年まで伸ばされた。ロシアでは45年。世界中で、各国の原子力産業の管理の不備を補うための国際監視機関の介入に基づく安全基準の強化への根強い抵抗がある。各国は自分たちの好きに安全対策を取っている。

まとめ:福島での事故にも関わらず、人類は、至る所でいつ地震や、人為的ミス、テロ、とりわけ新たな災害で発動しかねない原子力の時限爆弾の上で生活し続ける。

 

原子力発電ー安価でクリーンで代替不可能 自然と社会の犠牲の上に成り立つ利益

 

相変わらず原子力産業の支持者たちは、原子力は安価で、クリーンで、そもそも代替方法がないという議論を展開している。事実は、原発の建設は莫大な金額を飲み込み、電力料金によって都合しなければならない。が、結局のところ補助金という名の税金によって補填される。核廃棄物処理によって運営会社は甘い汁を啜り、かかるコストは社会に押し付けられる。廃棄物の処理についてまったくなんの見通しもないことから、原子力ロビーによるコスト計算に廃棄物処理が含まれていない。もちろん、原発が約50年を過ぎてその運転を終えた後、この含まれていない莫大なコストが生じる。

原発の故障や暴走事故でも同じことが言える。これらのコストも社会に転嫁される。福島では今後のコストがどの程度になるのか、現実的な計算ができない。これまでの時点で2-3兆円と見積もられている。このコストを東京電力が負担することはできない。日本政府は、東電社員を犠牲にすることを条件に「救援」することを既に約束した。年金と給料は減額され、何千もの社員が解雇される。更に国家予算の特別枠も設けられるだろう。

環境経済的観点から見ても、運営コストと解決の目処も経っていない廃棄物処理問題は確実に底なしだ。あらゆる視点から見て、原子力は常軌を逸したプロジェクトだ。原子力業界は発電のために膨大な資金を得る一方、「追加コスト」を社会に押し付ける。原子力発電は、利益と人類と自然の長期的な保護の間の克服不可能な対立を体現している。

 

危機と自然の乱獲

原子力だけが自然環境にとって危険なのではない。資本主義は自然の乱獲をその商いとしている。資源の持続性などお構いなしに収奪し、自然環境をごみ捨て場同然に見なしている。今日、全体が居住不可能となった地域が次々に増えている。海はごみだらけだ。進化する採掘技術の助けによって資源は収奪しつくされ、破滅の潜在的危険は大きく増大した。2010年の4月にメキシコ湾で石油採掘プラットフォーム、ディープウォーターホラインズンが爆発した後、調査委員会は、安全規定に致命的な不備があることを見つけた。強力な競争圧力は建設と施設管理そして運営に莫大な投資をしなければならない、巨大企業ですら安全に関するコストを節約に向かわせる。もっとも新しい例として、ブラジルの石油による汚染がある。こうした怠慢の全ては、技術的に遅れを取っている国々に限った話ではなくて、驚くほど発達した国々でもありうる話だ。

全人類の生存が脅かされている

 

スリーマイルやチェルノブイリと比較して福島は、歴史上始めて3500万人もの居住者がいる東京のような大都会が直接脅威に晒された。

原子力は第二次世界大戦中に軍事目的で開発された。二つの都市への原爆投下は、衰退しゆく資本主義システムの時代に、より悲惨な破壊をもたらした。大戦後、冷戦時代の軍拡競争と核兵器のシステマティックな開発は、たった一度の戦争で人類を滅亡させることができるほどの軍事力をもたらした。冷戦終結から20年以上経った今日でもなお、人類を何度も滅亡させるに足る、2万発以上の核弾頭が存在している。

スリーマイルとチェルノブイリ、そして福島によって人類は原子力の軍事利用によってだけでなく、発電のための「平和的」利用によってもの生存を脅かされていることが明らかになった。 日本政府は福島原発事故で広島での原爆投下時の168倍のセシウム137が放出されたと推定した。セシウム137の総放出量は1万5千テラベクレル、広島のリトルボーイで放出された量はわずか89テラベクレルだった。

災害発生後のすべての成り行きは、天井知らずの災害対策のコストを前に責任者たちが事後の責任を取らず、右往左往していることを示している。まったくおかしい。原発に限らず、環境保護全般で支配者たちは常に身勝手を示してきた(ダーバンサミットを見よ)。環境破壊は規模を増し、支配者たちは方向転換をし適切な対策を取ることができないでいる。この惑星と人類は利益の祭壇の前の生贄となっている。

資本主義が地球の生命を滅ぼしてしまうのが先か、労働者階級をはじめとする搾取、抑圧されている人たちがそのシステムを克服するのが先か、時間との争いが始まった。資本主義は人類を様々な領域(恐慌、戦争、環境問題)で脅かしているため、反原発だけというように、資本主義の本質の一面だけを指向することにあまり意味はない。重要なのは、資本主義がもたらす恐ろしいシナリオと資本主義システムの根本との間にある関係を認識することだ。闘いを、とりわけ80ー90年代に(反原発運動、スクォッター、反NATO軍拡運動といった)枝葉の運動が闘いを率いたような、いわゆる「シングルイシュー運動」に任せてしまうのは致命的だろう。今、システムが破産したことを世界に示すことが何よりも重要だ。危機と戦争、そして環境破壊の関連性を見逃せば、間違いなく漸進主義の薄氷の上にたどり着き、システムに吸収される危機に晒される。。


[1]福島の北東沖は暖かい黒潮と冷たい親潮が合流し、世界でも最も豊漁な地域となっている。日本の魚消費の半分をこの一帯が担う。そのため漁業は危機に陥ることになる。

[2]         https://www.ippnw.de/commonFiles/pdfs/Atomenergie/Zu_den_Auswirkungen_der_Reaktorkatastrophe_von_Fukushima_auf_den_Pazifik_und_die_Nahrungsketten.pdf

[3]日本の環境団体の発表によれば、日本政府は福島一帯の汚染された瓦礫 を全国各地で焼却しようとしている。環境省は、3月の災害による、岩手、宮城、福島の建造物瓦礫の量をおよそ2380万トンと見積もっている。毎日新聞によると、11月初旬に、岩手から東京に向けおよそ1000トンほど初の瓦礫輸送が行われた。岩手県は瓦礫には133bqkgの放射能が含まれると見積もっている。3月以前には(焼却、輸送が)違法だった量だが、日本政府は7月に廃棄物の安全基準を100bqkgから8000bqkgに引き上げ、さらに10月には10000bqkgに引き上げた。東京都は50万トンの瓦礫を受け入れると発表した。

 

日中帝国主義の衝突

日中帝国主義の衝突



 2012年に始まった、尖閣諸島を巡る争いは、極東最大の大国同士の敵対的な野望と緊張をもたらした。世界で最も多くの人口を抱え、世界第二位の経済力をもつ中国と、同じく第三位の日本両国は、互いにこの諸島を巡る緊張をエスカレートさせ、自らの力を示すため、兵力を動員してきた。これは日中およびアジアのみならず、世界全体にとって、間違いなく深刻な問題だ。

 この両巨頭のみならず台湾も同諸島の領有権を主張している。尖閣諸島は岩だらけで居住不可能な地にも関わらず、その戦略的価値や、潜在的な油田や天然ガス源(訳者注:レアメタルも)と豊かな漁場の存在は、同諸島の領有権の主張を決定的にエスカレートさせている。



中国:新興帝国



 中国にとって、尖閣諸島の領有権を主張し、日本と衝突しているのは、近隣諸国との対立を代表する熱い一例でしかない。近年の経済成長以来、中国はますます資源に依存せざるをえないという脆弱性を抱えるようになった。同国の船舶輸送の八割は尖閣諸島周辺を通過する。アジアにおけるいかなる海峡封鎖も中国を大いに動揺させることになる。さらに中国は、本土を超えて海のむこうまで、とりわけ南シナ海において自身の影響力を強めようとしている。[1] 主要なライバルであるインドと直面する中国は、戦略的に重要な地点にそれぞれ前哨基地を設置しようとしている。中国はアメリカや他の国の攻撃を覚悟してまで、イランとシリアを支援してきた。中国の指導者達は平和的な経済発展を望む一方、支配派閥は軍事力の増強に投資を続けてきた。唯一の超大国であるアメリカは、既に中国がアジアで最大のライバルだと理解しており、軍事的重点を東アジアに移すことを決定した。アメリカは2020年までに海軍力の60%を東アジア地域に配置する予定だ。

 その上、増大する資源需要、とりわけエネルギー資源需要は、中国の南シナ海での資源探査および採取権に関する主張を過激なものにしている。中国のこれまでの南シナ海での対立と今回の日本との尖閣諸島を巡る対立は、この国が喉から手が出るほど資源を欲しがっているのみならず、帝国主義ヒエラルキーの再編成へと名乗り出たことを示している。この国はもはやアメリカとその同盟諸国の支配的な役割を終わらせ、自国の領土を超えて利益を守ることのできる勢力となろうとしている。それゆえ、この日中の対立は極東における増大する帝国主義国間の緊張の氷山の一角に過ぎないのだ。



日本:自らの野心に執着する衰えゆく帝国



 日本はこれまで尖閣諸島の領有権を主張し、自身のプライドを、かつての帝国主義的歴史の中に新しく見出そうとしている。既に19世期末には、日本の資本は台湾、東シナ海の島々そして韓国侵略の野望へと向かっていた。今日の日本政府は、尖閣諸島の1894年の占領の歴史的正当化を推し進めている。日本のアメリカ帝国主義に対する敗北によって、この諸島はアメリカの管理下に置かれたが、1972年に日本に返還された。もちろん日本はこの地に眠るエネルギー資源を中国に譲り渡す気はないし、帝国主義の序列を変える気もない。この国は過去の呪縛から抜け出したがっている。第二次世界大戦での敗北後、日本はアメリカの傘の下に入った。激しい爆撃(広島、長崎への原爆投下と東京他各地への空襲)の後、アメリカの管理下に置かれた。日本は国外での衝突に軍事力をもって干渉することは許されないとする憲法を制定することを強制され

た。しかし、1950年代初めの冷戦の文脈において起こった朝鮮戦争によってアメリカは、ロシアや中国との対決の際に支援を得るため、日本の再軍備を余儀なくされた。北朝鮮による日本やアメリカ、韓国に対する武力行使をちらつかせた恒常的な脅迫と、中国の力の増大によって、日本は自らを矛盾する立場に置かれていると見なすようになった。アメリカへの依存から抜け出したい一方、北朝鮮と中国の軍事的脅威に対して、自国をアメリカの軍事力の下においておきたいわけだ。1989年以来この国は自国の影響力を拡大するため、若干の歩みを進めた。自衛隊は、ペルシャ湾およびインド洋で最初の「海外派兵」を経験し、アフガニスタンとイラクでのアメリカ主導の戦争で兵站面の一部を担った。日本は、インドやベトナムと共に、マラッカ海峡と南シナ海での軍事行動に参加した。先ほど、日本は、ジブチで最初の軍事基地を設立した。その自衛隊は最新の兵器を備えている。中国軍の近代化と拡大は日本に更なる軍事力への投資を促している。しかし、日本にとって中国と尖閣諸島は唯一の争い事ではない。日本は、韓国とも日本が1905年に韓国から獲得した竹島を巡って争っている。日本は北朝鮮の軍事的挑発を恐れていて、将来起こりうる南北朝鮮の統一を更なる脅威と感じている。とはいえ、日本は、中国の帝国主義の興隆こそが最大の脅威だと感じている。歴史的に日本と中国は、この地域に置ける二大帝国として対立してきた。長年に渡って中国の大部分を占領し、幾多の国民の虐殺を伴った凄惨な戦争を遂行した日本に対して、中国の支配階級は常に、日本に対する復讐の愛国主義的感情を利用している。対する日本の安倍内閣は、中国に対して、より攻撃的なスタンスを取ると表明した。

 日中間のいかなる緊張のエスカレーションは、アメリカと中国の緊張に油を注ぎ、両国およびその同盟国が対立している他の地域での緊張をさらに発展させることになる。アジア二大大国の競争は全世界に飛び火することになる!


