ICC: 国際共産主義潮流・綱領

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序文

この文書はCCI:国際共産主義潮流によって推敲された3つの文書を再編集したものである。それぞれ書かれた時期は異なるが、CCIの綱領的立場と、CCI組織の一般的見地を統合する点で一致している。これら文書の趣旨を理解する為に、CCIの歴史に関するいくつかの要素について、ここに述べておくことが役に立つかと思われる。

CCIは1975年1月、1960年代末期の労働者階級の歴史的再生に続き出現した、異なった諸政治グループによって結成された。その再生において、特に際立っていたものは、1968年5月・フランスののゼネスト、1969年・アルゼンチンの「コルドバソ」、同年・イタリアの「熱い秋」、1970-1971年冬期にわたったポーランド・バルト海沿岸の労働者ストライキ等である。これらプロレタリアの世界規模の覚醒は40年余にわたる反革命期にピリオドを打ち、資本主義危機の悪化と共にますます激しさを増した、又その危機をしてこの覚醒を引き起こされた、階級闘争の時期到来を示したのであった。

新しいグループの出現は、多少なり非公式化、あるいは組織化されていたとは言え、プロレタリア階級の立場を自分のものとしようと試むことで、反革命時代の終わりと階級対決時代到来を告げる最も重要な表明のひとつを構成した。しかしながら、その諸グループが各々の責任を果たすためには、1920年代の衰退時のインターナショナル共産主義から分離した、歴代の共産主義諸分派に政治的に再結束する必要性を理解すると同様、彼らを生み出した歴史的新時代について理解しなければならなかった。CCIを構成しようとしていた諸グループは、その理解に達したのであった。その基本方針は、1964年・ベネズエラにおけるグループ”インターナショナリズム:Internacionalismo”設立の基盤でもあった、フランス左翼共産党(1945年-1952年間にレビュー:「インターナショナリズム(国際主義)」発行)の経験と立場とに基づいていた。

1968年6月ゼネストの直後に、フランスでは、インターナショナリズムと立場を同じくするグループ、”Révolution Internationale:(国際的革命)”が設立された。そして、綱領的立場に関するあらゆる諸議論に次いで、同じく68年の結果として形成された他の2グループと共に、将来のCCIフランス部門設立を目的として、1972年再結成された。それら諸議論は他国で出現した様々なグループにまで及んだ。特に、イギリスの”World Revolution (世界革命)”、アメリカの”Internationalism (国際主義)”、イタリアの”Rivoluzione Internazionale (国際的革命)”スペインの”Accion Proletaria (アクション・プロレタリア)”等にまで拡げられたのであった。最終的に、綱領が極めて近いこれら6つのグループが、一つのまとまった組織の創設を決定し、1975年1月に開催された会議において、CCI:国際共産主義潮流が誕生したのである。

この新たな国際組織が自らに課した任務の一つは、階級の立場の総合化と、7年にわたる階級における討論、考察及び介入後に諸活動家が達した明晰さのレベルを表明化することよって、一つの政治綱領を練りあげることであった。この綱領は1976年1月、CCIの第一回会議にて採択され、以降、組織への新加入時の基本を成した。次に続く文書こそが、まさにその綱領である(1979年、1987年及び2001年の第3回、第7回及び第14回CCI会議の際に採択された修正を含む)。綱領的性質をもつこの文書は、編集された時の時代背景や、今日過去形で書かれるべきいくつかの表明について述べてある序文を別にして(幾つかの注を併記することが有益であると判断されたのはその為である)、現在の全ての歴史的時代の労働者運動について有効なものであり続ける。この歴史的時代は、資本主義の衰退期突入によって、又1917年10月の初のプロレタリア革命の歴史的勝利、及び国際的孤立によるその退廃によって幕開けされたのである。CCI第一回会議が、同時にもう一つ別の文書:「CCIの宣言書」を採択する必要性を認めたのはその為である。綱領に次き記載するこのマニフェストは、60年代末期の世界的プロレタリアの覚醒によって開幕した歴史的新段階を説明したものである。

今日20年余りの時を経たこの文書は、新時代の人々にあまりよく知られていない諸事実に参照している。その為、綱領のみでなく、より詳細な幾つかの注釈を併せて掲載することが有益に思われると判断された。ロシア支配下のブロック一帯及びヨーロッパの通称「社会主義」制度諸国の崩壊という重要事件の発生した各80年代末期以降に関しては、特にそれらが有益かと思われる。

CCIに、その第9回会議において、新たな文書の採択を決断させたのは、まさにこの重要な歴史的事件である。前記2文書に続き、この文書:「共産主義革命か、人類の破壊か」と題された宣言を記載する。

この第9回CCI会議の宣言は、従って、1991年夏に採択された。資本主義制度の全面的崩壊:東側のブロックとスターリン主義体制との崩壊によって始まった、世界的新状況についてのCCIの分析を発展させたものである。その2年後には、湾岸戦争勃発と西側のブロックの解体が続いたこの歴史的事件は、資本主義の歴史における新たな時代の到来をもたらした。すなわち、その衰退の究極段階における、ブルジョワ的生産方法の陥落、崩壊の時代の幕開けである。その意味において、この最後の文書は前記の2文書を補完し、今日的観点を与えている。

今日の歴史的状況に課せられ、賭けられたものの重大さに向かい、自らの責任を全うし得る為には、革命的諸組織は諸事実を聞き入れる必要がある。そして、自らの分析を歴史の進化に適用させなければならない。マルクス主義は教義でも、不変の立場の上に凝結した理論でもなく、反対に、生きた理論なのである。解放を目指すプロレタリア闘争の有効な武器となるには、マルクス主義の理論及び方法は常に歴史的現実に直面する必要がある。この必要性に対して、労働者運動の経験によって永遠に決断を下されてきた共産主義の政治的立場を再度明確にすると共に答えること、それがまさにCCIの本文書の目的とする所である。

前書

CCI: 国際共産主義潮流・綱領 

(第一回会議にて採択)

 

歴史が知る上で最も長く深刻な反革命の後、プロレタリアは階級闘争の道を徐々に再発見しつつある。1960年代半ばより発達したシステムの鋭い危機の結果として、同時に、先代の労働者たちよりもはるかに労働者階級の過去の敗北の重みに押しつぶされていない、新世代の労働者たちの出現の結果として、これらの闘争は今や既に、現在に至る道の中でも最もその拡張を見せている。1968年・フランスにおける蜂起以来、イタリアからドイツまで、英国からポーランドまで、スウェーデンからエジプトまで、中国からポルトガルまで、米国からインドまで、日本からスペインまで、労働者闘争は再び、資本主義階級にとっての悪夢となった。

プロレタリアの歴史的舞台上への再出現は、反革命によって作られ又は許されたあらゆるイデオロギーに対し、決定的にその非を明らかにした。プロレタリアが隷属させられ、革命の主題そのものであるプロレタリアの性質の否定を服従させていた反革命に、最終有罪判決を下したのである。現在の階級闘争の再開は、プロレタリアが我々の時代における唯一の革命的階級であることの、堂々たる証明である。

革命的階級とは、その社会への支配が、今や時代遅れとなった旧生産関係を破壊することにより、生産力発達レベルによって必要となった、新たな生産関係の構築・拡大に一致する、全ての階級である。資本主義は、それに先行した様々な他の生産様式と同様、社会の発展における特殊な一段階に相当する。この一段階の前進的形態である資本主義は、その歴史におけるある一時期、その一般化によって、自らの消滅へ向けての諸条件を作った。労働者階級は、資本主義的生産過程上に特殊な位置を占め、生まれつき社会的富の要の集団的生産者であり、自らが動かす生産手段のいかなる所有権をも剥奪されていた。従って、労働者階級は資本主義社会維持に結びつけるいかなる利益をも有さなかった。これらの事実は労働者階級が、主観的及び客観的に、資本主義の後を継ぐ新たな生産方法を設立することのできる、唯一の階級であることの証である。資本主義の後を継ぐもの、即ちそれが共産主義である。現在のプロレタリア闘争の再生起は、共産主義的視野の歴史的必要性を新たに示すと共に、それが一可能性となったことを示している。

しかしながら、プロレタリアが資本主義に対向し勝利を収める手段を手に入れる為には、未だ厖大な努力を必要とする。この努力の結実であり積極要因でもある革命的諸潮流や諸構成員は、プロレタリア再生起当初より出現し、この闘いの発展と結末とに対し、大いなる責任を担っている。この重大な責任を全うする為に、革命的諸潮流や諸分子は、プロレタリアの相次ぐ経験によって決定的方法で決断を下されてきた階級の立場を基礎とし、組織化し、あらゆる活動及び介入をそのプロレタリアの只中において導かなければならない。

