唯一プロレタリアのみが、資本主義に終止符を打つことができる

そして、これほどの大変動を実現することができるのは、唯一労働者階級しかいない。社会において、資本主義の基盤を、中でも第一にこの制度の危機の中心にある商品生産を、根本的に攻撃することに実際的利益を持っているのは、労働者階級のみである。何故なら、資本主義生産における商品の支配である市場が、まさに彼らの搾取の根源だからである。農業主や職人等その他の部門の生産者とは逆に、労働者階級に固有な性質とは、生産手段を有せず、それら生産手段の保有者に、生きる為に自らの労働力を売ることを余儀なくされていることにある:その保有者とは即ち、私的資本家、或いは国家である。それは、資本主義制度において、労働力自体が一つの商品となり、それのみかあらゆる商品の中でも最も重要な本質的商品になったからであり、まさにその為にプロレタリアが搾取されているのである。資本主義的搾取に対するプロレタリアの闘いが、賃金労働の廃止と、それに従いあらゆる形態の商品の廃止とを必然的にもたらすのはこの為である。その上、この階級は今日社会の富の大部分を生み出す。それは集合的枠組の中で、資本主義自身によって発達させられた共同的労働のお陰で成される。しかし資本主義制度は、個人的小生産を害してとりかかった、生産の共同化を最後まで遂行し遂げることはできなかった。 

資本主義の本質的な矛盾の一つはここにある:その支配下において生産は世界的特徴を獲得したが、その生産手段は多数多様の所有者の手に分散されたままであった。つまり、生産された商品を売買する私的資本家や国家の手中にである。よって、市場の廃止は、これらあらゆる資本家の収用と、生産手段全体の社会による集合的掌握とを通して行なわれる。そしてこの任務は、集合的方法で生産手段を実際に原動させている張本人でありながら、そのいかなる生産手段も所有しない階級のみによって、実現することが可能なのである。

そのような理念は新しいものではない:1世紀半以上も前より、この理念は搾取に対する労働者の闘いの旗標であった。「労働者の解放は労働者自身の仕事でなければいけない」:これは、1864年に創設された第一インターナショナルこと国際労働者協会の綱領の中心的スローガンであった。それ以来、この言葉は他のインターナショナルによって同じ力でもって繰り返されてきた:1889年に創設された社会主義インターナショナル、革命波の只中、1919年に生まれ、1928年にスターリンによって死をもたらされた共産主義インターナショナル等によってである。現在、ブルジョワジーのキャンペーンはそれが単なるユートピアに過ぎなかったと信じさせようとしている。彼らによると、そのユートピアは、スターリニズムの脅威をもたらすということになっている、危険なユートピアである。しかし、我々がブルジョワジーとそのメディアから期待できるのは欺瞞のみである。実際には、労働者運動によってその当初より主張されてきた諸処の事柄は、完全に有効であり続けている。資本主義は、自らを変形させながらも、その指図のままに動いたある社会学者達が主張したようには、労働者階級を消滅させたりはしなかった。この制度は、その本質そのものである、賃金労働者の搾取によって生き続けている。そして、工場や会社、役所、学校、病院等で働く賃金生産者階級は、人類の未来の唯一の担い手であり続けている。 

プロレタリアによる共産主義革命がその全くの現代性を保持していることは、ブルジョワジーが荒れ狂わせている「共産主義の終焉」や「マルクス主義の死」、即ちプロレタリアの革命理論をテーマにしたキャンペーンの規模が証明している。もしブルジョワ階級がこれら被搾取者に対していかなる脅威をももはや抱いていないとすれば、又、もし彼らが、労働者階級が歴史の場面において一つの役割を演じることはもはや可能ではないと本当に思っているのであれば、彼らがプロレタリアに、革命からは何も期待できないと説得することにこれほどまでに骨を折ることはなく、又、プロレタリアにこれほどまでに自己の非力さを感じさせるようあらゆる方法を尽くして試みることはなかったであろう。