単なる牽制に留まらない日中の衝突



 いくつかの場合、とりわけ2012年秋、いくつかの中国の都市で、尖閣諸島における日本の軍事力に対して、日系商店を燃やしたり、日系企業の工場を攻撃するなどの抗議があった。中国政府は明らかにこうした抗議を歓迎し、おそらくは直接組織すらした。

 他の政権と同じく、中国政府も、拡大する経済問題、汚染、支配派閥の汚職に対する怒りなどの深刻な社会問題から人々の目を逸らすことに熱心だ。当局が認めざるを得なかったほど「暴動」の件数は過去数年に上昇し続けている。

 中国政府は、こうした抗議を国粋・愛国主義の枠に引き戻したがっている。日本との衝突は、人々を国家に再結集させるための材料として用いられる。中国は長年にわたって、洗練された愛国プロパガンダを若い世代の頭に叩き込んできた。。長年不況に苦しみ、フクシマと津波の惨劇に直面する日本政府も同じように、人々を国家主義に引き込み、国家の元に団結させたがっている。確かに支配派閥はこうした抗議を見事に裏で操っているが、この対立を単なる経済・社会・環境問題から目を逸らすための国家主義の欺瞞だと見なしてしまうのは危険である。アジア太平洋地域最大の両国が尖閣諸島を巡って衝突し、アメリカとアジア諸国がこの争いの敵味方を見定める過程に入れば、帝国主義国同士の緊張がアジア太平洋地域全体に広がるだろう。

 両国とも互いの輸出に極度に依存しあっていて、先の衝突が原因で貿易が深刻な落ち込みを見せたのに、なぜ、支配者たちは「理性的」に国家主義の傾向を抑えようとしないのだろうか。そもそも支配者たちは「理性的」なのだろうか? 実のところ軍国主義は、資本主義の不治の病なのだ。資本主義は一国の力よりはるかに強力なのだ。資本主義は平和的に経済競争をすることを許さない。過去一世紀にわたってシステムは人類をますます野蛮になってゆく戦争へと引き込んだ。第一次世界大戦の主要な戦場はヨーロッパだった。アジアはこの時点ではまだ戦場から幾分遠くにいた。しかし第二次世界大戦では、アジアの広大な地域が主要な戦域となり、何千万の命が失われた。ベトナム戦争に先立つ朝鮮戦争は、1950年代の最も凄惨な対立の一つだ。ソ連の崩壊とアメリカ帝国主義の衰退に続く形で、中国帝国主義が力をつけ、アジアの帝国主義レースに挑戦することが可能になった。アジアにおける中国のライバルたち(日本、韓国、ベトナム、フィリピン、インドなど)は、中国の更なる勢力拡大を防ぐため、アメリカの軍事支援を望んでいる。日中の先日の衝突は、この地域全体で増大する一連の緊張のひとつに過ぎない。



私たちのとるべき態度は?



 私たちは政府の国家主義的政策に従い、大量虐殺に備えるべきだろうか?いや、そうすべきではない。国家主義、国粋主義、愛国主義はプロレタリアの墓場だ。克服不能な経済危機、終わりのない戦争への道、排外主義、労働者階級の貧民化、地球環境破壊といった人類が直面している問題を国家主義では解決しえない。国家主義の罠に嵌れば、人類は淘汰されるだろう。20世紀だけでも、2億人が終わることなき一連の戦争によって殺害された。現在の生産様式から抜け出すことによってのみ私たちは、この社会が追い立てるこの袋小路の野蛮から抜け出すことができる。

 これこそが労働者階級、とりわけ若い世代の労働者階級がそれぞれの国の社会運動に送らなければならないメッセージだ。日本では福島の惨事に対して幾多の抗議が行われ、経済危機の惨状に対する怒りも増している。[2] 中国では、信じがたい搾取とおぞましい環境汚染に対する多数の労働者ストが起こっている。[3] 

 アラブの春、スペイン、アメリカ、ギリシャ、バングラデッシュなど、高い失業率、貧民化と職場での増大する重圧に苦しむ労働者階級の人々がいる多くの国々では、国家の下に団結する国家主義ではなく、階級対立が解決策となる。私たちはこの危機と野蛮を、「国外の競争相手」の所有する商店や工場を燃やしたり、国外のライバルたちの商品のボイコットを呼びかけたり、あるいは制限したりすることで乗り越えることはできない。労働者階級の名の元、国家に対する国家ではなく、階級に対する階級として一つにならなければならない。私たちのスローガンはいつでも「労働者に祖国はない」だ!

 第一次大戦という大殺戮を労働者階級が終わらせることができたのはこの見地があったからこそだった。世界中の労働者の一致を呼びかけたレーニンを取り巻いた革命家たち、リープクネヒト、ルクセンブルク、その他国際主義の立場を守った人たちだ。工場や戦場の労働者たちを鼓舞し、ついには革命的叛乱によって第一次世界大戦を終結に導いたのは、この強固な国際主義の立場だった。1937年の日中戦争時、小さな左翼共産主義グループ「Bilan」の国際主義者たちはこの立場を守った。

『 この戦場の両側に、労働者を虐殺することこそが目的の強欲で支配欲にかられたブルジョアがいる。この戦場の両側に、大虐殺へと仕向けられた労働者たちがいる。間違っている。

 労働者が革命への闘いに勝利するため、まずは帝国主義日本を倒すという考えのもと、中国の労働者と共にほんのひとときでも共に「闘う」ブルジョアがいると信じることは絶対に間違っている。帝国主義はあらゆる場所で拡大し、中国は他の帝国主義の傀儡に過ぎない。革命的闘争のためには、中国と日本の労働者たちは階級の団結をもたらす階級闘争に戻らなくてはならない。同者の結束は、搾取者たちへの同時攻撃を確固たるものにするだろう(中略・・・)。国際共産左翼の勢力だけが、大勢の裏切り者や日和見主義者に対抗することができ、革命への闘いの旗をは高く掲げることができる。この勢力だけが、アジア中に阿鼻叫喚をもたらす帝国主義戦争から搾取者にたいする労働者による民衆戦争 - 中国と日本の労働者の結束、「国家戦争」の戦線破壊、国民党に対する戦い、日本帝国主義に対する戦い、労働者を帝国主義戦争へと動員するあらゆる勢力に対する戦い - へと転換することができる。』 (193710月のイタリアの左翼「Bilan」の雑誌第441315頁より )

 私たちはこの国際主義者の伝統を担い、国家主義の牢獄から抜け出さなければならない。今日、労働者が互いに連絡を取り合い、国際主義者たちの間で繋がりを持ち、世界中どこでも国際主義者たちの共通の立場を守るために必要な条件は整えられている。支配者たちが検閲、インターネット検閲、弾圧、国境閉鎖などのどのような手段を用いようとも、私たちは労働者の結合にむかって歩みつづける。

 日中の支配者たちがとりわけ若い世代を国家主義の誘惑に取り込もうとするなか、私たちは、階級闘争という私たちの道を進まなければならない。そうした態度は、支配者同士が脅迫し、同じ戦争プロパガンダで煽り立てる北朝鮮と韓国にとって重要なメッセージとなるだろう。



国際共産主義潮流(2013年2月)



私たちのパンフレット「19世紀から現代の極東における帝国主義」https://en.internationalism.org/booktree/3448を見よ

[1] https://en.internationalism.org/internasyonalismo/201204/4852/spratly-conflict-workers-philippines-and-china-unite

[2]

https://en.internationalism.org/icconline/201208/5087/demonstrations-japan-indignation-spreading

[3]

例えば2013年の1-2月に、北京における大気汚染が記録的な水準になり都市の何百万の命を脅かし、スモッグは後日、日本に流れていき、そこでも記録的な汚染が観測された時、両国政府は自国の人々の健康を守ることそっちのけで、尖閣諸島を巡る軍事的冒険に打って出た。

民主化された資本主義は可能か?

 聖パウロ教会でのオキュパイのテント大学の「民主的な資本主義」というスローガンを巡って激しい議論が沸き起っている。

 これはパウロ教会UBS銀行などでのオキュパイが、現行の社会システムに不満を持ち、それに変わるものを求めているすべての人たちのための実りある議論の場を提供していることを表している。「民主的な資本主義」は現実的な選択肢ではないものの、確かにオキュパイに参加している多くの人々の見解と結合点を反映している。金持ちにもっと税金を課し、銀行屋の持っているボーナス帳消しにし、証券取引市場をしっかりコントロールし、経済に対する政府の権限を拡大すれば資本主義はより人間的になりうるというアイデアは繰り返し提唱されている。

 政界の頂点に立つ者たちでさえこの流れに乗ろうとしている。イギリスのキャメロン首相は資本主義にモラルを望み、クレッグ副首相は全世界がオックスフォードストリートのジョン・ルイスのように中流になれるだけの分け前を与えよと訴え、労働党党首のミリバンドは「ハイエナ」資本主義に反対し、政府による規制強化を求めている。

 これらはすべて、資本の手下である政治家たちによる、我々を資本主義の現実から目を逸させるための中身のない煙幕にすぎない。

 資本主義個人による富の所有に留まるものではない。それは単に、銀行屋や富裕なエリートたちの、ごく僅かな努力によって得られた巨額の報酬に表されるようなものではない

 資本主義は人類文明の歴史の内にある。それは少数による多数の搾取を基本とした諸社会の最終段階だ。生産のすべてが、市場における利益を生み出す必要に動機付けられた最初の社会のことだ。それはまず第一に、搾取される者たちすべてが搾取する者たちに、自らの「労働力」を売らなければならない階級社会なのだ。封建制の時代には農奴は強制的に自身の労働力と収穫物を領主に差し出さざるをえなかった。資本主義の下、我々の労働時間は、賃金を通じてもっと分かりにくい形で奪われている。

 ゆえに搾取者が私的企業の上司の体裁を取るにせよ、中国や北朝鮮のような「共産党」関係者の体裁を取るにせよ何の違いもない。賃金労働者である限り資本主義から逃れられないのだ。マルクスが記した通り、「資本は賃金労働を前提と」し、「賃金労働は資本を前提とす」る。(『賃労働と資本』)

 資本は本質的に賃金労働者階級(失業はこの階級の一形態なので失業者も含まれる)と搾取階級の間の社会関係なのだ。資本とは、労働者(搾取者によって生み出された勢力であるが、彼らと和解不能な敵として対立している)によって生産され、労働者から疎外された富そのものなのだ

資本主義という危機

 資本家はこの仕組みから利益をあげてはいるが、コントロールはできていない。資本は非人間的な力のことで、最終的には資本家の手から逃れ、彼/女らは逆に支配される。これが資本主義の歴史が経済危機の歴史でもある理由だ。そして資本主義が20世紀初め頃にグローバルなシステムになったことで、世界大戦と言う形を取るにせよ世界恐慌という形を取るにせよ、危機は恒久的なものとなった。