資本主義転覆と共産主義樹立の為の歴史的闘争の手段及び目的が引き出されるのは、階級自らの理論的・実際的経験を通してこそ可能となる。資本主義の始り以来、プロレタリアの活動は、自らの経験を通した、階級利益の自覚と、支配階級の思想影響力及びブルジョワ的イデオロギーの欺瞞からの解放への、不断の努力を目指してきた。このプロレタリアの努力は、最初の秘密結社から、第三インターナショナル時に分離した左分派に至るまで、途切れることなく拡大し続けた労働者運動の継続性によってその痕跡をとどめている。

自らの立場や行動方法を隠匿することが可能であり得たブルジョア的イデオロギーの圧力によるあらゆる錯誤や表現にも関らず、数々の異なる諸組織は、相次ぎ、プロレタリア闘争の歴史的継続性の鎖にとってその分かけがえのない環を形成していった。それら諸組織が敗北や内部堕落に屈しようとも、この闘争に対する彼らの根本的貢献からなにものをも奪うことはできない。更に、半世紀にわたる反革命と労働者運動の断絶以後、今日プロレタリアの全体的奪回の表明として再建している諸革命家組織は、断固としてこの歴史的継続性を継がなくてはならない。現在及び将来の階級闘争が過去の経験から学び取った教訓で完全武装することができるよう、それら部分的敗北の道程が無駄なものではなく、最終的勝利への約束の道程となるように。

国際共産主義潮流は共産主義同盟、第一・第二・第三インターナショナル、第三インターナショナル時に分離した左分派:その内特にドイツ左翼、オランダ左翼及びイタリア左翼より相次ぎ成された貢献を受け継ぎ、自らの主張を依拠する。これらの本質的貢献によってこそ、階級の立場全体を調和のとれた総合的視野へと同化させることが可能なのであり、それが本綱領の示すところである。

 

1.共産主義革命の理論

マルクス主義はプロレタリア闘争の基本的な理論的獲得物である。プロレタリアのあらゆる獲得物が一貫した全体に同化するのは、この基本の上に則ることにより可能となる。

マルクス主義は、歴史の歩みを、階級闘争の発達によって、つまり生産力発達の為に定められた枠組み内における経済的利益擁護に基づいた闘争の発達によって説明し、資本主義を廃止する革命の張本人となる階級をプロレタリアの中に再確認することにより、この階級の見地に実際的に立った世界唯一の概念である。故に、マルクス主義は、世界に対する抽象的思弁を成すこと等からは程遠く、何よりもまず階級闘争の武器なのである。プロレタリアは、その解放が必然的に全人類の解放に結びつき、その社会支配が搾取の新しい形態となるのではなくあらゆる搾取の廃絶を前提とする、歴史上最初で唯一の階級である。それ故に、種々の欺瞞や偏見抜きに、社会の現実の客観的・科学的理解を唯一可能とするのが、マルクス主義なのである。

その結果、マルクス主義は、体制や閉鎖的な学説集団ではないどころか、反対に、階級闘争との生きた直接的な結びつきを保つ継続的推敲状態にある理論である。又、先行した階級生活の理論的表明の恩恵に浴していたにも関らず、その礎が壊された時以来、その只中とそれ以降における革命的理論の発展を可能とする唯一の枠組みとなっているのである。

2.共産主義革命の条件

あらゆる社会革命は、それにより新しい生産関係を担う階級が、社会における政治的支配を打ち立てる行為を意味する。プロレタリア革命もこの前提を逃れないが、その諸条件及びその内容は、過去の諸革命と根本的に異なる。

過去の諸革命は、欠乏によって支配された二種の生産方法の移行点に位置していた為、ある搾取階級による支配を、別の搾取階級の支配に取り替えることをその役割としていた:ある所有形態を別の所有形態によって、ある特権の型を別の特権の型によって取り替えることによって、その事実は表現された。

プロレタリアの革命は、これとは逆に、欠乏に基づいた生産関係を、豊富に基づいた生産関係に取って代わらせることを目的としている。プロレタリア革命が、あらゆる形態の所有、特権及び搾取の終焉を意味するのはその為である。

この違いは、プロレタリア革命に以下に記すような特徴を与える。労働者階級は、その成功条件として、下記の事項を理解・習得する義務がある。

a) プロレタリア革命は、世界的特徴を有する初の革命形態であり、世界各国に一般化させることなしにその目的を達することはできない。なぜなら、私有の廃止と共に、それに連結する地区・地域・国家という枠組み全体の廃止が必要だからである。世界規模の資本主義支配の一般化が、この必要性が一つの可能性でもあることを示している。

b)革命的階級は、歴史上初めて、同時に、旧体制の被搾取階級でもある。この事実から、政治権力掌握において、この階級がいかなる経済力をも拠り所としないことがわかる。それとは正反対に、過去において優先的であったものと対照を成すことに、プロレタリアによる政治権力の掌握は、旧生産関係の支配が新生産関係の支配のために破壊されるという過渡期に、必然的に先行する。

c)社会の一階級が、初めて、被搾取階級であると同時に革命的階級であるという事実は、被搾取階級としての闘争がいかなる時も革命的階級の闘争と分離されたり相反することが不可能なことを意味する。反対に、マルクス主義が当初よりプルードン主義的小ブルジョワ的理論に反する主張を掲げていたように、革命的闘争の発達は、被搾取階級としてのプロレタリア闘争の徹底化及びその一般化とに条件づけられる。

3.資本主義の衰退

プロレタリア革命が単なる望みや潜在性、歴史的視野という段階を超え、具体的可能性の段階へ到着するには、プロレタリア革命が人類の発達における客観的必要性とならなければならない。第一次世界大戦以降優勢なのは、まさにこの歴史的状況である:この大戦の日付以来、16世紀に始り19世紀末期においてその絶頂を極めた資本主義的生産方法の上昇段階は、その幕を閉じた。次いで幕開けた新段階とは、資本主義自身の衰退であった。

過去のあらゆる社会においてと同様、資本主義の第一段階は、資本主義が具現する生産関係の歴史的必要性の特徴を表していた。すなわち、社会の生産力成熟にとっての必要不可欠な性質である。これとは逆に、その第二段階は、生産関係が、その発達と共にどんどん重みを増していく足かせへと変形していく様を表していた。

資本主義の衰退は、この生産方法に本質的に属する内部矛盾の発達の結果であり、それは次のように定義することが出来る:

大抵の社会には商品が存在するものであるが、資本主義経済とはまず第一に商品生産をその根本的礎とする。よって、常時拡大する市場の存在が、資本主義発展において欠かせない本質的条件の一つである。特に、労働者階級の搾取により生じる剰余価値の達成は、資本の流動において必要不可欠な原動力である資本蓄積にとって、なくてはならないものである。ところで、資本崇拝者の主張と相反することに、資本主義的生産は、その成長に必要な市場を自動的・恣意的に創造することはできない。資本主義は非資本主義世界で発達し、自身の発達に必要な商品の捌け口となる市場を見つけるのは、その非資本主義世界においてなのである。しかしながら、地球全体にその生産関係を一般化させ、世界市場を統一させることによって、19世紀にはその強力な拡大を可能にしたその捌け口は飽和状態となり、資本主義は危機的段階に達した。資本が剰余価値を達成できる市場を見つける困難さが増大する一方、それに加えて、その増大する困難は、利潤率低下の傾向を強化する。何故なら労働力の価値に対する生産方法の価値の継続的増加は、資本の利潤率に影響するからである。偏向的に始り、この利潤率の低下は更に実際的となり、その分資本蓄積の過程へ、つまりは制度の歯車全体の機能へ、ますます足枷をはめることとなった。

人類の発達にとっての大いなる飛躍をさせることによって、商品取引を統一化・普遍化した後、資本主義はこうして、取引に基づいた生産関係の消失を、喫緊の問題にした。しかしながら、プロレタリアがこの消失を命じる手段を与えられていない限り、この生産関係は維持され、人類をさらに極端な矛盾の中へ導くばかりである。

資本主義的生産方法の矛盾を示す特徴的表明である過剰生産の危機は、過去にはすこぶる健康なシステムの心臓の鼓動として、市場拡大における各段階間の安定段階を成していた。しかしその危機は、今日において永続的となった。実際に、生産装置の能力が過小利用され、人類の人口増加のリズムに合わせたとしても、資本がその支配を拡大することが実現不可能になったという事実は、不変的なものとなった。今日資本主義が世界に拡大することができる唯一のもの、それは第三世界の国々によっては既に周知の、絶対的な人類の惨禍である。

これら諸条件下において、資本主義国家間競争は、ますます苛酷化せざるを得ない。帝国主義は、大小に関らず全ての国家が、自らの生残りをかけて強いられた政治であり、1914年以来、人類を苛酷なサイクルに陥れた。この恐慌-戦争-復興-新たな恐慌、という苛酷なサイクルにおいて、軍備生産は日毎に巨大化し、ついには科学の実証及び生産力応用の唯一の場となっていくのである。この資本主義の衰退において、人類は、永続的な破壊と自己切断の基礎に上に生きのびることしかできない。

