資本主義の将来:さらなる戦禍の野蛮

社会にとって予想されるのは、大小を問わないあらゆる国々の、帝国主義的欲望の爆発である。全てのブルジョワジーは、あらゆる手段、とりわけ軍事的手段をもって、「各人が己の為に」、他を破壊することで自らの利益を守ろうとし、ごく僅かな市場のみではなく、ごく僅かな領土の一塊、及びごく僅かな影響圏を求めて争うこととなるであろう。実際には、資本主義が人類に提案する未来とは、史上最大の混沌である。そして世界の最強国が「秩序保護」の為の監視役、つまり「世界警官」として睨みをきかせることを意図する時、その国がする術を心得ている唯一の事は、新たな無秩序と流血の惨禍を爆発させることのみである。1991年の初頭に中東で我々が目の当たりにした事実がそれを物語っている。アメリカによるイラクに対する十字軍は、「権利」、「国際法」及び「世界秩序」の名における十字軍として呈示された。それは、アメリカという最強のギャングに、サダム・フセインのような他のギャングを犠牲に、殺害する権利を誇示することを可能とした、懲罰隊の派遣さながらにその姿を示した。その目的は、自らの法、つまり強者の掟、マフィアの掟を押し付けることであった。唯一の違いは、古典的なギャングは互い同士の間において、小規模で殺し合うことに対し、国家の指揮者は、その時々の敵対者の統治下にある国民を真っ先に殺し、それは大規模で行なわれるということである。「世界秩序」に関してはどうかと言えば、湾岸戦争以来、それがどのように「守られ」てきたかを、我々は見ることができた。中東自身において、この戦争は、イラン、トルコ、シリア、USSR南部等の地域全体を脅かしていたシーア派とクルド人の反乱といった新たな無秩序を発生させた。そしてその脅威は、これらの人間の虐殺と引き換えによってのみ排除された。世界のその他あらゆる場において、混沌は増大する一方である。アフリカ大陸においては、人々は民族間対立や殺戮にはまり込み、これらの諸問題は、それでなくても存在する飢饉や伝染病を更に煽るばかりである。もはやヨーロッパさえも、この混沌から免れることはできなかった。ユーゴスラヴィアが火と流血の中へ散り、巨人・USSRは断末魔の痙攣を経験していた:独裁体制により貧困と無秩序とに陥れさせ、国民の搾取を止めないアフリカの諸共和国におけるものと同様の武装蜂起、これらの共和国のほとんどの分離、ナショナリズムの爆発、ユーゴスラヴィアにおけるものと同じ数々の対決へと、大陸規模で向かって進み、その上、ブルジョワジーの最も無責任な部分、或いはそうでなければ地方のマフィアの手中に、何万もの核弾頭が委ねられかねないのである。 

そして遂に、旧西側ブロックの列強諸国は、自らをばらばらに引き裂き合い始める。ドイツのブルジョワジーが、オーストリアのブルジョワジーを共犯に、ユーゴスラヴィアにおける戦火に油を注いだのを我々が目撃することができた事情はこの通りであった。欧米のその他の国々のブルジョワジーがユーゴスラヴィアの統一の維持に賭けようとしていた一方、彼らは、スロヴェニアとクロアチアの独立運動を強調することによって、ユーゴスラヴィアの状況をより一層煽りたてたのである。昨日の同盟国家間において、つまりUSSRの崩壊とそれに伴う軍事力の崩壊によってそれ以降もはや強固に団結する必要がなくなった国々の間において、帝国主義的対立、つまりごく僅かな経済的・政治的・軍事的影響圏を求める貪るような捜索は、ますます激化する一方の欲望の渦巻く戦場へと帰着するのみである。まさしくこの為に、結局のところ、アメリカはイラクへあれほどまでの破壊を科したのである。イラクは、唯一の狙いとなるには程遠かった。打倒された国の軍事力とは全く比較不可能なレベルであるアメリカの軍事力の誇示、最も洗練され、最も殺戮的な武器の数々の猥褻で見本市的な公開は、イラクに対してのみ向けられたものなどではなく、イラクを離れ、それ以外の、つまりイラクを真似ようとする、イラクの中景の他の国々に対してまで向けられたものである。要するに、アメリカが根本的に自らの「メッセージ」を向けていたのは、彼ら自身の「同盟国」、即ち彼らが戦争に引きずり込んだ国々(例えばフランス、イタリア、スペイン等の国々)、或いはその経費の負担を余儀なくされた国々(日本やドイツ等の国々)に対してなのであった。それはつまり、こういうメッセージである:「世界秩序」を敢えて震撼させようなどとする者、現在の力関係を根底から改めて問い質そうなどと思いつく者、つまりは世界最強国の最上権に対し異議を唱えようとせんあらゆる者達よ、気をつけろ。

このようにして、「世界秩序」、「平和」、国家間「協力」、及び最も不利な立場に置かれた国民への「連帯」、「公平」等に関する大演説の背後における欲望の渦巻く場として現れる世界は、「各人が己の為に」、を発展させ、帝国主義的対立の激化、万人の万人に対する戦争、経済戦争、そしてますますの武力戦争を発展させる。世界に既に現存し、しかも悪化する一方のこの流血の混沌に面し、「世界秩序」の維持が意味するものは、軍事力の更に頻繁で更に乱暴な使用でしかない。それは帝国主義列強諸国による数々の殺戮の猛威を意味し、それはまず第一に輝かしき「民主主義」の灯台国、世界警官であるアメリカによって行なわれるのである。 

結局のところ、我々が現在目撃しているこの混沌の発達;数々の戦争・紛争の勃発、血みどろの民族間対決への国全体の没入、不条理かつ残忍な殺戮等の全ては、今日の世界が、未だかつて経験したことのない未曾有の大混乱によって支配された、歴史上の新時代へと急激に移行したことを我々に示している。

とりわけ「民主主義」ブルジョワジーは、彼らが「共産主義」として呈示するスターリニズム諸体制の不意の崩壊は、これらの体制が陥った袋小路と彼らの経済の決定的破綻の結果、唯一の結果であると我々に信じさせようとしている。 

またもやブルジョワジーの欺瞞である!

国家の資本主義のスターリン主義的形態が、世界の経済危機に面してとりわけ無分別で、脆く、備えが不十分であったことは真実である。しかしながら、1989年秋の数週間における帝国主義ブロック全体の爆発、そしてそのブロックのリーダー国、まだ2年足らず前までは世界の第二最強国であったUSSRの同様に唐突な今日の崩壊という、これほどの歴史的な重大事件が明らかにしているのは、スターリン主義体制のみではなく、それ以上にとりわけ資本主義システム全体が達した腐敗の段階なのである 

今世紀初頭より世界が経験してきたような資本主義の衰退は、今から、人間の歴史上最も悲劇的な時代としてその姿を現すことになる。

かつて人間社会がこれら両世界大戦がもたらしたほどの大殺戮を経験したことはなかった。科学の進歩がこれほどまでの規模の破壊と殺戮、人間の不幸を生じさせる為に使用されたことはかつて一度もなかった。これほどまでに富の蓄積が、何十年も前から第三世界で猛威を振るってきた、これほどまでの飢饉や苦痛に近接し、又その原因となった事はかつてなかった。にも関らず、人類はまだどん底に達してしまってはいないようである。この資本主義の衰退が意味するものは、この制度の終焉である。しかし、この終焉自身は一つの歴史を有する:今日、我々はその最終段階、つまり社会の全体的分解、この制度の立ち腐れへと達したのである。