 指導階級の経済政策がいかなるもので彼らの政府がどのように試みようとも、ケインズ主義かスターリン主義か、あるいは政府の支持する「ネオリベラリズム」かに関わらず、この危機はより深まり、解決が難しくなる一方だ。経済の行き詰まりをどうにかしようと必死にもがく、支配階級の組織する様々な派閥や国家は、容赦ない競争にさらされ、軍事衝突や生態学的荒廃の螺旋に陥ってゆく。利益をあげ、戦略的優位を獲得するために、彼/女らはますます「モラル」を失い、ますます「獰猛」にならざるを得なくなっている。

資本家階級は沈みゆく資本主義を先導している。

 しかし人間を究極的に疎外するこのシステムは、新しい真に人間的な社会の可能性も築き上げた。科学と技術が生み出され、これらはあらゆる人の利益のために利用されるように変換することができるかもしれない。ゆえに生産が貨幣や市場の仲介なしに、直接消費に向かうようにすることも可能だ。システムは地球を一つにした。少なくとも統一のための前提を作り出した。ゆえに国民国家の全システムとそれが引き起こす絶え間ない戦争の廃絶は実現可能だ。つまりこのシステムは、全世界の人類共同のコミュニティという古くからの夢の必要性と可能性を生み出した。我々はその社会を共産主義と呼ぶ。

 被支配階級ー賃金労働者の階級は、目下のシステムに幻想を抱いたところで得になることはない。このシステムはこの社会の墓穴を堀りかねない半面、新しいシステムを作る可能性もある。その可能性を実現するためには、何と闘っているのか、何のために闘っているのかが明確でなければならない。改革や資本の「民主化」といったアイデアは明確さからは程遠く曖昧としている

資本主義と民主主義

 今日では多くの人々が民主主義に賛意を表し、「人間的な資本主義」のような、より民主主義的な社会の実現を望んでいるであるが故に、我々は全員が賛成できる、抽象的なアイデアとしての民主主義の真の価値を受け入れられないでいる。資本主義と同じように民主主義にも歴史がある。古代アテネの民主主義システムは奴隷制と女性の排除と切り離せなかった。資本主義の下での議会制民主主義は、経済的利益だけでなく、人々の思考・判断(そして投票も)に影響を与えるイデオロギーの道具を手中にした、少数による権力の独占と切り離せない

 資本主義民主制は、資本主義社会を反映しているそしてそれは我々を孤独した経済単位の駒として市場競争に駆り立てる。理屈上、我々は平等な条件の元で競争しているはずだが、現実には富は極少数の手に集中される。我々は孤立しており、個々独立した市民として投票する時も、現実のどのような権力からもかけ離れている。

 チュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、アメリカの占拠と民衆集会運動において、両翼の間断続的な論争が続いている。既存の体制をより民主的にするより、ムバラクのような暴虐な体制を阻止しひっくり返し、議会制度を導入するか、路上の要求にもっと関心を向けるように既存の政治政党に圧力をかけたい人たち。そしてもう一方は、今のところ少数派だが、「自分たちで直接集会を組織できるのに議会なんて必要ない。議会選挙では何も変わらない。公的な場ではなく、そのへんの広場や、工場、仕事場で集会のような形で自分たち自身の生をコントロールできるじゃないか」といい始めた人たちだ。

 こうした議論は古くからある。人々は第一次世界大戦終結時、ロシア革命やドイツ革命の時代に繰り広げられていた議論を繰り返す。何百万もの人が戦場で犠牲になったことで、既に資本主義制度が人類にとって有益ではなくなったことが明かになり、何百万もの人が反資本主義へと動いた。革命は「ブルジョア民主主義」体制を制定すれば十分だと主張する人がいる一方で、議会は支配階級のためのものに過ぎない。我々は自分たちのための議会、工場評議会、ソヴィエト(選挙と取り消し可能な委任制代表および総会を基礎とした)を組織した。これらの組織が権力を握り、しかしそれは我々自身の手にある。これは上から下へとなっている社会を再構成する最初の一歩だ、と主張する人々がいた(当時はかなりの数がいた)。革命が孤立と市民戦争、内部の退廃によって壊滅する前のわずかの間、ソヴィエト(労働者階級の組織)がロシアで権力を握った。

 それは人間性に対する前例のない希望の時だった。敗北の事実に我々は挫ける必要はない。敗北と過去の失敗から学ぶ必要があるのだ。我々は資本主義を民主化することなどできない。資本主義は、我々が滅ぼさない限り、世界を崩壊へと導く驚異的で破壊的な力であり続ける。そして我々はこの怪物を資本主義そのものの制度利用して葬り去ることはできない。我々自身コントロールによって革命的変化を導くことができる、我々の真の希望となる新しい組織が必要だ。

アモス Amos 2012年125

経済危機 ー EUか資本主義か、どちらにも未来はない

総裁のオリバー・ブランチャードによると、ユーロ圏(と世界経済)はとても危険だそうだ。4月にブランチャードは、ギリシャがユーロを離脱すれば、「ユーロ圏内の他の地域も深刻な圧力を受け、金融市場が大パニックに陥る。しかし依然としてユーロ圏の解体の可能性は残っていて、リーマンショック以上の重大な政治的ショックを引き起こしかねない」。そのようなショックはもちろん「1930年代を思わせるような不景気を引き起こしかねない」と警告した。[1]

 

 多くの専門家たちの界隈で指摘されてきたことだが、だからこそEUは新たな救済対策と共同体の更なる中央集権化を進めることを認めざるを得ない。「EUの指導者達は、政府の負債を増やすことなく苦しんでいる銀行を直接支援するために、予定されていた救済基金の仕様に同意した」。

13時間にも渡る会談の末、指導者達はユーロ圏の共同銀行監視期間の設立にも同意した」。

「スペインとイタリアはドイツに対して、救済基金で政府の負債を市場から買い取る(借入れコストを含ませる手段)ことに容認するよう、圧力を掛けた。」

 ドイツはイタリアやスペインのような苦闘している国々へ譲歩政策を採らざるを得ないとはいえ、より中央集権化されたEUへの道の最前線にいることに変わりがない。それゆえメルケルはドイツ議会にもし(他の)国々が中央銀行によって発行されたユーロ国債に保証された国債を望むなら、より集中的なコントロールが必要になるだろうと述べたのだー十分なコントロールがなされている場合に限って共同的な責任は生じえる。この中央集権化への道は既にニューディールの一環として、共同銀行監視期間の設立の決定の内容に組み込まれているが、より野心的な計画が計画されている。

 ヨーロッパの当局は、国家予算に対して超越的権限を持つヨーロッパ財務省の設立といった提案を明かにした。10年計画はユーロ圏を強化し将来の危機を防止するよう設計されているが、現行の負債問題には触れていないと批判されている。

 メルケルはEU議会大統領は将来的に全EU投票によって選ぶことも提案した。つまり、もしドイツがユーロ圏の最後の貸し手として振る舞えば、圏内の国々は地位を上げつつあるドイツの帝国主義を受け入れざるを得ないだろう。

 

EUにも資本にも未来はない。

 

 ユーロとEUのプロジェクトそのものの脆弱性を見てみよう。経済危機に直面すると、各国とも自らの利益に執着し始め、共同体の崩壊を自ら早める。ドイツはまず危機の直接的な影響のコントロールを試みたが、より強力な主導権の要求により域内のライバルたちが辛辣になり、やはり共同体の安定を脅かしている。過去100年のヨーロッパの歴史を見るにつけ、他の強国、とりわけフランスとブリテンはドイツ主導のヨーロッパを受け入れないだろう。

 そもそもこの経済的水準では、ブルジョア達の採っている方法も崩壊を遅らせることしかできない。過去の記事で議論したように[3]、グローバルな生産過剰という危機は、支配階級を解決不能なジレンマに陥れた。経済成長すると負債が増える。今回はそれはインフレと破産圧力にしかならない。容赦ない緊縮政策(加えて、あるいは保護主義)は、購買力を低下させ、危機を悪化させるため、市場の縮小はさらに進む。

 ブルジョアジーは事態を理解し始めた。W型不況の心配はもはやない。堂々と1930年代型の不況について語っている。「イタリアかスペインが破綻したらヨーロッパを前例のない経済恐慌が遅う」といった文も出回っている。政治指導者達による経済介入が、「ヨーロッパ経済の崩壊のわずか1分前」に至るまで遅れ、おぞましい経済の奈落の底に陥ることを彼(女)らは恐れている。[4]

 実際のところ、不況は既に始まっているし、状況は既に1930年代より悪い。30年代には、国家資本主義の採用という、不況から抜け出す道があった。それがファシズムあるいはスターリニズム、あるいはニューディールという形をとるにせよ、経済を管理することができた。今日の危機は国家資本主義そのものである。あらゆる支配階級による国家(とりわけ負債頼みの政策)を使ったシステムの操作という試みが自壊しているのだ。

 その上30年代は労働者階級は1917年以降の革命的試みが挫け、敗北の途にあり、そのため世界大戦への道が敷かれていた。戦争への邁進は失業者を戦争経済に吸い上げることを可能にした。そして戦争そのものは世界経済の再編成を可能にし、70年代に至までの経済ブームを引き起こした。

 今日、その選択肢はない。ブロック経済の崩壊の後、帝国主義的世界秩序は著しく多極化した。アメリカの指導力は弱くなる一方だ。ドイツによるヨーロッパのコントロールへの強い反対は、ヨーロッパがもはや二度と一つの軍事的ブロックにまとまらないことの証明だ。中国やロシアのような興隆あるいは復活しつつある勢力もやはり安定した周辺との国際的同盟を形成する力に欠ける。まとめると、世界大戦を戦うのに必要な同盟とはなりえない。もし十分な同盟が結成できたならば、第三時世界大戦の強烈な破壊によって新たな「戦後の急成長」が可能だろう。

 なによりも、主な資本主義諸国の労働者階級は、1930年の敗北時とは違った立場にある。なによりもその弱点と躊躇いのために、富裕層の論点を拒否する意志は増している。そして力強く「すべての人のために」彼(女)らの生活基準を犠牲にするよう告げる。過去数年に渡って我々はバングラデッシュとエジプトの大衆ストライキ、中東、ヨーロッパ、アメリカで起こった社会暴動、フランスとイギリスでの年金削減提案への抗議、ブリテン、イタリア、カナダでの教育コストの増大に対する反乱などを見てきた。

 しかし、こうした抵抗は未だ搾取階級と対決する目標にはるか達していない。ギリシャでは労働者の生活水準がいかに暴力的なやり方で落ち込んでいっているかを目の当たりにしている。大規模な解雇、減給、年金削減、その他の支給も直接削られている。かつてはそれなりの生活水準を見込むことのできた、数え切れないほど多くの家族が、食料支給に頼っている。路上に追い出されなければ、だが。ギリシャでは、多くの人に1930年代を概括させる、食料と給付金のために並ぶ行列は辛い現実となっている。それはスペイン、ポルトガル、そして世界中の資本主義の砂上の楼閣の倒壊の直撃を真っ先に受ける人たちに飛び火している。