この資本主義の衰退において、後進国における生理的窮乏に加え、社会の一員同志の関係には、かつて達したことのない程の極端な非人間化が現れる。それは、資本主義がますます殺戮的な戦争と、ますます徹底的・合理的・科学的な搾取以外の、人類にもたらす将来的展望の完全なる欠如に基づいている。そこから生じるのは、あらゆる衰退化の社会においてと同様、社会制度、支配的イデオロギー、道徳観全体、芸術の形態、その他あらゆる資本主義的文化表明の、ますますの崩壊及び腐敗である。ファシズムやスターリン主義といった緒イデオロギーの発達は、革命的代案勝利の不在における、野蛮さの発展的勝利を示している。

4.国家の資本主義

あらゆる衰退期において、システムの矛盾激化に直面し、社会集団の統合と支配階級の関係保護を保障する国家は、社会生活全体をその構造内に取り込むまで、自らを強化することを目指す。帝国行政及び絶対君主制の肥大は、ローマ奴隷制度擁護社会及び封建制度社会の衰退における、この現象の表明であった。

資本主義衰退期において、国家の資本主義に向かう一般的傾向は、社会生活の最も支配的特徴の一つである。この時期、各国家資本は、強力な発展への基盤を全て奪い取られ、苛酷な帝国主義的競争を余儀なくされる。各国家資本は、対外的には軍事的・経済的ライバルに対向する為、対内的には増大する社会矛盾の激化に直面する為に、できるだけ効果的な方法で自らを組織化することを強いられる。この事態に課された任務の実現を可能にする、社会に存在する唯一の権力が、国家である。

事実、国家のみが以下の事項を可能とする:

経済的観点からは、未だかつて完全には達成されていない国家の資本主義への傾向は、生産装置の全ての梃が、国家の手に譲り渡されることによって表される。それは、資本主義的経済の基本的特徴である価値法則、競争、生産の無政府性の消失を意味しているのではない。市場の法則が、各国の国家経済内の生産条件を、例えその国家経済が国家管理であろうと、支配・決定し続けている場において、それら諸特徴は世界的規模で適用され続けている。この枠組内で、もし価値・競争法則が「違反」されているように見られるとすれば、それは他でもなくそれらの法則をよりよく適用させることが目的だからである。生産の無政府性が、もし国家管理経済計画に対し逆流しているように見えるとすれば、それはとりわけ国家の資本主義が予測不可能な体制の重大危機事態に面した際、世界的規模においてその分ますます強烈に再出現する。従って、資本主義の「合理化」の構築からは程遠く、その国家管理は、自らの腐敗の表明の他ならない。

この国家管理は、漸進的方法或いは急進的方法によって行なわれる。前者は、「私有」資本と国家資本との融合によって行なわれ、とりわけ最発展諸国でのケースがこれに該当する。後者は、全体的・大量の国有化という形態への唐突な跳躍によって行なわれ、私有資本が最も弱い国々でのケースがこれに該当する。

実際に、国家の資本主義への傾向が世界各国で見られる一方、その衰退の効果が絶大なる暴力と共に表面化する時と場において、その傾向はさらに明白な事実と共に加速し、爆発することになる:その時と場とは即ち、歴史的には明らかな経済恐慌時や戦争時、地理的には経済最弱地域を指す。しかながら、国家の資本主義は後進国諸国においてにのみ特有の現象ではない。その逆に、後進国での資本主義における国家管理形式のレベルがしばしばより高度なものであるのに関らず、国家による経済生活の真の掌握は、一般に最発展諸国において更に効果的である。それは、それら最発展諸国を支配する資本の集中レベルが更に高いことから生じる為である。

政治的・社会的観点からは、国家の資本主義への傾向は、ファシズムやスターリン主義といった全体主義の最も極端な形態、或いは民主主義的仮面を被った形態の下、国家装置、及び何より行政部が、社会生活のあらゆる側面に対し、ますます強力で偏在的・徹底的な管理を行使するという事実によって表されている。ローマ期や封建制度の衰退期のスケールををはるかに上回るスケールにおいて、資本主義衰退の国家は、このような巨大な機械となった。冷酷無人なこの機械は、市民社会の本質自体を消耗し尽くすことによって止まったのである。

5.いわゆる「社会主義」諸国

資本を国家の手に譲り渡すことによって、国家の資本主義はある幻想を生み出した。生産手段の私的所有の消失と、ブルジョワ階級の排除、という幻想である。「一国社会主義」の可能性を説くスターリン主義の理論は、いわゆる「共産主義」、「社会主義」を名乗る、または今後名乗らんとする国々の嘘と同様、この欺瞞的外見をその基盤としている。

国家の資本主義への傾向によって引き起こされた緒変化は、生産関係の実質的レベルにではなく、私有形態の法的レベルに位置付けられるものである。それらの変化は生産手段の私的所有の実質的特徴を除去するのではなく、個人所有に対する法律的側面を除去するのである。労働者は生産手段の使用に対するいかなる実際的支配力をもつことも許されず、生産手段とは完全に分離されたままでいる。生産手段は、それを所有し集合的に管理する官僚にとってのみ、「共有化」されるのである。

国家管理の官僚体制は、プロレタリアの過剰労働の成果の強奪と、国家資本蓄積という特殊な経済的任務を担い、一つの階級を形成する。しかしながら、この階級は新たな階級ではない。その役割において、国家管理という形式の中における、単なる古いブルジョワジーと何ら変わりはないのである。その階級の特権のレベルにおいてブルジョワジーと区別されるのは、その特権の重要性ではなく、官僚が特権を保持する方法にある: 資本の分け前の個人的所有による利益配当という形態の下報酬を受け取る代わりに、官僚は、各々が担う役割故に発生する報酬を受け取るのである。すなわち、「職務経費」、「賞与」、或いは「給与」的外見の固定報酬といった形態の下、報酬を受け取り、その総額は、しばしば労働者一人当たりの所得に対し数十倍、数百倍を上回る。

国家とその官僚体制による中央集権と資本主義的生産計画は、資本主義的生産の廃止へ向けた一歩となるには程遠く、資本主義的生産を更に効果的なものとする為の一手段以外の何物でもない。

経済状況において、ロシアは、プロレタリアが政治権力を掌握したごく僅かの期間においてでさえ、資本主義から完全に解放されることはできなかった。国家の資本主義形態があれほど発達した方法で直ちに現れたとすれば、それは第一次世界大戦における敗北と、それに次ぐ内戦によってもたらされた経済的混乱が、資本主義衰退の枠組内における国家資本の生残りにとって、最困難をもたらしたからである。

ロシアにおける反革命の勝利は、国家経済再編成の兆候の下、国家の資本主義が最も達成された形態と共に形成され、その形態は皮肉にもその状況において、「10月継続」、又は「社会主義構築」というものによって示された。この例は他国においても再現された:中国、東欧諸国、キューバ、北朝鮮民主主義共和国、インドネシア等においてである。しかしながら、プロレタリア的なものが存在せず、共産主義的なものと言えばさらに皆無であるこれらの国々においては、歴史上最大の嘘の一つとして常に残り続けるであらん重圧の下、最も退廃的形態の資本独裁が支配しているのである。これらの国々に対するあらゆる擁護は、例えそれが「批判的」又は「条件付」であろうと、完全なる反革命の一行動である。 (注1)

(注1)東側のブロック及びスターリン主義緒政体の解体は、これらいわゆる<社会主義>諸国によるこの欺瞞を一掃した。この欺瞞は、半世紀以上にわたる、歴史上最も熾烈な反革命の尖鋭部隊であった。にも関らず、「民主主義的」ブルジョワジーは、この解体を<共産主義の破綻>と称し反復するキャンペーンを猛威的に繰り広げることによって、この歴史上最大の嘘を永続させることを止めない:すなわち、スターリン主義と、共産主義との同一視である。かつて通称<社会主義>諸国を{批判的方法をもってしてであれ}支援した資本の左翼及び極左翼の緒政党は、今日、世界的状況によってもたらされた新たなテーマに適応することを強いられている。プロレタリアを欺き統率し続けることができるように、彼らは、自らの過去を歪曲する行為であることを覚悟の上で、自分達のスターリン主義支持を忘れさせようと努めるのである。

6.衰退した資本主義におけるプロレタリア闘争

その起源より、自らの利益擁護を目的とするプロレタリア闘争は、資本の破壊と共産主義社会への到達という展望をその内に宿している。

しかしプロレタリアは、神がかった霊感などによって導かれた理想主義によって、その闘いの究極目的を追求するわけではない。プロレタリアが自らの共産主義的諸任務に取り組むよう向かわせられるとすれば、それはプロレタリアの物質的条件が、プロレタリアに即時の闘争を展開することを余儀なくさせるからであり、あらゆるその他の形態の闘争は同一の惨事へと帰着するからである。

ブルジョワジーが、資本主義の上昇期中に行なわれた、全世界における富の巨大な拡大のおかげで、プロレタリアの条件の改革への同意に達し得る限り、労働者闘争はその革命的攻略実現に必要な客観的条件を見出すことはできない。

