”怒れる”スペインの人たちとの連帯 - 未来は労働者階級の手にある!

多くの国で、強姦未遂で逮捕されたIMF専務理事であったドミニク・シュトラウス=カーンを巡るスキャンダルに光が当たっていた時、より重大な出来事がヨーロッパを揺るがしていた - 5月15日のマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場の占拠に端を発したスペインでの暴力的な社会的抗議行動だ。この動きは、膨大な数の民衆、特に失業やサパテロ政権の切り詰め政策、政治家の汚職などに憤慨している若い民衆が担っている。この社会運動はFacebookやTwitterなどのソーシャルネットのおかげでバルセロナ、バレンシア、グラナダ、セビリア、マラガ、レオンと国中の大都市に急速に飛び火した。しかし情報がピレネー山脈を越えてフランス方面に行き渡ったとは言いがたい。フランスではソーシャルネットワークとオルタナティブ・メディアのみで5月中旬以降の出来事を写真やビデオで報じられたに過ぎないからだ。ブルジョア的メディア、とりわけフランスのメディアが今回の出来事に関して突如「停電」し、ドミニク・シュトラウス=カーンの事件を巡る犯罪ドラマで埋め尽くそうとするのは、この運動が、資本主義に潜む袋小路に対抗する社会運動と世界の労働者階級の闘いの進展に向けた重要なステップを明示しているからだ。

"怒れる"スペインの人たちによる行動は2010年9月29日の年金改革に反対するゼネスト以来徐々に熟してきた。このストライキは労働組合が政府との合意の席に着き、改革案を受け入れたことによって敗北に終わった(現在40-50歳代の従業員は年金受給開始時の受取金が現行より20%削減されることになる)。この敗北は労働者階級の強い屈辱を呼び起こした。そしてこの年金改革を巡る闘いを積極的に支援した若者、とりわけピケに参加した多くの若い人たちの間には強烈な怒りが溜まることになった。

2011年の初めにこの怒りはいくつかの大学で沸騰した。3月には隣のポルトガルで"若い貧民"グループによってインターネットでデモの告知がなされた。その後約25万人がリスボンでのデモに参加した。この流れは瞬く間にマドリッドを中心としたスペインの大学に広がった。殆どの学生や30歳以下の若者は、ちょっとした仕事によってもたらされる月に600ユーロ以下の収入で糊口を凌いでいる。このような背景に基づき100名ほどの学生からなるグループは"未来のない若者たち"(Jovenes sin futuro)というグループを立ち上げた。これら労働者階級出身の持たざる大学生たちは、「家なし、仕事なし、怖いものなし」というモットーのもと結集した。彼/女たちは4月7日のデモを呼びかけた。5000人が参加したこのデモは、"若い貧民"グループを勇気付け、5月15日のデモを計画することとなった。その間マドリッドで、左翼からも右翼にも属しない非政治的だが失業と市場の独裁に対抗するプラットフォームとなる"今こそ真の民主主義を"(Democracia Real Ya)コレクティブが立ち上げられた。"今こそ真の民主主義を"も同様に5月15日に集会開催をその他の都市で呼びかけた。マドリッドでそれは最も成功し、25万人がデモに参加した。整然とした抗議の列はプエルタ・デル・ソル広場で解散するはずだった。

未来のない若者の怒りは全住民に飛び火する

"今こそ真の民主主義を"が呼びかけた5月15日の集会は成功裏に経過した。集会は住民、とりわけ職業訓練や学業の後の失業に疑問を持つ若者の間に広がる不快感を反映した。すべてはそこで終わるはずだったが、マドリッドとグラナダの集会では最後に"ブラックブロック"による衝突が起こった。警察は暴力的に対応し20人を逮捕した。警察に虐げられた逮捕者たちは結集し、警察の暴力を告発する共同声明を出した。声明は、瞬く間に治安組織の横暴に対する大きな怒りと連帯意識を引き起こした。約30名の無名で組織されていない人たちは、マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場を占拠し、キャンプ場を設置することを決定した。このイニシアティブはすぐさま飛び火し、住民の強い同情を引き起こした。このような例は、同日、バルセロナやグラナダ、バレンシアなどの都市でも起こった。警察による一連の新たな暴力は火に油を注ぐこととなり、以来70を超える都市で雲霞のごとく抗議者たちが集い、その数は増え続けている。