 労働者達はこのような攻撃に直面すると、しばしば狼狽し、怖気づく。イデオロギーの集中攻撃にも遭う。左翼に投票し、銀行を国有化しよう。右翼に投票し、移民を徹底的に非難しよう。ギリシャ、スペイン、ポルトガルで続発する一日ゼネストとイギリスでの公務員の終わりなき「アクションの日」に見られるように、アクティブに不毛なレスポンスを続ける組合がいる。

 こうしたイデオロギーのすべては現在のシステムに内在する希望を保ちつづけるためのものだ。すべての構造を揺るがすシステムの危機は説得力を持ってそれが無理なことを語っている。

 

WR 30/6/12

 

 






 

逼迫する<経済>へどう応答するのか-立ち向かう労働者たち


スペインの労働者階級はとりわけ過酷な政策に直面している。勢いを増す経済危機は、社会的状況を緊迫させている。昨年の闘いは、しばしばそれに呼応して他の人たちに刺激を与えた。とりわけアラブの春に続く、憤るものたちによる15M運動は、ギリシャとアメリカなどでの闘いに影響された。15Mの記念日と一連の出来事は、アストゥリアを初め、EUの鉱山業への補助金取りやめに反対する8000人の鉱山労働者のストライキで始まった。この産業の根幹を揺るがすことになる補助金取りやめは、既に24%もの失業率、25歳以下の半数が職に就けない国で、40000人の職を脅かすことになる。この記事はM15と鉱山労働者のストライキから何を学ぶことができるのかというディスカッションに貢献することを目的としている。

 

リストラ計画に立ち向かう闘いの難しさ

 

 アストゥリアの鉱山労働者たちは労働者階級の1934年の蜂起に代表される誇らしい伝統を受け継いでいる。

 5月31日のストライキとともに始まった、彼(女)らの決心は当然だった。タイヤや材木で路上にいくつものバリケードを築き、高速道路N360号線上のバリケードを撤去しようとやってきた警察を撃退するために、あり合わせのもので作った武器を手に取り、マドリッドでは暴力、逮捕、そしてゴム弾に立ち向かった彼(女)らの勇気は否定のしようがない。これらの洞察はlibcomとICT(国際共産主義潮流)の記事から得ることができる。(https://libcom.org/article/coal-mines-ignite-asturias-updates?page=1https%3A//libcom.org/news/coal-mines-ignite-asturias-10062012%3Fpage%3D1)

(https://www.leftcom.org/en/articles/2012-06-19/the-struggle-of-the-asturian-miners).

 

 このことは、深い尊敬に値する、すべての労働者階級のさまざまな希望を一手に引き受ける戦闘的な部門が痛烈で勇猛なストライキと前代未聞の弾圧を受け、警察との数多くの衝突を展開した1984-85年のイギリスでの鉱山労働者のストライキを強く思い起こさせる。スペインの鉱山労働者と同じように、彼(女)らは高い失業率を記録する中、多くの鉱山の閉鎖計画に直面していた。闘いはイギリスの労働者階級にその後20年に渡り重荷を残す敗北に終わった。

 libcomでのディスカッションでフィンガーズ・マローンは、「ストライキだけではどうにもならないと」、と鉱山をその攻撃性ゆえに実質閉鎖に追い込んでいるスペインの鉱山労働者たちの抱える困難を指摘した。彼は道路にバリケードを築くのみならず地中深くの坑道を占拠するという絶望的な方法を採るという状況は、不健全なだけでなく、好ましくないものと見做した。彼(は効果的な闘いを続けることができるだろうか?私たちの見解では問題はスト自体が不十分なことのみならず、彼(女)の孤独な闘いが、労働者階級の他の部門から孤立していることによって、政府の力に対して弱い立場を強いられ、敗北に終わりがちなことにある。組合(CCOOCGT)と左派政党(PCEPSOE)によって組織された6月18日のゼネストは彼(の孤立を破ることができず、補助金が削減された地域と産業に限定されたことは確かだ。そして彼(女)らのNUMの「失業保険ではなく石炭を」を思い起こさせる「石炭のための計画」は明らかにストの孤立化を加速させた。

 この意味で、「我々は激怒ではなくめっちゃ怒っている」というスローガンは、鉱山労働者の警察を撃退するだけの力への幻想とともに闘いの限界を要約している。ある意味、鉱山労働者たちは自身を、スペインにとどまらず、世界にとって昨年の重要な闘いの一つである激怒する人たちよりも、ずっとラディカルな態度を見せたと見ている。しかし、あらゆる意味での階級の独自性にとって、アストゥリアの鉱山労働者の孤立は、闘争全体を有意に後退させた重要な弱点だ。

 

15Mから一年。何が残ったのか。

 

、直後にさらに27億ユーロの支給カットが発表された炭鉱労働者の孤立や労働組合によって組織された3月29日のゼネスト(WR353(日本語未翻訳)を見よ)で示されたように、 ブルジョアジーたちが抱える経済運営の無能ぶりに関わらず、労働者階級に直面する彼(女)らの経験を過小評価すべきではない。

 15Mの「祝祭」は、私たちが省察し、議論し、内心でこの経験の教訓を消化しなければならないのに、彼(女)らが元のイベントの記憶を消去あるいは少なくとも完全に歪曲してしまうよう仕組むもうひとつの例だ。今年のイベントはもはや久しく存在しない集会によってではなく、左派と労働組合カルテルによって呼びかけられ、労働者階級に対置する、「市民」の民主的で漸進主義的な視点を強調した。これは右翼政党であるPP政府や、左派の美言による間違った代替案である。前者は攻撃的で驚異的な弾圧であり、激怒する人たちを、PSOEsubmarineだと非難した。

 一方、昨年の15Mではプチブルとして間違った象徴となってしまったPSOEは今や、素晴らしい未来と社会の重鎮として凱旋することになった。ブルジョアジーはいつも本物の運動を中傷するが、それが無害になるや否や過去を賞賛したがる。

 1周年デモは大規模だったものの、昨年6、7、10月の運動ほどではなかった。集会がマドリッド、バルセロナ、セビリア、バレンシア、アリカンテなど多数の地域で復活した。最初の土曜日こそ集会は関心と好奇心を持って始まったが、その後、回を重ねるごとに閑散になり、運動内部の左派組織による統制への抵抗もなかった。人々はむしろ去っていったのだ。にもかかわらず、労働者階級が生きている兆候があった。大規模な若者の参加、健全で嬉々とした雰囲気、そして議論へのよい貢献だ。マドリッドでは実り深い議論があった。ー昨年ほど自信に満ちたものではないにせよ、我々が運動のプロレタリア(左)翼と呼んだ人たちへの支援の声が上がった。しかし運動全体としては、ブルジョワジーの課す束縛を破ることはできなかったし、ちょっとした週末の息抜きで、それが過ぎれば日常に戻っていく15Mのパロディにすぎなかった。

 

労働者階級のためのパースペクティヴ

 

 2011年の社会運動は、世界中での路上の使用、運動の中心で生きた議論が交わされた集会(World Revoltion Nr.353の‘From indignation to hope(日本語未翻訳)’を見よ)を伴う、労働者階級にとって強烈な経験だった。スペインではマドリッドとバルセロナの教育部門、バルセロナの医療部門とバレンシアの若者たちの大規模な動員があった。3月29日と鉱山労働者によるストライキもまた詳察のための重要な経験だ。(World Revoltion Nr.355 ‘General strike in Spain: radical minorities call for independent workers’ action(日本語未翻訳)’を見よ)

 スペインの私たちの同志たちはこれらの経験を経た後、運動の弱点や十分な闘いを発展させる難しさをチェックする必要を感じていることに気がついた。この疑問を提示する過程は、より広範な運動とより深淵な資本主義への懐疑に追いやる基盤を準備する、労働者階級内の理解を進めるための生きた貢献として絶対に必要である。

 資本主義の危機から5年経った今も、支配階級は答えを出せず、未来がなく、破綻した、別の何かに置き換えなければならないシステムであるという認識が広がっている。バレンシアでのとある集会がその一例だ。ある女性は、15M運動には革命的な派と漸進主義的な派があるが、私たちは前者を指示すべきだという、ICC(国際共産主義潮流)の持論を支持する発言をした。一方で早急な答えとアクションの模索する、私たち全員が、国有化されたバンキアから預金をすべて引き出せば「資本主義に一撃」を食らわすことができるに違いない、という不毛で馬鹿げた提案もある。

 資本主義に変わるものが必要とされてきている一方で、それをどのように実現するのか、その方法を見つけること、そしてシステムの破綻はおそらく不可避であるという希望を見ることの困難さがある。まさに左派と左派過激派は資本主義を改革するため、富裕層への課税、腐敗の排除、国有化のような、あらゆる「解決」法を提案している。実際のところ中道と右派すらもこうした腐敗や脱税排除の「ラディカル」なキャンペーンに参加しうる。

 漸進主義者たちによる代替案の罠を避けることが重要だ。また政治家すべてへの嫌悪、とりわけ左派の嘘によって、私たちが外部すべてを疑うような、狭く孤立したグループに閉じこもってしまわないことも同じく重要だ。この罠を避けることによってのみ、私たちは資本主義の危機、打倒の必要、そして労働者階級がどのようにこの闘いを前進させることができるのかを省察するプロセスを推し進めることができる。それらすべては将来の闘いへの準備に必須のものだ。

 

Alex 30/6/12


2011年のもっとも重要な出来事は資本主義の危機の激化とチュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、イスラエル、チリ、USA、イギリスなどでの社会運動の深化だった。

2011年のもっとも重要な出来事は資本主義の危機の激化とチュニジア、エジプト、スペイン、ギリシャ、イスラエル、チリ、USA、イギリスなどでの社会運動の深化だった。

 

 

怒りは国際的な次元に達した

 

 資本主義の危機は世界人口の多数派に容赦なく降りかかる。生活基盤は悪化し、失業は急激にその数を増やし、その期間は長くなる一方だ。最低限の安定した生活をも不可能にするプレカリアート化は深刻になる一方だ。極限の貧困と飢餓はエスカレートしている。

 何百万もの人々が、「安定した普通の」生活と「子供たちの将来」が失われるのではないかと強く心配している。この不安は、受動性を打ち破り、広場と路上を占拠し、この5年で急激に悪化した危機の原因を解明するためのディスカッションへと駆り立てる強い怒りー衝動を引き起こした。

 怒りは、銀行家、政治家、その他資本家階級の代表者たちの傲慢と貪欲、そして大多数の人々の苦しみへの冷淡さのため、さらにその勢いを増した。また、政治家たちが、難しい社会問題において役立たずであり、彼(女)らの政策は貧困と失業をまったく解決しないばかりか、ますます酷くなっていることによっても怒りは増した。

 社民政府による過酷な緊縮プログラムを推し進めるスペイン。債務危機のシンボルであるギリシャ。グローバル資本主義の総本山、アメリカ中東でもっとも酷くそして長期に渡る衝突を繰り返しているエジプトとイスラエル。怒れる人たちによる運動は世界に広がった。

 グローバルな運動の自覚は、ナショナリズムの重圧、デモでギリシャやエジプト、アメリカの国旗を振る人々の存在にも関わらず広がっている。スペインでは人々が「アテナの人々よ、持ちこたえよ。マドリッドは立ち上がる」というスローガンによってギリシャの労働者たちと連帯した。オークランドのデモ参加者達(アメリカ・2011年11月)は、「世界中のオキュパイ運動との連帯」を唱えた。エジプトではアメリカでの運動を支援する連帯生命が可決された。イスラエルでは「ネタニヤフ、ムバラク、エル・アサドーみな同じ」と呼びかけ、パレスティナの活動家と接触した。