ブルジョワ的革命以来、プロレタリアの最も急進的傾向によって主張された革命的・共産主義的意志にも関らず、労働者の闘争はこの歴史上の一時期、改革のための闘争のみに閉じ込められる形に陥った。

議会制度及び労働組合運動を通して、政治的・経済的改革を勝取る為に、自らの再組織化を学ぶことは、19世紀末のプロレタリア運動にとって、本質的中軸のひとつとなった。このようにして、真正労働者組織の中に、「改良主義者」(あらゆる労働者闘争は、改革のみをその目的としなければならないと考える者)と、革命家(改革のための諸闘争は一段階でしかなく、革命的闘争へ導く過渡期における一時期でしかないと考える者)が、並んで見受けられるのである。

同様に、この時期において、プロレタリアがブルジョワジーのある諸分派を、他の更に反動的であった諸分派に対し、支持していたことが見られた。その支持は、プロレタリアにとって有利な社会改築を課する為であり、それは客観的には生産力発達に拍車をかけることに相当した。

これら諸条件の全ては、衰退的資本主義において根本的に変貌する。莫大な既存国家資本をその内に収容するには、世界は余りにも狭すぎるようになった。各国において、資本は生産性向上、すなわち労働者の搾取を、その最極限に至るまで強制されるのである。

プロレタリアの搾取組織は、単なる労使関係間の問題ではなくなり、国家とその幾千もの歯車との間の問題となる。これらの歯車は、プロレタリアを枠組に入れ、管理し、あらゆる革命的危険を常に排斥し、狡猾且徹底的な抑圧に服従させる為に新たに作り出されたのである。

第一次世界大戦以降、永続的現象となったインフレーションは、あらゆる「賃上げ」を蝕む。勤務時間数は滞るばかりであり、減少を見せるとすれば、それは通勤時間増を埋め合わせる為、もしくは、絶え間なく加速する生活・労働リズムに服従する労働者の、完全な神経破壊を避ける為にのみである。

改革のための闘争は、甚だしいユートピアとなった。労働者階級は結局のところ、資本に対し、決死の闘いを挑むことしかできない。労働者階級に残された他の選択肢とはもはや、潰され枠組に囲まれた何百万という個人の総計の一つとして細分化されることを受け入れること、もしくは国家そのものに対向し闘うことしか存在しない:それには、闘争を最も拡張した方法で一般化し、労働者階級が純粋に経済的枠組の中、或いは工場や職業といったローカリズムの中に閉じ込められるままになることを拒否し、自らの権力機関の萌芽をその組織形態として自らに与えることが必要である。:すなわちそれが、労働者評議会である。

これら歴史的新条件の下、プロレタリアの旧式の武器の多くが、その効力を失った。その武器の使用を強く勧める政治諸潮流は、プロレタリアを搾取に更に隷属させ、あらゆる闘いの意志をよりよく粉砕することしかしない。

19世紀の労働者運動によってなされた最大政策・最小政策の区別は、そのあらゆる意味を失った。可能な最小政策はもはや存在しない。プロレタリアは、自らの闘争を最大政策の見地にのっとらせることによってのみ、それを発展させることができる。そしてその最大政策が、共産主義革命である。

7.労働組合:昨日のプロレタリア機関、今日の資本主義的道具

19世紀の資本主義最盛期において、労働者階級は、しばしば血戦・激戦の代償に、自らの経済的利益擁護の保障を目指した、永続的・専門的組織を設立した。:これが労働組合である。これらの機関は、改革のための闘争と、体制がまだ与えることの出来ていた労働者の生活条件の実質的向上のための闘争において、基本的な役割を担った。同時に、階級の再団結を可能にする場を設立することで、その連帯感及び階級意識を発達させる場、「共産主義の学校」と成す為に諸革命家が積極的に介入することのできる場が設けられた。従って、その存在が賃金労働制の存在と密接な方法で結びついていたという事実や、既にこの時期よりしばしば著しく官僚体制化していったという事実にも関らず、これら諸機関は、賃金労働制の廃止が当時の時事問題ではなかった限りにおいて、階級機関としての真正さにおいて劣るところはなかった。

衰退期に入り、資本主義は、労働者階級の有利になる向上や改革に、同意することができなくなる。プロレタリアの利益の有効な防御者としての第一の機能を全うするあらゆる可能性を失い、又賃金労働制の廃止のみが、つまり自らの消失が喫緊の問題となった歴史的状況に直面して、労働組合は自らの生残りの条件として、資本主義の真正なる防御者となった。労働者階級内における、ブルジョワ国家の代理店と成り果てたのである{この進化は、先の労働組合の官僚体制化や、衰退期における国家の、社会の全枠組を吸収しようとする仮借なき傾向によって、多大に助長された}。

労働組合の反労働者的役割が、初めて決定的な方法で表明されたのは、第一次世界大戦の只中であった。それは、社会民主諸政党の傍らで、帝国主義的殺戮への労働者の動員に参加した時である。戦争に次いで起こった革命の波の中で、労働組合は、プロレタリアによる資本主義破壊への試みに足枷をはめる為、あらゆる方法を尽くした。それ以来、労働組合がその生命を維持し続けているのは、労働者階級によってではなく、資本主義国家によってである。なぜなら、労働組合が国家のために、以下の大変重要な役割を果たすためである:

労働組合がそのプロレタリア的特徴を失った故、それは労働者階級によって「再獲得」されることも、革命的少数派の活動の場を形成することもできない。半世紀以上も前より、労働者は、資本主義国家機関に身も心も捧げたこれら組織の活動に参加することに対し、ますます少ない意義を見出してきた。彼らの生活条件の悪化に対する抵抗・戦いは、労働組合の外で、又は労働組合に反して、「山猫ストライキ」とい形態をとるに至った。ストライキ参加者の総会によって指揮され、ストライキが一般化された場合には、総会によって選出・また免職可能な代表による諸委員会が調整され、これらの闘争は即時に政治問題として自らを位置付けた。それは会社内における自分達の代表者という形態の下、国家と対決しなければならなかった為であり、その彼らの代表者という形態とは、すなわち労働組合であった。これらの闘争の一般化及び急進化のみが、労働者階級に、資本主義国家に対する公然で正面きった襲撃をしかけることを可能にする。ブルジョワ国家の破壊は、必然的に労働組合の破壊を含んでいるのである。

旧労働組合の反プロレタリア的特徴は、その組織の様式そのものや、産業的職業及び部門、或いは「出来の悪いリーダー」の存在等からもたらされたものではない。それは、現代において、プロレタリアの経済的利益を真に擁護する永続的機関の生命を維持する事が不可能であるという事実からもたらされたのである。その結果、これら機関の資本主義的特徴が、似通った役割を担ったあらゆる「新」諸組織にまで及び、それらが主張する組織的原型及び意図の如何に関らず、その資本主義的特徴に変わりはないのである。あらゆる諸機関(労働者委員会、労働者中核、労働者委任会等々)、「革命的労働組合」や「shopsteward(労組の職場代表)」についても同様のことが言える。彼らは例え労働組合に反対していても、闘争終了後も存続することができ、労働者の即時利益防御を担う「本物の中心」の形成を目指すとしても、この資本主義的特徴には変わりはない。この基本において、これら諸組織は、ブルジョワ国家装置の中への効果的同化の歯車装置から逃れることは出来ない。例えそれら機関が非公式・非合法なものであろうとも、結果は同様の事である。

労働組合的特徴をもった諸組織の、「利用」、「革新」、「奪回」を名打った政策は全て、大抵は労働者が既に離れた資本主義体制をその活性化へ仕向け、資本主義の生残りにとって極めて有利なものにしかならない。半世紀以上に及ぶ、一度たりとも否認されなかったこれら諸組織による反労働者的役割の経験の後、このような戦術を擁護する立場をとるものは全て、基本的に反プロレタリアである。

8.議会及び選挙の欺瞞

資本主義絶頂期において、議会は、ブルジョワジーの政治生活組織として最適な形態であった。ブルジョワジーに特有の体制故、議会は労働者階級の行動にとってひいきの場には絶対になり得ず、又、労働者階級がそれらの活動や選挙運動に参加することには、前世紀の諸革命家が常に告発してきた通りの、数々の重大な危険が秘められていた。それにも関らず、革命が時事問題ではなかった時期、プロレタリアが体制内から己の有利になる諸改革を勝ち取ることが出来ていた時期において、そのようなプロレタリアによる体制への参加は、これら改革の有利になるよう圧力をかけることを可能にすると同時に、選挙運動をプロレタリアの綱領に関する扇動とプロパガンダの手段として、議会をブルジョワ的政治の下劣さを告発する演壇の場として利用することを可能にした。19世紀全般を通し、普通選挙権の為の闘いが、多数の国々において、プロレタリアが集結した主要な場の一つであったのは、その為である。