5月15日の運動のオーガナイザーは5月17日に無言による抗議行動および演劇を予定していたが、広場に集まった人たちは、集会の開催を要求した。集会はマドリッドやバレンシア、その他の都市で午後8時に始まった。5月18日水曜日以降、この集会の様相は公共の場での一般にも開かれた集会へと変わった。

弾圧と地域および地方選挙の状況に対して、"今こそ真の民主主義を"コレクティブはスペインにおける「新たな民主主義」の目標に向かってディベートを開いた。PSOE(社会労働党)/国民党の二重政党制度を克服し、フランコ政権後の34年間にわたる「不完全な民主主義」に変わる「真の民主主義」のため、選挙法の改善が要求された。

しかし、この"怒れる人たち"による運動は、"今こそ真の民主主義を"コレクティブによるさらなる民主主義とその改革の要求以上のものとなった。運動は"月収600ユーロの失われた世代"の若者の放棄だけに留まるものではなかった。マドリッド、バルセロナ、バレンシアそしてマラガなどでのデモや占拠された場所では「資本によらない民主主義」、「PSOEとPP(国民党)-どちらもクソ」、「資本主義ではない未来を」、「あなたたちが夢を見る間も与えようとしないなら、われわれはあなたたちを眠らせない」、「集会に決めさせろ」、「問題は民主主義ではない。資本主義だ」、「仕事なし、家なし、怖いものなし ー 労働者よ目覚めよ!」、「月収600ユーロ、これは暴力だ」、「そんなに投票が危険ならとっくに禁止されているはず」といった横断幕やプラカードを見ることができた。バレンシアでは女性たちが「私たちの祖父母たちはだまされた。私たちの子供は混乱に陥れられた。私たちの孫たちまで騙されないようにしなければいけない」と叫んだ。

集会 - 未来のための武器

公約を決して守らず、留まることなく悪化していく経済危機の要請によって予算を削ることしかしない政治家を、4年に一度の選挙選ぶことに限定されているブルジョア民主主義に対して、"怒れる"スペインの人たちによる運動は、自発的に公共的で開かれた集会という労働者階級の闘争のための武器を手に入れた。街中に何十万人ものあらゆる世代のあらゆる搾取している階層以外の人々が集まった。集会では誰もが怒りを表し、ディベートではさまざまな質疑をつき合わし、提案することができる。この公共的な勢いに満ちた空気の中で人々は勇気付けられ、政治的、文化的、経済的とあらゆる社会的な人生について喋りだす。広場では互いを尊重しあう団結心に満ちた環境で議論がなされ、膨大な量のアイデアが集まった。いくつかの都市では、。誰もが自分たちのアイデアを文章で投函できるように"アイデアボックス"が設置された。運動は賢明な形でオーガナイズされている。セキュリティ要員との無用な衝突を避けるため、委員会が設置された。参加者内での暴力は禁止されている。「革命は泥酔とは違う」という名のもと、アルコール禁止が行き渡っている。毎日清掃チームがオーガナイズされている。公共食堂では食事が提供され、ボランティアの人たちによる保育所ができた。図書館と"アイデア銀行"(学術的および文化、政治、経済テーマ、芸術的事柄を扱う)が設置された。"考える日"が計画された。あらゆる人が自身の知識と能力を持ち寄る。

一見このような流れは何一つ現実的な意味をもたらさないように思える。何一つ現実的な提案はなされていないし、何一つ現実的あるいはすぐに実行可能な要求もなされていない。しかし、極度の貧困や予算削減への不安、現状の社会的規範や社会的原子化(ばらばらにされる個人)を打ち破り、再び結合し、議論し共に熟慮するための共同の意思が言葉として表された。多大な混乱や幻想にも関わらず"革命"という言葉は人々の会話や横断幕、プラカードに出てくる。そしてその言葉を人々は最早恐れない。

集会でのディベートは根本的な疑問を提起した。

我々は"民主主義の改善"に限定すべきだろうか?変革することができず乗り越えなければいけないシステム、資本主義自体に根源があるのではないだろうか?

運動は選挙後の3月22日で終わらせるべきか、それとも我々の生存条件への攻撃、失業、貧しい生存状況、住居からの追 い出しなどに対する闘いを通じて続けるべきだろうか?

集会を職場に、都市の各地区に、労働局に、ギムナジウムに、学校に、大学に広げるべきだろうか?運動を、今拡がっている一般的な闘争に唯一参加できる状況にある労働者階級のみに限定すべきではないのではないだろうか?