 今ではこれらの闘いは分水嶺を越えた。新たな闘いの兆候(スペイン、ギリシャ、メキシコ)が見えている。にもかかわらず多くの人々は、「この怒りと抵抗の波にどのような意味があるのだろうか?」あるいは「私たちは何かを勝ち得たのだろうか?」と疑問を抱えている。

 こうした運動のポジティブな側面と、弱点および限界の線を引く必要がある。

 

「占拠しよう」ー運動に共通のスローガン

 

 自身の関心に踏み込み、私たちを思いとどまらせる幻想と困惑から抜け出すための、路上と広場の占拠のような幅の広い運動は過去30年以上なかった。

 労働者という搾取される人たち、人生に失敗した、した、政治に無関心な人々として表され、運動を把握し、共に行動する能力に欠ける人たちは、この運動の中で一つになり、共に運動を把握し、システムによる日常を弾劾し、うんざりするような受動性に別れを告げる機会をえた。

 これは私たちのモラルに、自分たちの能力への信頼という浮力を与え、私たちは民衆による共同の行動を可能にする力発見しはじめた。社会の空気は変わりつつある。政治家、専門家といった「重要なリーダー」たちによる公共的テーマの独占に、多くの名もなき人たちは疑問を持ち始め、声をあげようとしている。

 これが未だ不安定なスタート地点に過ぎないことは確かだ。幻想、困惑、(慣れ親しんだ認識からくる)避けることのできない動揺、弾圧。弾圧機関と資本主義国家による誘惑の危険(左翼政党と労働組合がその矛先だ)は間違いなく運動の後退と苦い敗北をもたらす。私たちは、数限りない障害と勝利の保証のない、長く困難な道に立っている。しかし、私たちが運動を始めたという事実は既に最初の勝利だ。

集会ー運動の中心

 

 集会は単に不満を述べる受動的な様態に限らず、集会においての自己組織という能動性を発展させた。多くの集会は、「労働者階級の解放は労働者自身の手によってなされなければならない」、という1864年の第一インターナショナル(国際労働者協会)の綱領を具現している。こうして労働者運動の伝統は、パリコミューンに繰り出され、1905年と17年にロシアで、18年にドイツで、19年と56年にハンガリーで、そして1980年にポーランドで頂点に達した運動へと続いた。

 総会と労働者評議会は、労働者闘争における真の組織の形であり、社会の新しい組織の形の核である。

 私たちを賃金奴隷にしている鎖を打ち砕き、、それぞれの分野でのゲットーへの孤立あるいは社会的レッテルを克服し、「自分自身のため」という孤立した考えを止揚し団結するための総会。

 共に考え、対話し、決定するための総会。決定事項に対し、集産的責任を引き受け、決定と実行に、携わった参加者すべてが関わるための総会。

 互いの信頼し、感情を共有し連帯するための総会。これらは闘いを推し進めるために欠かせないだけでなく、将来の階級と搾取のない社会の柱となる。

 2011年は支配者たちが説く偽善的で利己的な「団結」ではない真の団結が相次いだ年だ。マドリッドのデモは収監者の解放あるいは警察による難民の逮捕を妨害するためのものだった。スペイン、ギリシャそしてアメリカでは住居の強制退去を防ぐため大勢の人々が結集した。カリフォルニアのオークランドでは「スト集会」ではキャンプ外の職場へのピケの派遣と11月2日のゼネストに参加した従業員や学生を処分する職場や学校の占拠が決議された。「短期間かつ散発的ではあるが、皆が不安と絶望が蔓延るこの社会での「普通」に立ち向かう同士として、共に助け合い、護られている感覚を共有する一時」があった。

 

議論の文化は未来を照らす光

 

 何百万の労働者たちが世界を覆すのは、輝かしい指導者に耳を傾け、その指示にしたがう意識ではなく、民衆による闘いを振り返る、未来を見据えた議論によって導かれる経験だ。スペインのスローガン「未来は革命と共にある」がこのことをよく表している。

 互いに敬意を持って注意深く耳を傾ける、開かれた対話による議論の文化は総会だけでなく、その周辺でも芽を開いている。人々は移動図書館や寄り合い、集会を組織しはじめた。路上や広場では、ろくに設備もない中、柔軟な才能をもって数多くの精神的活動が始まっている。これらは集会と同じようにかつての労働者運動の経験を結びつける場所となっている。長く抑圧された知への切迫は、革命への熱意へと駆り立てる。スモル ニー研究所(サンクト・ペテルブルク)だけに限っても、わずか最初の6ヶ月で何トンもの本がロシアに送り出された。ロシアは、砂漠の砂が水を吸い込むかのように、貪欲に知識を吸収した。それは歪曲された、偽の歴史、オブラートに包ん宗教やモラルのない安っぽい小説のような寓話ではなく、社会と経済の理論であり、哲学の書であり、トルストイや、ゴゴル、ゴルキの作品であった。(「世界を揺るがした10日間」第一章、ジョン・リード)

 この社会の偽りの「成功モデル」を強制する文化に対する闘い。支配的イデオロギーとメディアが仕掛ける人々を引き裂くステレオタイプと歪曲に対抗し、批判的で独立した基準で民衆の文化を育てる闘いを多くの人たちが始めた。危機とその根源、銀行の役割などが日常のテーマとなる。混乱した論調だったものの、革命についてすら話し合われた。民主主義と独裁について語った。 「彼(女)らは民主主義と呼ぶが、まったく違う」、「実際のところ独裁だが、そうだとは考えない」。といった言葉が生まれた。

 謀略、嘘、ごまかしといった、支配階級による政治を特徴づける権謀のない、多数派による真の政治への道筋へ賽は投げられた。こうしたやり方は、科学や政治にとどまらず、環境破壊、倫理、文化、教育、保健とあらゆる領域に及ぶ。

 

未来は労働者階級の手にかかっている

 

 今年の運動に希望をつないだ、2011年の経過の未だ大きな弱点と限界を認識するために、私たちは冷静かつ的確で批判的に運動を見なければならない。

 世界中でますます多くの人々が、資本主義は既に疲弊したシステムで、「これを克服することなしに、人類の生存はない」という認識を持つ一方、相変わらず資本主義は、根本的に変革する必要のある社会の諸関係の複雑なネットワークなのに、「(冷酷なハイエナ金融、残酷な独裁者達のような)悪い」一面だけを取り上げようとする人も多い。私たちは社会の多様な姿(金融、思惑、政治経済の指導者達の汚職)に混乱して自己を見失ってはいけない。

 私たちは資本主義から湧き出てくる暴力(弾圧、テロ、モラルにもとる蛮行)を覆さなければならないものの、「市民」による平和的圧力によってこのシステムを放棄できると信じることはできない。少数派である支配階級が自らの意志にぞって権力を放棄することはない。彼(女)らは国家と4、5年ごとの合法的な選挙による民主主義ごっこの背後に隠れている。決して守られることのない物事を約束し、告知されていないことを推し進めるために政党に頼る。支配階級のさらなる支えは労働組合である。組合は人々を動員し、または動員せず、支配階級の用意した書類すべてにサインする。大規模で強烈で忍耐強い闘いだけが搾取される者たちに、国家を生きながらえさせている抑圧者たちを打ち破るのに十分な力を与えることができる。その時こそスペインで繰り返し叫ばれている「みんなが集会を形作る」というスローガンを実行することができる。

 アメリカでのオキュパイ運動で有名になった「(少数派の1%に対して)私たちは99%」のスローガンで、私たちは深い階級分断と共に生活しているという認識は浸透は広がっている。とはいえ、抗議運動の参加者の多数派は、むしろ自身を、社会の中で「自由で、平等な市民」の生活を勝ち得るために努力している「下層の市民」とみなしている。

 しかし、この社会は、一方は生産手段を所有しながらなにも生産しない資本家階級、もう一方は、なにもかも生産しながら貧しくなる一方の、搾取される労働者階級に分かれている。社会の発展の推進力は、「多数派市民による決定」という民主主義ごっこ(この茶番は、支配階級独裁をごまかし正当化するための仮面として存在している)ではなく、階級闘争にある。

 この社会運動は、搾取される階級(労働者階級)を主軸とした闘いとして繰り広げられなければならない。社会の主要な富は、この階級が皆で生み出し、工場、病院、学校、幼稚園、大学、オフィス、港湾、建築、輸送、郵便といった社会の生活基盤を確かなものにしているからだ。2011年の運動のいくつかはその強さを予感させるものだった。エジプトの闘いの波とムバラクに退陣を強いたこと。オークランド(カリフォルニア)では占拠者たちがゼネストを呼びかけ、港湾機能が麻痺した。港湾従業員とトラック運転手たちへの積極的な支援を呼びかけた。ロンドンではスト中の電気工事者がやってきて、聖ポール教会の占拠者たちと共にアクションを起こした。スペインの集会では闘争の領域で一致への尽力が見られた。

 現代のプロレタリアの階級闘争と社会の中で、資本主義的圧力に苦しむ層の深い欲求の間にはなんの矛盾もない。プロレタリアによる闘いは決して自分勝手な運動ではなく、「大多数による大多数の関心による自律的な運動(共産党宣言, 第四巻472項)」である。

 過去200年の労働者運動の経験を批判的に編纂することで、現在の運動を過去の運動と解放の試みから学ぶことができる。道は長く、障害ばかりだ。だからスペインでは「私たちはゆっくり運動しない。私たちははるか彼方に向かう(No es que vamos despacio, es que vamos muy lejos.)」というスローガンが繰り替えされる。私たちは、確固たる目的を持った新しい運動を準備するため、不安や留保なしに、できる限り幅広く、深く議論しなければならない。そうすることでのみ、資本主義でない別の社会への基盤を得ることができる。

 

 国際共産主義潮流 12.3.2012

 

ICConline - 2013

新たな朝鮮戦争の脅威に抗する

この数か月にわたって北朝鮮と韓国及びアメリカ間の緊張が再び高まっている。繰り返されるミサイル実験や砲撃、果ては韓国のみならず、日本、ハワイ、グアムに対する核攻撃の脅威は、北朝鮮の中心的なレトリックとなっている。同様に韓国、アメリカそして日本も、北朝鮮に対して報復攻撃の意志を表明している。これらの国の支配階級は、下劣な国益のために多くの人々を犠牲にする覚悟だ。

 戦争の脅威に直面している今、以下は被搾取及び労働者階級の利益のために闘うものたちの基本的責任となる。

  • 被搾取者たちを差し迫る虐殺に追い込もうとする資本の、あらゆる力に対抗する国際主義者の立場を明確にすること。

  • 支配階級のリーダーたちの発言の裏に潜む欺瞞を分析すること。





国際主義的立場



 200610月、北朝鮮の核実験を受け、韓国と諸外国の国際主義者たちの大会で以下の声明がなされた。

 北朝鮮の核実験の報を受け、我々、ソウルとウルサンの共産国際主義者大会参加者は・・・、

 さらなる資本主義国家による新たな核攻撃能力の開発を非難する。核弾頭は、帝国主義者間の戦場において究極の兵器であり、軍人ではない一般人、とりわけ労働者階級の大量虐殺のみを目的とする。

 資本主義国家北朝鮮による、またしても資本主義国家が労働者階級とも共産主義とも無縁であり、究極的かつ不気味な形で退廃する資本主義が軍事的野蛮へ向かう普遍的傾向ことを示した、今回の戦争への新たな段階を臆することなく非難する。

 アメリカとその同盟国による 北朝鮮を敵と見なすキャンペーンは、現在のイラクのように労働者たちが最大の犠牲者となる、必要ならば先制攻撃をするというイデオロギーの準備に過ぎないことを臆すことなく非難する。

 我々は、アメリカがこれまでに唯一、戦争で核兵器を使用し、広島と長崎で非軍人を殺戮した勢力であることを忘れてはいない。

 中国のような他の帝国主義ギャングたちの守護によるいわゆる「和平交渉のためのイニシアティブ」を臆することなく避難する。これが平和のためでなく、地域の資本主義的利益を守るものに過ぎない。労働者たちは、いかなる資本主義国による「平和的目的」も信用しない。

 韓国のブルジョアの労働者階級に対するや国際主義者の原則を守ろうとする政治運動者たちへの、祖国の自由と民主主義を守るという口実によって抑圧的な手段を取ろうとする試みを臆することなく避難する。

 戦争の勃発で最も苦しむことになる北朝鮮と韓国、中国、そして日本のの労働者の十全なる連帯を宣言する。

 世界的な労働闘争だけが、資本主義の下にある人類を脅かす恒常的な野蛮の脅威、帝国主義戦争そして核兵器による破壊を避けることができる。


 労働者には守るべき国などない!