その体制が衰退期に入ると、議会は改革の機関であることを止め、共産主義インターナショナル(第二回会議において)が述べたように、「政治生活の重心は、議会より、完全に且決定的に抜け出した」。議会が引き受け、その生命維持を説明する唯一の役割は、欺瞞という役割であった。それ以来、プロレタリアにとって、どのような方法をもってであれ、議会を利用するあらゆる可能性はなくなった。実際、あらゆる効果的な政治機能を失った機関を通して、不可能となった改革を勝ち取ることはできない。その基本的任務が、ブルジョワ国家体制全体の破壊、即ち議会の破壊に在る時、普通選挙という廃墟やその他ブルジョワ社会の遺跡の上に自らの独裁を樹立する義務がある時に、プロレタリアが議会・選挙制度に参加することは、その参加を勧める者達が主張する意図の如何に係らず、それら瀕死の体制に見せかけの息を吹き込むという結論に達するのみである。

選挙・議会への参加は現在、もはや前世紀に有し得たいかなる利点ももたらさない。逆に、参加にはあらゆる難点と危険とが孕まれている。それは特に、いわゆる「労働者」諸政党による議会の多数派獲得を通した、「社会主義への平和的・漸進的移行」の可能性に培った根強い幻想を維持する危険性である。

「革命的」委員が加わることになっていた、国会の「内部からの破壊」政策は、断定的な方法で、その政策を実行した政治組織の腐敗及びその組織の資本主義への吸収にしか帰着しないことを明らかにした。

扇動とプロパガンダの装置として選挙や議会を利用することは、結局はそれが本質的に専門家の仕事である限り、又それが大衆の活動自身にとって不利な諸政党間のゲームに特権を与える限りにおいて、ブルジョワ社会の政治図式を維持し、労働者の受動性を助長するに至るばかりである。即時の革命が不可能な時においてこのような支障が受け入れられるとすれば、その支障は、プロレタリアにとって歴史上の時事問題である唯一の任務がまさに、階級全体の積極的・自覚的参加を要求する、その旧秩序の転覆及び共産主義社会の設立にある時においては、決定的な足枷となる。

もし、その起源において、「革命的議会主義制」の戦術が何よりもまず、労働者階級とその諸組織の只中における過去の重みの表明であったとすれば、その戦略は、階級にとって惨憺たる結果をもたらした実践後、本質的にブルジョワ的政治であることが示された。

9.統一戦線主義、プロレタリア逸脱の戦略

資本主義衰退期において、プロレタリア革命のみが歴史における前進的一歩を踏み出すことができる時、革命的階級と支配階級の何らかの分派との間には、例えその主張が「進歩主義」、「民主主義」又は「人民的」等いかなるものであろうとも、一時的でさえ、いかなる共通任務も存在し得ない。資本主義上昇期とは反対に、その衰退期は事実上、いかなるブルジョワジー分派にも進歩主義的役割を演じることを許さない。特に、封建制度から相続した構造の名残に反し、前世紀において進歩主義政治形態を形成したブルジョワ的民主主義は、衰退期においてあらゆる現実的な政治内容を失った。ブルジョワ的民主主義は国家管理の全体主義の強化を偽る隠れ蓑としてのみ存続する。そして、全体主義の強化をを引き合いに出すブルジョワジーの諸分派もまた、その他のあらゆる諸分派と同様、反動的である。

事実、第一次世界大戦以来、「民主主義」はプロレタリアにとっての、最も致命的な阿片のひとつとしての姿を示した。この大戦後、ヨーロッパの数々の国々で諸革命が粉砕されたのは、まさにその名の下によってであった;民主主義の名の下、「ファシズム反対」の名の下に、数千万人ものプロレタリアが、帝国主義的第二次大戦へと動員されたのである。また同じくその名の下、今日では資本が、プロレタリア闘争をその正道から、「反ファシズム」、「反・反動」、「反抑圧」、「反全体主義」等々の同盟へと逸脱させようとしている。

プロレタリアが既に粉砕された後の時期に特定の産物であるファシズムは、全くもって今日現在における時事問題ではない。「ファシズムの危険」に関するあらゆるプロパガンダは完全なる欺瞞である。それに、ファシズムは抑圧の独占権を保持せず、もし民主的政治諸潮流や左翼政治諸潮流がファシズムを抑圧と同一視するとすれば、それは彼らが、彼ら自身がこの同じ抑圧の断固たる使用者であるという事実を隠蔽しようとしているからである。その抑圧の利用が余りにも断固たるものであるが故、階級の革命的運動粉砕の主要な責任は彼らにある。

「人民戦線」や「反ファシスト戦線」と同様、「統一戦線」の戦術は、プロレタリア闘争の逸脱にとって疑う余地のない手段であることが明らかになった。これらの戦術は、革命的諸組織に、いわゆる「労働者」諸政党との同盟の提案を命じ、これら諸政党を「進退窮まらせ」、彼らの正体を暴くことがその目的である。しかしこういった戦術は、結局のところ、これら諸政党のブルジョワ的な真の性質についての幻想を維持し、労働者に彼らとの断絶を遅らせる結果をもたらすのみである。

社会のあらゆる他階級に直面したプロレタリアの自主独立は、革命の目的へ向けた闘争成熟への第一条件である。あらゆる同盟、特にブルジョワジーの諸分派との同盟は、敵を前に自らを武装解除する結論にしか達しない。なぜならそれは、プロレタリアが自らの力を発達・強化することができる唯一の土俵をプロレタリアに放棄させることになるからである:その唯一の土俵、それはすなわち自らの階級の土俵である。プロレタリアをこの土俵から退却させようと試みる全ての政治潮流は、ブルジョワジーの利益の為に直接的に尽くしているのである。

10.民族解放の反革命的な神話

民族解放及び新国家建設は、かつて、一度としてプロレタリアに固有の任務ではなかった。従って、もし前世紀において諸革命家がこのような政策を支持する結果になったとすれば、それら政策の専らブルジョワジー的特徴についての幻想をもって支援したのでも、「民族自決権」の名の下に支援したのでもない。そのような支持は、資本主義上昇期において、国家が資本主義発達に適した枠組を代表していたという事実にその根拠を置く。又、その枠組のあらゆる新建設は、前資本主義的社会関係の強制的名残を排除することで、世界レベルの生産力増大へと前進する第一歩を形成していた。よって、それは社会主義への物質的条件の成熟への第一歩の形成であったのである。資本主義の衰退期突入に伴い、国家は、資本主義的生産関係の全体と同様、生産力の発達にとって狭すぎる枠組となった。今日、新国家の立法的設立は、最も古く、最も強い国々自身でさえ引き受けることのできなくなったほどの発達に対し、いかなる現実的前進をも可能にすることはできない。分割され、帝国主義的ブロックによって共有された今後の世界において、あらゆる「民族解放」の闘いは、何らかの前進運動と成ることからは程遠く、実際にはライバルのブロック間での継続的対決時に要約される。その対決時において、自由意志によって或いは力ずくで志願・召集されたプロレタリアと農民が、大砲の餌食として参加することのみが可能である。(注2)

このような闘いによっては、帝国主義をいかなりとも減退させることはできない。何故ならこれらの闘争は、その基本を改めて問題とはしないからである:その基本とはすなわち、資本主義的生産関係である。もしこれらの闘争が一つの帝国主義的ブロックを減退させることができるとすれば、それは別のブロックを更に強化する為であり、このようにして設立された国家はそれ自身が帝国主義になる。何故なら衰退期において、その大小に関らずあらゆる国は、このような帝国主義的政策を免れることはできないからである。

もし、現在の世界において「成功した民族解放」が渦中の国にとっての監督力の変化という意味しか持たないとすれば、それは大抵の場合労働者にとって、特に新「社会主義」諸国においては、国有資本による搾取の強化、体系化、及び軍制化として現れる。それは現制度の野蛮さの表明であり、「解放された」民族・国家を真の強制収容所に変える。これらの闘争は、ある者が主張するような、第三世界におけるプロレタリの階級闘争にとっての踏切台となるには程遠い。それら諸闘争は、「愛国的」欺瞞を撒き散らし、国家資本支持への加担を意味することにより、これらの国々でしばしば激戦となるプロレタリア闘争に、常にブレーキをかけさせ、正道から逸脱させる作用をもつ。半世紀以上も前より、歴史は、共産主義インターナショナルの断言に反し、「民族解放」の諸闘争が、先進国諸国のプロレタリアの階級闘争に、後進国諸国のプロレタリアの階級闘争にとってと同様、推進力を与えはしないことを十分に示した。どちらの国々においても、これらの闘争から何ものをも期待することは出来ず、いかなる「選択すべき陣営」を有することも出来ない。この対決において、諸革命家の唯一のスローガンは、「国家防衛」の近代版に反した、第一次世界大戦中諸革命家によって既に採用されたものにしかなり得ない;つまり、「革命的敗北主義;帝国主義戦争を内戦へ変えよ」というスローガンである。これらの闘争に対するあらゆる「無条件擁護」や「批判的支持」の立場は、それが意識的・無意識的に関らず、第一次世界大戦時の「社会的・盲目的愛国主義」の立場と類似している。従ってそれらの立場は、首尾一貫した共産主義活動とは完全に相容れないものなのである。