集会でのディベートは2つの傾向へと昇華した。

ひとつの保守的傾向、プロレタリアートに属さない層が持つ「資本主義システムは"ブルジョア(市民)による民主革命"によって変革できるだろう」という幻想が振りまかれている。

その他プロレタリアートが示す傾向。それは資本主義の超克の必要を強調している。5月22日の選挙の投票日に開かれた集会では運動の継続が決定された。多くの演説は「我々は選挙のためにここにいるわけではない。何かが起こる瞬間に立ち会っているのだ」と、強調した。プロレタリアートの勢いは失業、貧困化、社会の解体に対抗する要求によって「労働者階級に向かって運動する」という提案を通じて急速に膨張した。プエルタ・デル・ソル広場では市内の各地区で国民集会を組織することが決定された。職場、大学、労働局への運動の拡大の提案もなされた。マラガ、バルセロナそしてバレンシアの集会では、社会保障の削減にたいするデモの組織が提起され、加えて新たなゼネストー演説者によれば「本当のゼネスト」-が提案された。

とりわけスペインの産業の中心都市であるバルセロナのカタルーニャ広場での中央集会は、"民主的な改革"への幻想に対する明白な拒否を表明した、もっともラディカルで強力なプロレタリアートの勢いが刻み込まれた集会となった。社会保障削減に反対するテレフォニカ(スペインの大手通信業者)の従業員、医療従業員、消防署員、学生たちもこれに反対し、別の意見の声をあげた。5月25日にマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場での集会が運動の「非中央集権」化と、「水平かつ参加型民主主義」を可能にするため、都市の各地区で"国民集会"を召集することを決定する一方、カタルーニャ広場での集会は医療従業員のストライキへの積極的な支援を決定した。バレンシアではバスの運転手たちが教育予算の削減に反対するデモに加わった。サラゴサではバスの運転手たちは熱意を持って集会に参加した。

バルセロナでは"怒れる人たち"がカタルーニャ広場のキャンプ場を6月15日まで維持することを決定した。

未来は若い労働者階級の手にある

今も究極の目標に向かって進展しているスペインでの若者たち(20-25歳の年齢層は45%という異常な高率となっている失業と戦っている)が引き起こした反乱は、労働者階級の闘いの一部であることは明らかだ。彼/女たちの労働者階級の世界的な闘いへの貢献は否定できない。このいたるところに拡大した運動は、すべての非搾取者階層、特にすべての世代の労働者階級を魅了した。

それは、すべての非搾取的な階層とすべての世代の労働者階級を引きつける広範な闘いとなった。たとえ階級が、大衆の怒りの波を一部しか手にしていなくとも、大規模なストライキと特定の経済要求をとおして階級自身を主張しなかったにせよ、この運動は世界を変革することができる唯一の階級の、真の意識の成熟を表している。

ブロレタリアート。この重要な人の群れが、西ヨーロッパの「民主主義」国で起ち上がりつつあり、資本主義がますますはっきりとした破綻の局面にあることを明らかにする。そしてブロレタリアートの闘いは政治化への道を拓いてゆく。

さらに何よりもこの運動は、若者、臨時工や失業者-大衆の多数、に労働者階級が闘いの武器を自分のものにすることができるという可能性を示した。

大規模で、広範に開かれた集会。人々は団結を主張し、政党や労働組合の外で、自分たち自身が運動をコントロールすることを認めた。

この運動の中から飛び出した「すべての権力を集会に」というスローガンは、今のところ少数派に過ぎないが、ロシア革命での「すべての権力を労農評議会(ソヴィエト)に」というスローガンの焼き直しだ。

「共産主義」という言葉が今日でも不安を呼び起こす(東側およびスターリン型政権崩壊後に堰を切った支配者のキャンペーンの影響が大きい)としても、反対に「革命」という言葉は恐れを呼び起こさない。まったく逆だ!

この革命は"今こそ本当の民主主義を"コレクティブが主張するような"スペイン革命"ではありえない。失業、貧困化、高い物価、悪くなる一方の搾取される民衆の生存状況はスペインだけの特別な状況ではない。失業、特に若者の失業の陰惨なしかめっ面はマドリッドとカイロ、さらにはロンドンとパリでも見ることができる。まったくアテナとブエノスアイレスで見ることができるように。私たちすべてが奈落の底へと崩落していく資本主義と共に落ち行く当事者なのだ。この奈落は貧困化と失業だけでなく増大する核による破局、戦争、社会的繋がりの解体ーモラル的野蛮人との繋がり(特に"文明"諸国におけるレイプや女性に対する暴力)によっても出来ている。