 すべての国の労働者たちよ、団結せよ!

 https://en.internationalism.org/icconline/2006-north-korea-nuclear-bomb


 今の直面している状況においても、この2006年の宣言はまったく有効だ。



増大する軍事的緊張の本質



 北朝鮮とその対立国との間の最近の緊張の激化とその一連の流れの全体像を分析するのに、我々はこの衝突をより広範な歴史および国際的文脈におかなくてはならない。


 北朝鮮とその対立国の間の緊張の先鋭化は、極東の緊張のより広汎な先鋭化の一部だ。過去数か月において、この地域の大国である中国と日本は、尖閣諸島の領有権の主張を繰り返し、愛国主義的キャンペーンを加速させてきた。過去数年間、中国と南シナ海に面する国々は南シナ海の領有を巡って衝突している。韓国と日本は竹島を巡って頻繁に争いを繰り返している。同じく、北朝鮮と韓国の対立はそのうち最も長期にわたって続いている対立のひとつだ。(1)



対立の起源



 第一次世界大戦時、東アジアは戦争の大虐殺から基本的に無縁だった。しかし、第二次世界大戦での東アジアは、すべての帝国主義勢力にとって主要な戦場のひとつとなり、二千万以上の命が失われた。19455月、ドイツのナチ政権が敗北し、ヨーロッパが二つの戦勝国によって分割されると、ソ連とアメリカはアジアの支配を巡っていくつかの地域で衝突した。ロシアが日本を掌握することを徹底的に阻止しようと決めたアメリカは、1944年から45年にかけ東京を焼夷弾で焼け野原にしたあと、世界初の原爆を広島に、そして長崎に落とした。ソ連は中国の毛沢東人民赤軍を、アメリカは蒋介石国民党軍を支援し、中国は親ソ派(中華人民共和国)と親米派(台湾)という、東西に分割された最初の国となり、今日まで互いに武力を向けて対立を続けている。1945年に日本の朝鮮半島統治が終わり、ソ連軍が半島全域を占領する準備を進める中、アメリカはソ連と38度線を境にする朝鮮半島の共同統治を余儀なくされた。そのため1945年以来東アジアは常に、アメリカとその同盟国と、中国とロシアおよびその同盟国間の対立に特徴づけられてきた。195053年にかけての朝鮮戦争が、東西冷戦における最初の血で血を洗う時期であり、中国とソ連軍に支援された北朝鮮軍に対するアメリカ主導の連合軍が泥沼に陥ったのは偶然ではない。朝鮮戦争で三百万人以上が死亡した。多くが両陣営に虐殺された。戦争によって国土は荒廃し、ソウルと平壌は繰り返し爆撃された。国土は今でも分割され、常に臨戦体制下にある。世界で「最も強力な防衛線」が張られ、60年以上も武器を向けあったまま対峙している。これらは、新たな国の形成がもはや人類の進歩の役に立たないことを示している。

 今回の緊張の激化は、第二次世界大戦以来続く東アジアの一連の衝突の継続とその強化を表している。その起源は帝国主義者たちの紛争、生き残りを賭けた生死の闘争による世界の国家単位の分断、互いの滅亡を賭けた脅迫にある。ヨーロッパ全域も1945年を境に二つの勢力圏に分割され、ドイツは1989年まで分割された。インド亜大陸全域ははパキスタン・バングラデッシュとインド間の紛争に飲み込まれ、ベトナムも分割された。1990年代、かつてのユーゴスラビアは数多の戦争によって細かく分割された。かつての中東オスマン帝国は、その中央にイスラエルが建設されたことも加わり、互いに延々と交戦を続ける多数の小国へ分割された。これが示すことは、新たな国家の形成はもはや人類にいかなる進歩ももたらさないということだ。それは死の罠で、そうした国々は労働者の墓場となる。

 既にアメリカと中国の間の直接的対立があった1950年代初頭の朝鮮戦争時と同じように、今日の対立の激化によって、互いの同盟諸国にとっての「強固な防衛者たち」は再び対立している。




帝国主義者たちの碁盤



 北朝鮮政権はその始まりから常に中国の全面的な支援を受けている。朝鮮半島の地政学的重要性のため、半島内の両国は、すべての近隣諸国にとって好ましい緩衝帯として狙われている。とりわけ中国は北朝鮮を、自身を日本やアメリカと距離を置くことのできる緩衝帯と見なしている。

 

 中国は近年勢力を伸ばし、アメリカに挑戦し、自身の国際的影響力を拡大しようとしている。この国は軍事力の近代化を続け、アメリカをだしにしてアジア全域で基地化を進め立場を拡大しよう試みている。この新しい挑戦者の仕掛ける長期的な危険に気づいているアメリカは、中国を抑止するため兵力の大部分を東アジアに向けて動員する意志を表明した。アメリカは可能な限り多くの諸外国と手を組もうとしている。それゆえ東アジアのいかなる対立も、多かれ少なかれアメリカと新興国中国のグローバルな大国の争いに直結している。北朝鮮の攻撃的な態度、日本や韓国、なによりそれらとつながっていて、北朝鮮のみならず、中国をも狙っているであろうアメリカの兵力との緊張を極限化することになるため、中国は平壌政権の崩壊を容認することはできないだろう。北朝鮮と韓国の(韓国主導の)再統一と、アメリカ軍基地が中国国境近辺に設置される可能性を考えると、中国はなんとしてでも北朝鮮を守るしかない。中国の北朝鮮への影響力と支配力がどの程度のものなのかを評価するのは不可能だが、いずれにせよアメリカとの軍事対立での北朝鮮政権の敗北は中国の著しい弱体化を意味する。そのため中国は北朝鮮を「抑え込もう」としている一方、北朝鮮にアメリカ軍を「足止め」させようとしている


 1989年以来多くの地域で衝突を繰り返しているロシアは、矛盾した立場に置かれている。ロシアは中国にとって冷戦のパートナーだったが、1960年代以降反目し合うようになった一方、アメリカに対抗し、過去十年の間「拡大する勢力」としてのし上がってきている中国側につく傾向にある。しかし中国の行き過ぎた強引さは望んでいない。北朝鮮問題があるのでロシアはアメリカの東アジアへのこれ以上の介入を避けたがっている。


 アメリカはいかなる形でも中国やロシアに北朝鮮を併合させるつもりはない。現在の膠着状態の中、アメリカは再び韓国と日本の断固たる擁護者となっている。もちろんその最大の動機は中国だ。ある程度までの北朝鮮による軍事的脅威の拡大はアメリカにとって太平洋での兵力増強のための好ましい根拠となる(既にアメリカはグアム、アラスカ、韓国にさらなる兵力を動かした)。もちろんこれらは北朝鮮に対してのものだが、同時に中国に対してのものでもある。同時に、グアムとアラスカのアメリカ軍基地、あるいはアメリカの同盟国の基地を脅かすいかなる国もアメリカの支配に挑むことになる。そのため、中国によるアメリカの立場の弱体化に加え、北朝鮮による核兵器使用の脅威はアメリカにとって容認できないものとなる。中国を抑止するというアメリカの政策は、この度の北朝鮮との緊張に著しく貢献した。


 中国の古くからの抜け目ない敵である日本は、中国とその同盟国である北朝鮮に対して特に脅威を感じている。同時に日本は韓国とも竹島を巡って対立した。ソ連による東側圏が1989年に解体されて以来、日本は極東地域のアメリカの支配の羈を緩めることを目論んでいる。同時に、中国の台頭と北朝鮮との対立の激化によって、日本はアメリカ軍の強大な力への依存から抜け出すことができなくなってしまった。そして、仮に韓国が統一された場合、日本はこの地域における新たな大国と面することになる。60年以上前に韓国を併合していた日本は、皮肉なことに緩衝帯としての北朝鮮の消滅を望まないだろう。中国および北朝鮮との最近の緊張の増大は、日本政府にとって、軍事費増額の恰好の口実となっている。


 1953年に朝鮮戦争が終結してまさにほぼ60年がたち、今でも同じ両軍が対峙しているだけでなく、北朝鮮による、そして韓国による、世界有数の巨大都市(ソウル、東京、平壌)に照準を合わせた核兵器、非核弾頭をつけたミサイルに砲による脅威を見ることができる。中国とアメリカ両経済大国による二極化を伴って、東アジアは、世界全体に飛び火する新たな永続的な衝突地帯となった。



二つの政権、二つの労働階級の宿敵



 自らを社会主義国家と名乗る北朝鮮は、労働者の蜂起によってではなく、ソ連と中国の軍事支援のおかげで権力の座につくことができた。スターリン主義後援者に完全に依拠することで、この政権は軍事機関の維持拡大に資源を重点的に投入してきた。強大な軍事化の結果、2450万の人口の国が110万人もの兵力を持ち、さらに470万の男女が予備役に就いている。東欧の旧スターリン主義国家のように、北朝鮮経済も、国際市場に競争力のある非軍事製品を提供していない。肥大化する軍隊は、過去60年にわたる恒常的あるいは永続的な食料やその他消費財の不足を招いてきた。1989年のソ連共産主義圏の崩壊以来、産業生産は50%以上落ち込んだ。中国による食料供給が始まるまで、1990年代中盤の飢饉によって人口は大規模な減少を見た。今日でも北朝鮮はエネルギー消費の90%、消費財の80%、食料の45%を中国からの輸入に頼っている。

 この国の支配階級が欠乏と飢餓、抑圧、そして恒常的な軍事化しかもたらさず、彼らの会社が国際市場で競争できるような商品を持たず、政権は軍事力を背景にした脅迫によってしか「承認」してもらえない。このような態度は、暴力と強奪、恐怖以外なにも人間的なものをもたらすことのできない滅びゆく階級に典型的なものだ。戦争行為によって敵を脅して回るポーズは、状況が如何に予測不可能で狂気じみたものになったかを示している。経済の行き詰まりに直面して、ここ数年の政権は、供給状態の改善を期待して経済手段の「自由化」を進めようとしてきた。いくらかの人たちは、現在の軍靴の騒がしい音は、単に経済問題から目を逸らすための陽動であると同時に、若い後継者金正恩の存在を軍に印象づけるための策術に過ぎないと信じている。政権の政治的安定性について憶測することはできないが、我々は、深刻化する危険性を過小評価しかねないと考えている。帝国主義者たちの緊張の増大は、決して単なる「はったり」や「大言壮語」あるいは目くらましや政治的ショーにとどまるものではない。世界中のすべての政府は、たとえそれが自身の利益に反することが明らかであっても軍国主義の悪循環に陥ることを余儀なくされている。支配階級は軍国主義という癌に対して何らの現実的な策も持ち合わせいない。