(注2)1980年代末の東のブロック崩壊及びそれに続いた欧米ブロックの解体以来、民族解放闘争は、欺瞞の構築を止めた。その欺瞞の裏では、資本の左翼分派と極左が、プロレタリア分派を、他の帝国主義陣営に対し、ある別の帝国主義陣営支持へと引きずり込もうと試みていた。にもかかわらず、資本主義の中心的国々において、「民族解放」の神話がロシア帝国主義ブロック崩壊に伴い消耗し尽くしてしまった一方、その神話は今も尚いくつかの第三世界地域においては常に根強い。それはいまだにこれらの国々のプロレタリアを、虐殺へ強制加担させることに役立つことができているのである(コーカサスの諸共和国や、イスラエルによる支配下の諸領土における状況等がその例である)。

11.自主管理、プロレタリアの自己搾取

現在の生産力にとって国家というものが狭すぎる枠組と成り果てたとすれば、その事実は、資本主義の一般法則に対しいかなる真の自立をも有したことのない企業というものにとって、更に真に迫っている。企業のこの一般法則及び国家に対する依存は、資本主義衰退において、ますます強くなる一方である。自主管理、すなわち資本主義であり続ける社会内における労働者の手による企業管理が、前世紀においてプルードン主義諸潮流によって強く勧められた時、既に小ブルジョワ的ユートピアであったとすれば、今日、それは全くの資本主義的欺瞞である以外の何物でもない:(注3)

実際、唯一世界規模における自らの独裁建設というレベルにおいてのみ、プロレタリアは生産管理を引き受けることができる。しかしそれが行なわれるのは資本主義の法則の枠組内ではなく、それら法則を破壊することによって可能となる。

自主管理を擁護するあらゆる政治的立場は、それが「プロレタリアの経験」或いは「労働者間の新関係設立」等いかなる名の下であろうと、事実上、資本主義的生産関係の客観的擁護に加わることである。


(注3)1974-75年のLIPの労働者による「自主管理」経験及びその敗北と共に絶頂点に達したこの欺瞞は、今日すっかり消耗し尽くされた。しかしながら、この欺瞞が将来アナーキズムの復活と共にある蘇生を成し遂げ得ることは、排除すべき可能性ではない。事実、スペインの1936年闘争の折、「革命的」経済手段として提唱された自主管理の神話を掲げる旗の旗頭となったのは、アナーキスト(無政府主義)及びアナルコ・サンディカリズム(無政府主義的労働組合組織)の諸潮流であった。

12.「細分化」された闘争、反動的袋小路

資本主義の衰退は、あらゆる道徳価値の崩壊とあらゆる人間関係における極度の堕落を強化させた。

しかしながら、プロレタリア革命が生活のあらゆる領域において新たな関係を発生させることが真実である一方、人種差別や女性の立場、公害やセクシュアリティー及びその他日常生活の諸側面という細分化された諸問題に関する特定の闘争を組織することによって、プロレタリア革命に貢献することができると信じることは誤りである。

体制の経済的基礎に対する闘争は、資本主義社会の上部構造の諸側面に対する闘争をその内に含んでいるが、その逆は非である。

「細分化」された諸闘争は、その内容自体からして、労働者階級にとって必要な自主独立を強化するには程遠く、それとは逆に、歴史を前にしては全く無力な特定或いは無脊椎のカテゴリー(人種、性別、若者等)の混乱の中に陥れ、労働者階級の自主独立を希薄にすることに向かう。

諸政府及びブルジョワ諸政党が、それら「細分化」された闘争を懐柔し、社会秩序維持において効果的に利用することを学んだのは、その為なのである。

13.「労働者政党」の反革命的性質

今日、ある国家やあるブルジョワジーの分派を、その他に対し擁護する全ての諸政党や諸組織は、例えそれが「条件付」或いは「批判的」方法によってであろうと、又は「社会主義」、「民主主義」、「反ファシズム」、「国家独立」、「統一戦線」、「最小悪」等いかなる名の下であろうとも、サンディカリズムの反労働者活動や自主管理の欺瞞の中で、選挙というブルジョワ的ゲームの上にその政治を築く、ブルジョワ的政治装置の諸機関である:特に、「社会主義」、「共産主義」諸政党についての事情はこれに相当する。

これら諸政党は、実際、一時は世界的プロレタリアの真なる前衛であった後、次いで、自らを資本の陣営へと導く退廃の全過程を辿っていった。彼らが属していた諸インターナショナル(社会主義諸政党にとっては第二インターナショナル、共産主義諸政党にとっては第三インターナショナル)が、労働者階級の歴史的敗北時において、その形式上の存続にも関らず、その組織的資格において死滅した一方、彼らはどうかというと、生き延びて、各党がそれぞれに、しばしば徐々に各々の国のブルジョワ的国家装置の重要な歯車へと成っていった。

改良主義と日和見主義による癌の経過において、それら主要社会主義諸政党の大半が、第一次世界大戦勃発時(第二インターナショナルの死を記した大戦時)、以後ブルジョワジー側にまわった彼らの右派・「社会的・盲目的愛国主義」の指揮の下、「国家防衛」政策適用へと導かれた時の事情はこの通りであった。それに続き、彼らは戦後の革命波に公然と反対し、1919年のドイツにおいてと同様、プロレタリアの死刑執行人としての役目を演じるにまで至ったのである。

これら諸政党それぞれの、各々の国家への最終的同化は、第一次世界大戦勃発後に続く異なった時期を占めて行なわれた。しかしこの経過は、最後のプロレタリア諸潮流がそれら諸政党の序列から除外され、又は自ずから抜け出し、共産主義インターナショナルに再加盟した1920年代初頭には、完全に閉じられた。

同様に、共産主義諸政党は、今度は彼らの番として、社会主義諸政党と似通った日和見主義的退廃の経過後、資本主義陣営に加わった。1920年代初頭より既に始まったこの経過は、1928年の「一国社会主義」理論の採択によってその痕跡を留めた第三インターナショナル(インターナショナル共産主義)の死滅後も続行した。それは、共産主義諸政党の左諸分派による激しい闘争と後のその排除にも関らず、1930年初頭には、同諸政党の資本主義国家への完全なる同化に帰着した。各々のブルジョワジーによる武装化への努力に参加することと、「人民戦線」への参加によって、この結果に至ったのである。第二次世界大戦中における「レジスタンス」及び大戦後の「国家再建」への彼らの積極的参加は、彼らが国家資本の忠実な僕であり、反革命の最も完璧な化身であることを立証した。

いわゆる革命的潮流を名乗る諸潮流の全ては、同一の陣営、すなわち資本の陣営に属する。決定的にブルジョワジー側にまわった諸政党の単なる変形であるマオイズム(毛沢東主義)、共産主義諸政党による裏切りに対してプロレタリアの反動を形成した後、退廃に類似した経過に巻き込まれたトロツキー主義、或いは、例えば反ファシスト同盟といった、社会主義諸政党や共産主義諸政党の幾つかの立場を擁護することによって、それら諸政党の政治的足取りにおいて今日同じ枠組内に位置している伝統的アナ-キズム等の、あらゆる諸潮流もその例に漏れない。自称革命的諸潮流の、その影響力がより少ないという事実、又は彼らがより急進的な物言いを用いるという事実は、彼らの計画及び彼らの本質から、いかなるブルジョワ的土台をも取除きはしない。それどころか実際には、これら諸政党の勧誘人或いは代理人として役立っているのである。

14.世界プロレタリアの革命第一波

資本主義の衰退期突入を区切りとすることにより、第一次世界大戦は、プロレタリア革命の客観的諸条件が熟したことを示した。

革命波は、戦争とその余波への答えとして生じた。革命波はロシアとヨーロッパへと拡がり、アメリカの両大陸へ足跡を残し、そのこだまは中国にまで反響した。こうしてそれは、世界プロレタリアによる、資本主義破壊への歴史的任務を遂行する初の試みとなった。1917年と1923年間におけるその闘争の最盛時、プロレタリアはロシアにおいて権力を掌握し、ドイツにおいて大衆の蜂起へと突進し、イタリア、ハンガリー及びオーストリアにおいてはその基礎に至るまでを激しく動揺させるに至った。その他の国々においては、スペイン、英国、北米及び南米等の国々での例にも見られるように、プロレタリアは、その勢力に引けを取るとはいえ、負けず劣らず激化した方法で表明した。この革命波の悲劇的失敗は、最終的に、1927年の中国・上海及び広東におけるプロレタリアの反乱に対する鎮圧によって区切りが打たれた。それは、世界規模の労働者階級にとって、長期化した諸闘争とその敗北の締めくくりであった。ロシアにおける10月17日革命が、この巨大な階級運動の中でも最重要な表明の一つとしてのみ理解することができるのはこの為であり、ブルジョワジー自身が引き受けることが不可能な「民主主義的」任務の遂行を、ブルジョワジーに代行するようプロレタリアに課する、「ブルジョワ的革命」、「国家の資本主義」、「二重」又は「永続的」革命として理解されるものではあり得ない。