"怒れる人たち"による運動は革命ではない。"未来のない若者"と、すべての人類の展望を開いたこの運動は、単に社会闘争と世界の労働者階級による闘争の進展の最初の場として現れたに過ぎない。

運動は、混乱と幻想にも関わらず、ブルジョア社会の中にあるプエルタ・デル・ソル"無依存共和国"は、もうひとつの社会を成熟させることを明白にしている。この「スペインの激震」は、失うものを持たない新しい労働者階級世代が、既に歴史を動かす存在となりうることを示した。彼/女らは究極的には人類の解放への道と繋がる今後の社会的激震の土台を築こうとしている。ソーシャルネット、携帯、その他の新しいコミュニケーション手段によってこうした若い世代は、支配者と支配者に連なるメディアが押し付ける情報の暗闇を打ち破り、国境を越えた団結を築きあげることができるという自身の能力を証明した。

新しい世代の労働者階級は2003年に世界中の社会という舞台に、まずはブッシュ政権によるイラク軍事侵攻へ反対する勢力として(多くの国で若者がブッシュ政権に抗議した)、その後2003年のフランスでの年金改革反対デモに登場した。2006年にはフランスの高校生たちがCPEに強烈に反対して路上に現れた。ギリシャ、イタリア、ポルトガル、イギリスでは職業訓練生の若者たちも同様に、資本主義が提案する、絶対的貧困と失業という唯一の見通しに反対する声を上げた。この"新しい未来のない世代"の怒りの波は少し前にチュニジアとエジプトを襲い、ベン・アリとムバラクを突き落とす社会的反乱を巻き起こした。しかし、強力な"民主主義"諸国の支配者たち(特にバラク・オバマ)は、デモ参加者たちのストライキやゼネストによる脅しが苦い敗北を帰した時に、ベン・アリとムバラクを陥落させざるを得ない状況に追い込まれたという決定的な瞬間を忘れてはならない。以来ターリル広場は多くの国の若い世代の労働者階級を尻目に闘いを鼓舞する象徴となった。この例に続き、スペインの"怒れる人たち"はプエルタ・デル・ソル広場にキャンプ場を設営し、70以上の都市で公共の場を選挙し、あらゆる世代のあらゆる非搾取者層とともに集会を開いた(バルセロナの"怒れる人たち"はカタロニア広場をターリル広場と改名すらした)。

スペインにおける運動は、カイロのタリールスクエアに結実した素晴らしい反乱とは異なる深い意義を持つ。それはイベリア半島(2つの大陸を連絡する橋である)の主要国で起こった。

西欧(そのいくつかは「社会主義」政府!によってリードされてきた)の「民主主義」国家において、この事実はチュニジア「ジャスミン革命」以来、メディアで振りまかれた「民主主義」の神秘化を侵食してゆくことに役立つだろう。

怒れる若者たちが起こした運動の際の避けることのできない幻想と混乱にも関わらず、運動は今日爆発的広がりを見せている社会闘争における、ある非常に重要な繋がりを示している。経済危機が深刻さを増すにつれて、労働者階級の階級闘争を伴う社会闘争も常に増していく。

"未来のない"若者世代の勇気、覚悟、そして深く根付いた団結心は、もうひとつの世界は可能だということをしめしている。共産主義とは世界的な共同体の連合を意味する。しかしこの人類の「古くからの夢」を実現させるためには、まずこの世界の富の殆どを生産する労働者階級が自らの階級意識を再び発見しなければならない。それによって搾取とあらゆる資本主義による攻撃に対し、世界中での彼/女らの猛烈な闘いが繰り広げられることになる。

"怒れる人たち"による、革命を問う運動は始まった。世界中の労働者階級は資本主義を克服するという来るべき闘いにおいてこの問いを解くという宿題を与えられている。商品の生産と利益に立脚した搾取システムの残骸の上にのみ、新しい世代は人類は自身の尊厳を取り戻し、真の普遍的な"民主主義"からなるこれまでとは異なる社会を創出することができる。

ソフィアン 2011年5月27日

1. "グローバルな革命"と国境を越えた運動への"拡大"を呼びかけているスローガンを聞くことができる。すべての集会で国際評議会が開催されている。"怒れる人たち"による運動は、ヨーロッパ、アメリカ大陸大都市へと拡散している(のみならず東京、プノンペン、ハノイでは外国に住む若いスペイン人が"今こそ真の民主主義を"コレクティブの旗を掲げた)。


International Review誌Web版より訳出