北朝鮮が韓国やアメリカを攻撃すれば、政権や政府の完全な崩壊とまでいかなくとも、明らかに著しい弱体化に至るにも関わらず、支配階級は地球が焼け野原になるまで自らの政策を止めることを知らないことを、我々は知らなければならない。世界の様々な場所で、人々は自爆攻撃や数え切れない人たちを殺し、傷つけ、そして自らも犠牲にしている。北朝鮮の例は国を挙げての虐殺をほのめかし、「自殺」するつもりであることを示している。北朝鮮は中国に極度に依存しているにも関わらず、中国は以前にも増して正気を失った平壌の政権を「制御」することができないでいる。朝鮮戦争中、北朝鮮と中国両国は何百万の兵士を「消耗品」として犠牲にする用意があった。今日の北朝鮮政権も同じように「自軍の」消耗品を犠牲にし、同じだけの敵を葬る用意がある。北朝鮮政権はそれゆえ、国益のための戦いという形を描いている。その結果帝国主義者たちの碁盤上でさらなる混乱が起こっている。北朝鮮政権による脅迫政策は例外でもなんでもなく、人類をますます野蛮主義へと追いやる、資本主義システム全体が描き出しているも風刺そのものだ。

 韓国、日本、アメリカをあからさまに脅迫している北朝鮮政権に対し、韓国は「被害国」あるいは「潔白」を装っている。だが韓国の支配階級も、北の支配階級と比べて特に残忍でないというわけではない。


 19485月、アメリカの支援によって誕生した李内閣は済州島での六万人の虐殺を組織した。朝鮮戦争中、韓国政府は北朝鮮軍と同じぐらい虐殺に関与した。復興期の韓国は李によって間接的に、朴正煕によって直接的に独裁権を行使する政府によって40年以上にわたり運営された。労働者や学生の抗議が燃え上がるたび、政権は弾圧を繰り返した。1980年、光州での頑強な労働階級を含む民衆蜂起は血みどろの衝突となった。しかし、朝鮮戦争後の復興期、とりわけ1960年代の彼らの労働力に対する厳しい搾取のおかげで、韓国資本は安価な商品を武器にどうにか世界市場へ乗り込むことができた。韓国は世界でも有数の高い貧困・一時契約労働者の比率を誇る国で、「独裁」大統領が政権に就いているときでもいないときでも、政府は常に弾圧政策を維持してきた。国家保安法(戦前の日本の治安維持法に似た法律)は政府に、韓国政権に対するいかなる批判的発言をしたものを捕え、望む者を北朝鮮の工作員に仕立て上げることができる権限を与えるものだ。労働者や学生、あるいは「普通の市民」(双龍反解雇闘争や「蝋燭デモ」を見よ)による多くのストや抗議に見ることのできるように、韓国は常に労働階級を弾圧し続けている。メディアが北朝鮮の金王朝の世襲を嘲笑する一方、当の韓国も、前回の大統領選挙で、かつて韓国の独裁者だった朴正煕の娘である朴槿恵への、「民主制度」下での注目に値する権力の継承をさらけ出している。さらに北朝鮮にある開城工業地区での南北共同での労働力の搾取は、韓国資本家たちが北朝鮮の派閥と完璧に協調できることを示している。韓国の支配派閥は北の敵に対してあらゆる軍事的手段を取る決心でいる。今日のソウルは核兵器で狙われている。




帝国主義戦争に対する階級戦争



 歴史は二つの異なる政権が、労働者の宿敵として基本的に同種のものであることを示している。労働者たちはこのどちらの側とも共闘することはできない。最近の東アジアにおける緊張の激化によって資本主義の破壊的傾向が具体的になった。しかし、最近の衝突は単なる過去の衝突の繰り返しではなく、より人類にとって危険なものとなった。今回、アメリカと中国、中国と日本という、強力な軍を備え、軍拡の速度を上げている敵対する超大国同士が衝突している。朝鮮戦争および冷戦の時代、労働階級は敗北し、再び起き上がることはできなかった。朝鮮戦争時、極くわずかな共産主義革命家たちのみが国際主義の立場を維持した。今日、東アジアのプロレタリアは資本主義の死の循環に自分たちの命を捧げる気はない。労働階級だけが、深刻化する野蛮主義に沈みゆく人類を救うことができる。そのためには労働階級は愛国主義と増大への螺旋をたどる軍国主義とを拒否しなければならない。

 歴史が示すところによると、この両政権は基本的に同類だ。

 「政府による統一戦線」を否定しよう! 労働者階級にとって唯一の解決とは、断固たる意志を持って北か南かに関係なくブルジョアと対決することだ。今日の革命家たちにとってこのことは、レーニン、ルクセンブルク、リープクネヒトら第一次世界大戦時の、第二次世界大戦時そして朝鮮戦争時の共産主義者たちの、国際主義者の伝統、2006年の戦争の脅威における国際主義声明において今一度守られた伝統を守りつづけなければならないことを意味する。



国際共産主義潮流 201348





(1) https://en.internationalism.org/internationalreview/2012/5305/november/i...







1 https://en.internationalism.org/internationalreview/2012/5305/november/international-review-special-issue-imperialism-far-east-past-

ICConline - 2015

パリの虐殺 - テロは腐りゆくブルジョア社会の表れだ

カブー、シャルブ、ティグヌー、ウォリンスキ。20人の犠牲者をだした1月7日と9日のパリでの攻撃において、この4人は象徴的な存在だった。これら4人は最重要目標だったのだ。しかし何故?この4人は愚考よりも知性を重んじ、理性を持って狂信に立ち向かい、服従に対して反抗し、勇気をもって臆病を乗り越え1、憎しみを超え共感し、なにより、順応主義やくだらない独善的な正義に対するユーモアと笑いという素晴らしい人間性を持ち合わせていたからだ。私たちは、このうち何人かの政治的ポジションの極めてブルジョア的な部分を否定し対立するだろう。このうちの何人かはまったくブルジョア的だ2。それでもこの4人が最高であることに変わりはない。風刺画家あるいは買い物客が、ユダヤ人であったがためだけに射殺された今回の野蛮な暴力事件はフランスのみならず、世界中で極めて強い感情を引き起こしたことはまったく理解できる。ブルジョア民主主義の公式な代表者たちのこうした感情を利用するやり方によって、多数の人々が憤り、怒り、そして深い悲しみにとらわれ、1月7日に衝動的に路上へと繰り出したことが、人間にとって、この卑劣な野蛮行為に対する極めて基本的かつ健康的な(自然な)反応であったという事実を覆い隠すことは許されない。

資本主義の腐敗の産物そのもの

テロリズムは古くからある3。以前と違うのは、現代のそれが80年代以降のかつてないグローバルな現象がもたらした形をとっていることだ。1985、86年にパリを襲った一連の無差別攻撃は、小さなグループによる単独の犯行ではなく、明らかに政府が関与し、これまでとは比べ物にならない数の犠牲をもたらす新たなテロの利用を開始した兆候があった。

狂信的なイスラム主義者たちによるテロ攻撃は今に始まったものではない。今世紀だけでも今回のパリ以前からさらに大規模なテロが起こっている。

2001年9月11日ニューヨークのWTCビルへの航空機による自爆攻撃によって、新しい時代へと突入した。我々から見れば、アメリカの政府機関が、アメリカの帝国主義的権力を正当化し、アフガニスタンとイラクへ戦争を仕掛けることができるように、攻撃をわざと見逃したか、あるいは積極的に手を貸したことは明白だった。ちょうど1941年12月、日本のパールハーバー攻撃を予見したルーズベルト大統領が、アメリカの第二次世界大戦への参戦根拠として利用したように4。一方で、航空機を乗っ取た(乗っ取った)人間が、大量の人間を自らの犠牲によって殺害することで天国へ行けると考えた、妄想に満ちた狂信者であったことも明白だった。

それから約2年半後の2004年3月11日、マドリッドは虐殺の場となった。アトーチャ駅でのイスラム主義者による爆弾は200人の死亡者と1500人以上の負傷者をもたらした。犠牲者の体は、DNA鑑定でようやく特定できるほど変わり果てた姿となり、列車内でも56人の死者と700人の犠牲者が生じた。ロシアも、2010年3月29日の39人の死者と102人の犠牲者のほか、21世紀に入って、数回のイスラム主義者による攻撃を経験した。そしてもちろん、周辺諸国も例外ではなかった。とりわけ、2003年にアメリカに侵略されたイラク、そして昨年12月にパキスタン・ペシャワールの学校では、132人の子供を含む141人の犠牲者が出た5。

意図的に子供たちを狙ったこの攻撃は、ジハードに従うものたちのエスカレートする野蛮を示している。対するパリでの1月7日の攻撃は、それよりも幾分少ないものの、新たな野蛮の局面への展開を見せている。

以前のケースはどれも、聞くのも嫌になるほどの子供を含めた一般市民の殺害であってもいくらかの「理性」(「合理性」)のあるものだった。報復か政府とその軍事力に対して圧力をかけるためだ。2004年のバルセロナでの虐殺は、アメリカに協力してイラクにかかわったスペインへの「お仕置き」のためだった。2005年のロンドン爆破も同じことだった。ペシャワールでの攻撃は、パキスタンの子供たちを殺害することでパキスタン軍に圧力をかけることが目的だった。だが、1月7日のパリでの攻撃はほんのわずかな幻想的「軍事目標」さえもなかった。風刺画家シャルリー・エブドとその同僚たちは、ムハンマドの風刺が(風刺画)が出版されたことへの「預言者のための復讐」として殺さた。それは戦争によって荒廃、あるいは半啓蒙主義的宗教(宗教的反啓蒙主義)に支配されている国ではなく、フランス、あの「民主的で、世俗的、共和的」フランスで起こったことだ。

憎しみとニヒリズムは人々を、とりわけあえて、自らの命の犠牲の上に可能な限り多くの人を殺害しようとするテロ活動に駆り立てる鍵だ。この憎しみは、人をして、無関係な人々もお構いなく巻き添えにする冷酷な殺人マシーン-国家(の歯車)-に変えてしまう。1月7日のパリでは、純粋な半啓蒙主義的(反啓蒙主義的)憎悪と復習(復讐)への狂信的渇望をはなかった(はなかった)。その標的は、自分と同じような考えを持たない他者に、考えることをやめた人間に、いわば人類に正しい教えを施す実践 だった。

だから1月7日の惨劇はこれほどの衝撃を与えたのだ。ある意味、我々は、文明的な国の人間の頭(「文明的」国家において教育を受けた人間の精神)が、あたかも狂信的なナチスの人間が、本を燃やし、ユダヤ人を絶滅に着手したような野蛮で支離滅裂な計画をすることができるのだろうか、とういような(というような)信じがたい考えに直面しているのだ。