1919年、共産主義インターナショナルが結成・創設されたのも、同様にこの革命波内である。それは、帝国主義的戦争への参加によってブルジョワジー側陣営への移行に署名した、第二インターナショナルの諸政党との組織的・政治的決別であった。革命的左翼の必要不可欠な政党であるボルシェヴィキ党は、第二インターナショナル時現れた。「帝国主義的戦争を内戦に変えよ!」、「打倒ブルジョワ国家!」、「全ての権力をソヴィエトに」等のスローガンに凝縮された彼らの政治的立場の明瞭さと、第三インターナショナル創設への断固とした参加により、革命的過程への基本的貢献をもたらし、当時の世界プロレタリアの真なる前衛であった。

しかしながら、第三インターナショナルと同様ロシアにおける革命の退廃が、本質的に、他国における革命的試みの鎮圧及び革命波の全体的消耗の結果によるものである一方、それと同時に、ボルシェヴィキ党によって担われた役割をも考慮に入れなければならない。何故ならボルシェヴィキ党は、この退廃の過程及びプロレタリアの世界的敗北において、他政党の脆弱さ故に、共産主義インターナショナルの中心的断片であったからである。クロンシュタットの反乱の鎮圧を実例に、第三インターナショナルの左翼の反論にも関らず、「労働組合の獲得」、「革命的議会政治制」、「統一戦線」等の諸政策を提唱することによる、革命波の一掃におけるボルシェヴィキ党の影響及び責任は、かつてこの革命波の発展において自らが引き受けた諸政策に相応するものとなったのである。

ロシアにおいてさえ、反革命は「外的」からのみではなく、同様に「内的」からも出現した。特に、それは国家管理政党となったボルシェヴィキ党によって設立された国家機構内より出現したのである。1917年10月中において、時代の過渡期に直面した世界的労働者運動の未熟さと同様、ロシアにおけるプロレタリアの未熟さによって納得が出来る重大な誤りでしかなかったものは、それ以来、反革命の隠れ蓑及び理想主義的弁明として役立ち、反革命の重要な要因として作用することになった。しかしながら、ロシアにおける革命のような、第一次大戦の戦後における革命波の衰退や、ボルシェヴィキ党のようなインターナショナル共産主義の変質、及びある一時期より同党によって最終的に演じられた反革命の役割等々は、この革命波及び第三インターナショナルを、ロシアにおけるそれらの諸要素を含み、プロレタリア運動の真正なる表明として考慮することによってのみ理解することが可能である。あらゆるその他の解釈は、混乱の重要な要因となり、革命波を擁護する諸潮流に、革命的諸任務の現実的達成を禁ずることになる。

階級のこれら諸経験のいかなる「物質的獲得」も残存していないこととはいえ、それ故に尚更、それら革命的任務の本質についてのこの理解によって初めて、多大な重要性をもった実際の理論的獲得を引出すことが可能となり、又そうすることが課されてもいるのである。特に、プロレタリアによる政治権力掌握の歴史上唯一の例(1871年のパリ・コミューンによる束の間で絶望的な試み、及び1919年のババリアとハンガリーにおいて流れ失敗した諸経験を除いて)として、10月17日革命は、プロレタリア闘争における二大決定的問題の理解にとって、数々の貴重な教訓をもたらした:その二大決定的問題とは、革命の内容と、革命的組織の本質についての問題である。

15.プロレタリアの独裁

世界規模におけるプロレタリアの政治権力掌握は、前提条件及び資本主義社会の革命的変革の第一次段階であり、まず第一に、ブルジョワ国家装置の下から上までの完全なる破壊を意味する。

事実、ブルジョワジーがその社会支配、その特権、他階級の搾取、とりわけ労働者階級の搾取の永続化を据えているのは、このブルジョワ国家装置という基盤の上である。その為、この装置は必然的にこの永続化という機能に適応させられており、守るべきいかなる特権も搾取も有さない労働者階級に適することはあり得ない。言い換えれば、「社会主義への平和的道程」と言ったものは存在しないのである:少数階級且搾取階級は、公然と或いは欺瞞的にその搾取を行使し、その方法はそのブルジョワジーによってますます徹底的になる一方である。この階級の暴力に、プロレタリアは、自らの階級の革命的暴力をもってのみ対抗することができる。

社会の経済的改良の梃として、プロレタリアの独裁、つまりプロレタリアによる政治権力の独占行使は、搾取者階級を、その生産手段を共有化・社会所有化することによって収用し、この共有化・社会所有化を生産諸活動全体に至るまで徐々に拡大することを、その基本的任務とすることになる。その政治的権力を後ろ盾に、プロレタリアは、賃金労働制及び商品生産廃止と、人類の必需品の充足という方針に則った経済政策をとる事によって、ブルジョワジーの経済政策を攻撃することが必要となる。

資本主義から共産主義へ至るこの過渡期において、経済の非共有化分野をその存在の礎とする、プロレタリア以外の非搾取者階級・階層は尚残存する。従って、階級闘争は、社会内における矛盾した経済利益の表明として維持される。よってこの表明は、これらの紛争が社会の分裂へと導くのを妨げることを目指す国家を生じさせる。しかし、これらの諸階級は、その各々のメンバーが共有化された分野へ同化することによって、徐々に消滅し、故にあらゆる社会階級が消滅することになり、果てには国家そのものも消滅するよう運命付けられることになる。

プロレタリア独裁によって有効性を与えられた形態は、労働者評議会という形態をとる。それは統一され、階級規模で中央集権化された諸議会という形をとり、そこにおいて選出・免職される代表者によって構成され、階級全体による効果的・集団的・不可分な権力の行使を可能とすることになる。又この評議会は、労働者階級の独占的政治権力の保証として、武力管理の独占権を有すことが義務付けられるであろう。

社会の共産主義的変革の方針に沿った権力を行使することができるのは、唯一、全体としての労働者階級をおいて他ならない:よって、過去における他の革命的諸階級に反し、全ての労働者階級は、その権力を、何らかの組織機構や、革命的少数派自身を含む何らかの少数派に委任することはできない。革命家は評議会の懐にて行動するが、革命家組織は、階級の統一組織に、その歴史的任務遂行において入れ代わることはできない。

同様に、ロシア革命の経験は、過渡期における階級と国家間関係によって提起される問題の複雑さと重大さを明らかにした。来るべき時期において、プロレタリアと諸革命家はこの問題を巧みに避けることはできず、その解決に要するあらゆる努力に献身しなければならなくなる。

プロレタリア独裁は、プロレタリアのあらゆる服従からの絶対的独立を前提とし、階級として、その内におけるあらゆる暴力的関係制定に対してと同様、外圧に対してのあらゆる服従からの完全なる独立をその前提とする。過渡期において、プロレタリアは社会の唯一の革命的階級であり、その自覚とその団結は、その自主独立的行動と同様、自らの独裁の共産主義的結末への本質的保証なのである。

16.革命家の組織

a) 組織及び階級意識

各時代の社会秩序に対して闘いを挑むあらゆる階級は、その闘争に、組織化・意識化された形態をもたせることによってのみ、効果的な闘いを実行することができる。これは、彼らの組織形態・意識形態における未完性又は疎外の度合いの如何に関らず、社会的変転を自らの内に有さない農民階層や奴隷階層の者にとっては、既に正当な事実であった。しかし、社会の進化と共に必然的となった新たな生産関係の担い手である歴史的諸階級にとって、その必要性は更なる正当性を帯びる。この諸階級の内、プロレタリアは、旧社会においていかなる経済力をも所有しない唯一の階級であり、その事実はその将来の支配の前兆である。従って、組織及び階級意識がその闘争にとってますます決定的な要因であることが言える。

階級がその革命的闘争において自らに与え、その政治権力を行使する為の組織形態とは、労働者評議会である。しかし、労働者階級の全体が革命の主題であり、且、革命闘争時にこれら諸会議において団結する一方、だからと言ってその事実は、階級意識自覚の過程が同時発生的及び均等であるということを意味するわけではない。 

階級意識自覚の条件は、自らの未来について学ぶことが出来る階級の歴史上の存在によってもたらされるものであり、些細で不測な即時的諸闘争によってもたらされるものではない。これら諸闘争はプロレタリアの自覚の発達に対し新要素をもたらし、とりわけプロレタリアの活動激化時において、その事実は更に顕著となる。しかし、それら即時的諸闘争のみが闘争なのではない:階級の存在と共に生じる自覚も、同じくそれ自身の力学を有する:熟考及び理論的探求は、その発達にとって同等に必要な要素なのである。大勢で真向切った諸闘争と階級が重ねる闘いの諸経験は、階級意識の発達、及び特に階級内へのその拡大の速さにとっての、豊かな溶鉱炉の炉床である。特にそれらは、階級の団結にとっての決定的貢献となる。それらは、職種別又は国籍別による分裂・差異によって構成された社会の「自然的」枠組、資本主義が階級内において維持することに利益を見出す枠組に立ち向かうことによって、貢献するのである。しかしながら、それらのみが唯一の炉床なのではない。革命家の組織は、階級意識自覚及びその発展のまた別の炉床であり、即時的・歴史的闘争にとって必要不可欠な道具なのである。