しかもそれだけにとどまらない。最悪なのは、今回のクアシ兄弟、アメディ・クリバリーと共犯者たちによる極端な行動が、貧しい人たちの間で起こっている運動、つまり数多の若者たちの間で、「シャルリー・エブドは預言者を侮辱するために描」き、そのような風刺画家たちを殺してしまうのは「あたりまえ」と考える運動の一角に過ぎないことだ。

これも野蛮の進行、我々の「文明的」な社会の破綻の兆候だ。こうした若者(移民に限らず)たちの憎しみと反啓蒙的宗教への傾倒は、資本主義社会の腐敗における症状のひとつだが、とりわけ現状の危機をとりわけ(←トル 重複しているので。)しめすものだ。

今日、世界中の(ヨーロッパ、とりわけフランスも)多くの未来もなく、混乱と混沌に生き、代々続く間違い(代々続いて成功を得られず)、文化的、社会的貧困によって侮辱されている、社会に適合できない若者たちが、「ジハード」のためのヒットマンや鉄砲玉を求めている恥知らずのリクルーター(それはしばしばISISのような国や政治機構とつながった組織であったりする)たちの餌食となっている。現在の資本主義の危機(経済的のみならず社会的、モラル、そして文化的危機でもある)に対する展望をもたない彼(女)らが、腐り行き、あらゆるところから膿が噴出する社会では若者たちの多くの人生は無意味で無価値なもののようだ。彼(女)らの絶望はしばしば宗教的盲目や狂信的服従、自殺的ニヒリズムによってあらゆる非合理的で極端な行動を引き起こす。衰え行く資本主義社会は恐ろしいことに、膨大な少年兵を育てている(たとえば1990年代以降のウガンダ、コンゴ、チャド)。そしてそれはヨーロッパのど真ん中で若いサイコパス、心に鈍感で最悪の行為を報償を期待することなく行うことができる、冷酷でプロフェッショナルな殺人者たちを育てている。簡潔に言えば、この病的で野蛮なダイナミズムに任せるままの、腐り行く資本主義社会は人類全体を血にまみれた混沌-残忍な狂気と死に追いやるのみだ。テロリズムの増大からわかるように、こうした社会は自暴自棄に陥った殺人的個人を次から次に生み出す。短く言えば、この社会では鋳型でテロリストたちを生み出しているようなものだ。このような「モンスター」たちが存在するのは、資本主義社会が「モンスター」となったからに他ならない。 すべての判啓蒙主義(反啓蒙主義)とニヒルな流行に感化された若者たちがただちにジハードに参加するわけではないとしても、彼(女)らの多くが、「英雄」あるいは「正義」の使者として飛び込む人たちを尊敬し、絶望と野蛮の増す侵略社会の証人を構成していることは事実だ。

醜悪な「民主主義」の回復

しかし資本主義世界の野蛮はテロ行為とそれに同情を見せる若者だけに見られるわけではない。ブルジョアがこの物語を回復しようとしているという醜悪な形でも見られる。

この原稿を書いている時点で、「民主的な」指導者たちによって率いられている資本主義世界は限りなく下劣な行動を取ろうとしている。1月11日日曜日、パリでは巨大な路上デモが計画され、オランド大統領を、アンジェラ・メルケル、デイヴィッド・キャメロン、スペイン、イタリア、ヨーロッパ諸国といった各国の政治指導者たちのみならず、ヨルダン国王、パレスチナ自治政府大統領のマフムード・アッバース、イスラエル首相のベンジャミン・ナタニイェフも参加した6。

何百万もの人々が自発的に繰り出した1月7日の夜、フランソワ・オランドを皮切りとした政治家たちとメディアは「報道の自由と民主主義が脅かされている」、「我々は一丸となって共和国の価値を守らなければならない」とキャンペーンを開始した。さらに、こうした一連の1月7日の出来事に続き、我々は、「汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」の歌詞とともに「国家統一」、「民主主義の防衛」を唱えながらフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の歌声を聞いた。これらは支配階級が我々の頭に叩き込みたがっているメッセージだ。言い換えれば、20世紀の2度の世界大戦時のに起こった数多の労働者への威圧と虐殺の(強制と虐殺を)正当化したスローガンのことだ。ホランドはまた、その最初のスピーチで、アフリカ、特にマリに軍を派遣したことで、フランスは既にテロとの戦いを開始したと述べた(まさにブッシュが2003年のイラク介入時に同じ目的を説明したときのように)。フランスブルジョワジーの帝国的関心は明らかに介入ではない!

哀れなカブー、シャルブ、ティグノー、ウォリンスキ!最初に狂信的なイスラム主義者たちは彼らを殺害した。彼らは政治的代表者やブルジョア「資本主義」の「ファン」たちによって二度殺されなければならなかった。人間社会を侵す野蛮の現況となっている腐敗する世界システムのすべての国家元首たち。資本主義。そしてこれらの政治指導者たちは、システムの利益、支配階級とブルジョアジーを守るためならテロの利用、暗殺、市民のに対する(市民に対する)実力行使をためらわない。

2015年1月にパリで起こった野蛮は野蛮を生み出している経済システムの支援者と保証人によって終わることはない。野蛮は世界のプロレタリアがこのシステムをひっくり返すによってしか終わらない。いわば、社会の富の大部分と関連している階級によって、利益、競争、そして人間の人間による搾取に基づかない、人類先史(人類前史)からの伝統を廃した、真にユニバーサルな人間の共同体に代替されることによってだ。社会は「各人の自由な発達できる連合は、すべての人の自由な発達の条件7」、共産主義社会となる。

S

レヴォルシオン・インテルナシオナール(2015年1月15日)


1968年にウォリンスキは、労働者たちは革命を求めるのに対し、労働組合の人間は「正気なのかい、政府と上司が許すはずがないだろう!」と答える風刺画を描いた。

1 何年もの間、この風刺画家は定期的に殺害の脅迫を受けていた

2 「5月革命家」ウォリンスキの風刺画は数年にわたり、共産党機関紙「L'Humanité」に掲載されていたではないか? 彼自身「私たちのようにならないために1968年5月を起こした」と描いたではないか?

3 19世紀、国家に対して反乱を起こしたロシアの大衆主義者やフランスやスペインのアナキストのような少数派たちは、テロ行動に訴えていた。これら不毛な暴力行動は、常にブルジョアたちの反労働運動の正当化と弾圧の合法化に利用されてきた。

4 我々のウェブサイトを見よ。「パールハーバー1941 - 《ツイン・タワー》2001・アメリカブルジョワジーのマキャヴェリズム」 https://en.internationalism.org/ir/108_machiavel.htm

5  しかもパリ攻撃のわずか数日前に、ナイジェリアのイスラム教ボコ・ハラム派は

最大2000人に及ぶバガ住人を無差別に殺害するという最悪の虐殺に走った。これをメディアは最低限しか報道していない。

6 「国家団結」の掛け声は労働組合と政党の一致しているが(NF国民戦線だけが参加していない)、メディアもそれに迎合している。スポーツ誌であるL'Équipeですらデモを呼びかけている!

7 マルクスー共産党宣言, 1948

日本帝国主義の攻撃態勢への省察

私達はつい最近、日本の読者から、嬉しいことにメッセージを受け取りました。

ジアおける新たな帝国主義的超大国としての中国の興隆と、悪化を繰り返す韓国および北朝鮮と日本の間の緊張に直面してきました。日本の帝国主義はアメリカの軍事力に強く依存している一方、独自の野望も持っている。長年に渡り日本は自身の領海権外への干渉を少しづつ強めてきた。最初はペルシア湾でのアメリカ軍への非武装補給支援という形で、次にアデン海峡に軍事部隊を派遣した。同時に、海上自衛隊は南東アジアでの軍事行動への関与を強めてきた。自衛隊は常に近代化され続け、防衛費を増大させている。最近中東で殺害された二人の日本人民間人は日本の帝国主義にとってその軍事的野望を強化する格好の材料となった。こうした近年の日本の軍事主義化に対して平和主義的視野を持つ人たちが増えているとはいえ、革命家たちは、軍事主義という癌に対して平和主義的解決法はなく、システムそのものをひっくり返す他ないということを強調しなければなりません。

 

 私達は読者の分析を送ってくださることを歓迎します。

 

「イスラム国」は、拘束していた日本人、湯川遥菜さん、後藤健二さんを殺害した(1月24日、31日 ネットで公開)。

 

 二人の即時解放を願い連日のように行われていた集会・デモは、全国規模での追悼行動となった。

 

 遅くとも昨年末、衆院選以前に日本政府は二人の拘束の事実を掴んでいた。

 

 そうした中で安倍晋三首相は1月17日、訪問先のカイロでの中東政策演説で、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため」「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」すると「約束」した。また「中東全体を視野に入れ」、「非軍事分野に25億ドル相当の支援を、新たに実施」すると強調した(日本国・外務省ホームページ)。

 

 1月20日の「イスラム国」による「72時間以内に2億ドル払わなければ二人を殺害」するとの脅しは、この安倍スピーチと日本政府の姿勢への応答である。

 

 安倍首相は6日間の中東歴訪で、日本の首相として9年ぶりにイスラエルを訪問し、政府高官と日本企業幹部約100人が同行したといわれる(1月19日 AFP)。

 

 「ブッシュの戦争」ーアフガニスタン(2001年)・イラク戦争(03年)を起点に、昨年のイラク・シリア空爆と、現在も中東において殺戮と侵略の道をひた走る「米国との同盟を進展させ」(2015年12月17日 「国家安全保障戦略」)ながら、日本は英、仏ほか60カ国と共に「有志連合」に加わっている。

 2月12日の施政方針演説においても安倍首相は「テロと戦う国際社会において、日本としての責任を、毅然として果たしてゆく」ことをあらためて強調した。

 

 一方、ソマリア沖・アデン湾海域の「海賊対策」を名目として設置された自衛隊のジブチ拠点(東アフリカ)の事実上の基地化が目論まれており(1月19日 朝日新聞)、日本は中東・アフリカを睨んだ独自の軍事的足がかりを固めつつある。

 

 安倍政権が唱える「積極的平和主義」「地球儀を俯瞰する外交」が意味する好戦的侵略的内実は明らかだ。

 米国主導の「有志連合」による「イスラム国」ーイラク・シリアへの空爆再開ー地上戦開始を許さず、「テロと戦う」ことを口実とした集団的自衛権行使容認や安全保障関連法案の成立、日米ガイドライン再改定、自衛隊派兵を阻まねばならない。

 

 「イスラム国」による限りない蛮行はまず糾弾されるべきである。

 しかしながら「イスラム国」の台頭が、この「文明的」世界のシステムー現代資本主義に因ることを忘れてはならない(米ソ冷戦体制終了後、中東地域に牙を剝いた支配階級・ブルジョアジーの暴力、虐殺と破壊を。欧米におけるムスリム系の人々への差別・収奪と貧困の強制を)。

 さらに世紀を遡っての、ヨーロッパ対中東、支配/被支配の政治的経済的検証を、資本主義批判として明らかにする必要がある。

 

 1月7日パリの惨劇以降より鮮明となった「反テロ」大連合ーブルジョア「民主主義」(「パリの虐殺ーテロは腐りゆくブルジョア社会の表れだ」 https://en.internationalism.org/icconline/201501/11878/massacre-paris-te...)の腐敗と、これに追従する「左翼」諸勢力の混乱を批判し、国際主義とプロレタリアートの前進によって、中東地域における<野蛮>と<野蛮>の衝突を終わらせなけばならない。