公然たる闘争時の間には、意識の地下成熟(マルクスにとっての親愛なる「古モグラ」)が行なわれる。この意識の地下成熟は、階級の序列における熟考と上澄みの除去、ブルジョワジー的欺瞞の一掃によって表明される。

 

b) 革命家とその任務

革命家は階級の構成員であり、この不均質な過程を通して、「プロレタリア運動の歩み及びその全体的目的の諸条件に対する明確な理解(「共産党宣言」)」に到達する最初の人物であり、資本主義社会において「支配的思想は支配階級の思想である」が故、必然的に階級の少数派を構成する。

階級の産物であり、階級意識自覚の過程の表明である諸革命家は、自らを組織化しこの過程の積極要因となることによってのみ、その資格をもって存在することが可能である。この任務を切り離せない方法で遂行するため、革命家の組織には以下の事項が課される:

 

c) 労働者階級と革命家組織との関係

例え階級の一般組織と革命家組織が同一の運動に参加するとしても、それが二つの異なる組織であることに変わりはない。

前者は評議会による組織であり、階級全体を結集させる:労働者であることのみが、その唯一の属性基準である。

これに反し、後者は階級の革命的分子のみを団結させる。属性の基準も、社会学的なものではなく政治的である:つまりそれは、綱領への同意及びその擁護に基づく。この意味において、階級に社会学的には所属しなくとも、自らの出身階級との決別によってプロレタリアの歴史的利益を自分達のものと同一視する諸個人も、階級の前衛の一員を成す事が可能である。

にもかかわらず、階級及びその前衛的組織が全くの別物である一方、その為に両者が引き離されたり、一方が他方の外側に位置したり、又は対立しあうという、自称「レーニン主義」諸潮流と労働者-議会主義諸潮流との間で双方に主張されたような関係を意味するのではない。

これら二つの概念が無視したがっているのは、この階級と革命家という二要素が、衝突や対立などからは程遠く、その全的・部分的関係において、実際には相互補完的であるという事実である。「共産主義者は、プロレタリア一般を分離させるいかなる利益ももたない(「共産党宣言」)」故に、前者と後者の間には、いかなる力関係の存在もあり得ないからである。

階級の一部として、革命家はいかなる場合も階級に取って代わることはできない。資本主義只中の闘争においても、或いは資本主義の転覆及び権力の行使という更に強力な理由をもってしても、この入れ代わりは不可能である。歴史上の他階級にとって優勢であった事情に反し、プロレタリアが首尾よく遂行しなければならない最終目標にとって、少数派の自覚だけでは、例えその少数派がいかに啓蒙されていようとも、不十分なのである。この任務には、階級全体としての、あらゆる時における継続的参加と創造的活動とが要求されるのである。

一般化した階級意識、つまり階級意識自覚の深遠且拡張された発達は、プロレタリア革命の勝利にとって唯一の保証と成る。この理由から、階級全体の活動は取替えができないものであり、特に階級が余儀なくされる暴力の使用は、階級全体の運動から分離した活動にはなり得ない。その意味で、個人又は孤立した集団によるテロリズムは、階級的方法手順にとって全くの無縁であり、ブルジョワジー諸分派間における派閥争いの単なる皮肉な方法手順でない場合でも、良くても小ブルジョワジーの絶望的表明となるだけである。それがプロレタリア闘争の内部に現れる時、それは闘争への外的影響を示し、階級意識発展の基盤自体を弱らせることしかしない。

階級闘争の自主組織化及び階級自らによる権力の行使は、共産主義への、天秤にかけ得るその他様々な道の内の一つではない。それは唯一の道なのである。

革命家の組織(その最も進んだ形態は政党である)は、階級が、自らの歴史的変転の自覚と発展、及びその変転へ向けた闘いの政治的方向決定の為に、自らに与える必然的機関である。従って、政党の存在及びその活動は、プロレタリアの最終的勝利にとっての必要不可欠条件を成している。

 

d) 労働者階級の自主独立

しかしながら、労働者及びアナーキスト諸潮流によって理解されているような、又彼らが反対する代替主義的諸概念に対抗するものとしての「階級の自主独立」の概念は、これら諸潮流に、反動的・小ブルジョワ的意味をもたらす。「自主独立」は彼らにとって、彼らが告発する代替主義的諸潮流と同じ方法で、彼ら自身の自主独立、つまり労働者階級代表を主張する微小なセクトに結局のところ縮小されることが多いばかりか、それのみならず、彼らの見解は次の二大側面を伴う:

今日、このような概念は、最良の場合においてさえ、スターリン主義的官僚主義及び国家管理全体主義の発達に対する初等的反応でしかなく、又最悪の場合においても、小ブルジョワジー的性質特有の、孤立・分裂の政治的表明である。しかし、どちらの場合においても、それらはプロレタリアの革命的闘争の、三大基本側面についての完全なる無理解を表している:

我々マルクス主義者にとって、階級の自主独立は、社会の他階級との関連における自らの独立性を意味する。この自主独立は、今日プロレタリアが唯一の革命的階級である限り、階級による革命的活動にとっての必要不可欠条件である。自主独立は政治的・綱領的計画上と同様、組織的計画(諸評議会の組織)上にも示され、よって労働主義者的諸潮流の憶測に反し、その共産主義前衛と密接な関係にあるのである。

e) 階級闘争の異なる時期における革命家の組織

階級の一般組織と革命家の組織が、その機能に関して二つの異なったものである一方、同様に、その両者の出現の状況についても異なっていることが言える。諸評議会は、あらゆる階級闘争が権力掌握を目指す革命的対決の時期にのみ出現する。その逆に、階級意識の自覚に対する階級の努力は、その起源より継続的に存在しており、共産主義社会におけるその階級の消滅時に至るまで存在し続けるであろう。この意味において、この継続的努力の表明としての革命的少数派が、あらゆる時代において存在するのである。しかし、これら少数派の規模、影響、活動のタイプ及び組織様式は、階級闘争の諸条件と密接に繋がっている。

階級活動の激化時期において、これら少数派は、この活動の実際的経過にとって直接的影響を及ぼす。この時、この前衛的組織を指し示す為に、政党という言葉を口にすることができる。これに反し、階級闘争の後退期又は停滞期においては、革命家はもはや歴史の即時的経過に対し直接的影響を持たなくなる。即時の運動に影響を及ぼすことではできないものの、それに抵抗することを任務とする、はるかに縮小されたサイズの組織のみが存続できることとなる。その任務は、彼ら自身を、ブルジョワジーの土俵にてブルジョワジーによって麻痺させられ鍛えられた階級(階級協力、「神聖同盟」、「抵抗運動」、「反ファシズム」等々)に逆らって闘うように導く。よって彼らの本質的任務は、先の諸経験より教訓を学び取ることによって、階級の次回台頭時に必然的に再出現するであろう未来のプロレタリア政党の為に、理論的・綱領的枠組を準備をすることにある。ある意味では、闘争後退時に退化の一途を辿る政党から分離した、又はそれから生き残ったこれら集団及び分派は、その次回の再出現までの、政治的・組織的掛け橋を構築する役目を担っている。

 

f) 革命家の組織様式

プロレタリア革命の必然的に世界的・中央集権的な性質は、労働者階級にとっても、これと同じ世界的・中央集権的特徴を授け、プロレタリア革命の再建に励む諸分派や諸集団も、必然的に世界的中央集権を目指す。この性質は、各議会間に対し政治的責任を授けられた中心的諸機関の存在によって具体化される。

革命家組織が自らに与える構造は、以下の二大基本的必要性を尊重しなければならない:

同様に、組織の様々な部分と様々な活動家との間を結ぶ諸関係は、必然的に資本主義社会の痕跡を留めるが故に、組織の只中において共産主義的関係の小島を成立させることはできない。にも関らず、それら諸関係は革命家によって追求される目的との明白な矛盾にはなり得ず、必然的に連帯と相互的信頼をその拠り所とする。その連帯と相互的信頼こそが、その組織が共産主義の担い手階級へ属することの証しの一つなのである。

革命家の組織(その最も進化した形態は政党である)は、自らの歴史的変転の自覚発達にとって、及びこの変転へ向けた彼らの闘いの政治的方向決定にとって、階級が自らに与える必然的機関である。従って、政党及びその活動の存在は、プロレタリアの最終的勝利にとって、必要不可欠な条件を成しているのである。

ICC